第14話 世界破滅推論
『その笠を乗せるのは』
2024年6月30日
「で、びっこたっこの話だったっけ」
靴紐を解いている黒鷺は、頭上にいる仰丸に問いかける。
あくびをしている黒鷺の姿に、仰丸はいつかと同じ危機感を覚えた。放っておけば寝てしまうと焦り、本題を挙げる。
「びっこたっこのせいで日本がヤバいのは何でだって話だ」
「じゃあ、まずびっこたっこの説明から始めようか」
黒鷺はいつも通りソファに腰を落とした。
テーブルに用意された紙を揃え、ペンを手にする。
「びっこたっこは都市伝説として語られている化け物。地下の駅にしか現れないとされるそれは、物陰から半身を出してこちらを窺う。そして近づくように呼び掛ける」
その正体を怪談らしく語る黒鷺。笠待の怪しい話を聞いていた仰丸にとって、それは聞き易いものであった。そして自身が怪異であったことも幸いする。
それは人間を騙してどうにかしようとするモノであると、仰丸は解釈した。
「都市伝説として広まるのはここまで、これ以上は憶測で生まれた噂でしか分からない。そして、一番重要な部分が説明されてないの」
話は核心に近づくように、黒鷺は神妙な面持ちを浮かべる。
「びっこたっこは人間を乗っ取ることができる。あの子たちは、一緒にびっこたっこを見に行った友達が乗っ取られた。だから助けに行ったんだ」
「助けるってどうするんだ。呼ばれるってことは近づけねえだろ」
仰丸の疑問に、黒鷺はペンを動かして答える。紙には駅構内の模式図が描かれた。
「
「ああ」
「翔くんはびっこたっこが半身しか出さないことに何か理由があると考えた。そして、半分は本来の姿のままだから半分しか身を晒せない、見てほしいから呼び寄せている、という結論に至る」
「おお…」
「だから、まず一人が前日と同じところからびっこたっこに対峙する。そして同時に反対からも見て、完全に姿を目に映すことで右半身と左半身どちらもお友達の身体に戻そうとしていたんだ」
「おぉ!すげえなそいつ。頭良いな」
男の子が自力でたどり着いた軌跡を辿り、仰丸は感嘆の声を上げる。しかし。
「でもこれで何とかなるなら、私が止めてないよね」
黒鷺は略地図にバツを重ねながらそう言った。
「びっこたっこは姿を見てほしいんだ。見てもらえば完全に乗り移った身体になれるから。でも一つの脳に二人の意識が混在しているから、宿主の精神は絶対に体を出さないように引っ張っている。それが半分しか見せない理由」
「乗り移った人間の身体を完全に奪えるのか。じゃああの子たちは逆のことをしていたのか…?」
「逆のことというか、一人で見るにしろ、二人で見るにしろ、見てしまったらその瞬間にそれは偽物になる。現状、びっこたっこを追い出す方法はないの。そこに辿りつくだけでも賢いけどね。びっこたっこの情報なんて少ないのに」
「いや待てよ、びっこたっこが…その…あれに関わってるんだよな?放っておいてよかったのか?」
「これからやっと本題だよ」
黒鷺は描いた紙を破り捨て、代わりにテーブルの下からとある大きな地図を取り出した。それは今いる現在地、その地区を中心とした市の地図。
それは新たにコピーされたもののようで、原本よりも解像度が劣っている。
「確かに、放置したびっこたっこを自律できるようになれば、人間社会で好き放題できてしまう。実際にあの子たちも自律したびっこたっこに唆されただろうね」
「でもびっこたっこ自体が問題じゃない。びっこたっこの生態を調べていって、浮き彫りになったものが問題なんだ」
黒鷺は先ほどよりも太いペンを手に取り、地図上のある範囲を囲う。
「さっきいたのがここ。ここは始発だから都市部に向かっていく電車にしか乗れない。都市部の駅まで行けば、行きたい方向の路線に乗り継ぐことができる。乗ったことないから分かんないでしょ?」
仰丸にとって、地下鉄は新鮮なものであったが、黒鷺はその説明を簡潔に終わらせる。真っ先に本題に入ろうとしていた。
「私は前から都市伝説とか心霊の類を調べてるの。大体は噂ばっかでつまんないなあって思ってたから、びっこたっこも何となく外れだと思っててさ、晴を誘って行ったことあるんだよね」
2022年6月13日
「ねえ晴、なんか学生の時を思い出すね」
「最悪の思い出だな…」
黒鷺は笠待が嫌な顔をすることを見越して、それを語ろうとする。しかし、笠待にとって疎むべきものは学校だけであって、その全ては悪い思い出ではなかった。
「ねえ、何出るって言ったっけ?」
「びっこたっこ」
「なんだそれ」
笠待と黒鷺は揃いも揃って気だるそうに、ウォーキングをする御老人とはまるで対極のようで、無心で早朝の通りを歩いていた。
朝に弱い人間が、奇しくも早朝に揃うということは奇跡的なことである。しかしそうは思っていても、そのことで盛り上がる余裕は、笠待にも、黒鷺にもなかった。
「ここでいいの?」
「なんかどの駅でも出るらしいから近くでいいや~って」
「てきと~」
二人は普段利用するのと同じように、するすると階段を下りて構内へと向かう。
その様子は異様で、笠待は緩すぎる格好な上、それと対を成すように黒鷺は漆黒で全身を染めており、今にも眠りそうな顔にはそぐわない。
「さ、探索するか~」
「待って」
構内を歩き回るための一歩目を笠待が制した。
いつものように厚底の靴を履いていた黒鷺は、その一歩を笠待の肩を借りてなんとか元に戻す。笠待の方に視線を落とすと、その手には紙きれが握られていた。
「まじ???本当にいるんだ…」
笠待の助言、それは『見るな』というものであった。
「見るな…かぁ。かなりやばいんじゃない?」
「そうとは限らないよ」
笠松は眉一つ動かさずにそれを否定する。
「これが私たち二人に向けられたものだったら今すぐ逃げた方が良い。だけど私のこれは、誰かに対する命令だったりすることもある」
笠待はその紙切れを四つ折りにして、ポケットにしまった。
「そのびっこたっこって、どんな話?」
「地下鉄構内の柱、壁から半分身体を出してこちらを見ていて、存在に気付くと、近づくようにアピールするって感じかなあ」
笠待は構内を見据えながら、黙り込んでいる。考えを整理していたのか、一息置いて話し始めた。
「見た時点で終わりなら、そいつが近づいてもらうためにアピールする必要がない。見てはいけないとするなら見た時点でその場に拘束されるか、見てから目をそらしてはいけないか」
「確かに~、こんなところで動けなくなってたらもっと噂になってるだろうね。目をそらしてから襲ってくるタイプなら見る前提で”逸らすな”が来てもおかしくない」
笠待は新たに手に握られた紙を掴む
「恐らくそいつは擬態するんだ。見た目化け物でアピールされても誰も近づかない。かといって突然いなくなった知人に身体半分で呼ばれても怪しいよね?」
「ほら、『離れるな』だ。どちらかが姿が見えなくなった場所でそいつに擬態される。この階段から右に曲がっても左に曲がっても、こだまが私の視線から切れた時点で、そいつは動き出す」
笠待は手にしたそれを黒鷺に見せながら言った。
「それでびっこたっこを見た瞬間終わりってわけね」
「そゆこと」
「あぶな~」
二人に緊張が走ることはなく、命の危険が迫っていたことを意に介していない。
「手繋いで歩こっか?晴ちゃん」
「妹のつもりか。嫌なんだけど…」
笠待は渋々と言った様子で黒鷺の手を掴み、二人は同時に構内への一歩を踏み出した。そこは足音一つなく静かな空間で、地下鉄特有の電子音だけが響いている。
二人は構内を往復して探索したが、おかしなモノは何一つ姿を現さなかった。
「てな感じで、晴に助けられちゃった」
「そんなに前から追ってるのか…大変だな…」
仰丸は今朝の黒鷺を思い起こすと、それが壮絶な習慣であることを理解した。
「その後も晴とちょくちょく調べてさ、色々分かっていったんだよね」
仰丸は思うよりもずっと、笠待と黒鷺が大規模な調査をしていたことを知る。
その不可視の存在は、調べた中で全ての駅に棲息することが分かった。笠待の能力を以てしてやっと認識できる存在、その完全性にはどこか抜け穴があるのではないかと、疑ってかかる。
「どうやったって擬態する前のびっこたっこは見えないんだよ。少なくとも私は見たことがない。どうやって一人で調査に行けるかなって考えたんだ」
「そしたら晴が埒が明かないってキレてさ、一人で行ってみたら能力が反応しなかったんだって」
二人で『見るな』や『離れるな』という強い言葉が出たのにも関わらず、一人で行くと何の危険性もないことが示された。人間に入り込んだびっこたっこは、その姿を全て見せることはない。しかし、近づかせようとアピールを始める。
人の形として世に出ることが本能であるのか、知人同士が二人以上で入ったときに限って表れるのだろうと、黒鷺は結論を下した。
「でさ、さっきも言った通りこの生態が脅威ってわけじゃない。さっきみたいに早朝か、稀だけど最終便の時間にしか現れないから」
「何が問題なんだ?」
「それが、ある日を境にびっこたっこが出てこなくなっちゃってさ」
びっこたっこが姿をくらます。傍観者の仰丸にとって、それは良いことのようにしか聞こえない。
「びっこたっこはその駅にずっといるんじゃなくて、駅の間を移動する。さっきの駅の路線から都市まで行って違う路線に入ったりもする。地下を自由に動けるんだよね。だから違う駅に密集しているのかと思って行ってみれば、どこにもいない」
「全部外に出てきたってことか?」
「それは考えにくいよ。全ての駅に複数体存在しているびっこたっこが、早朝に複数で入ってくる人間を別個に狙わなきゃいけない。そんな少ないチャンスで体を手に入れて全身を見てもらうって、数日、数か月あっても足りないよ」
黒鷺曰く、そもそもびっこたっこが何体棲息しているのかさえ、その透明性ゆえ把握できないという。
「じゃあどこにいったんだ」
「違う駅だよ」
「それなら見つかるじゃねえか」
「地下に新しくできた駅、地上から下りられない駅が存在しているはずなの」
いくら地下鉄道という利器を知らない仰丸といえども、その理屈が通らないことは理解していた。地上から下りられない、人工物でありながら人間の手が届かないことを意味している。
「どういうことだ…?」
理解が追い付かない仰丸に、黒鷺は話を変えようとペンを置いた。
「仰丸が晴と会ったのはいつ?」
「確か前の春だな…」
「一年前ね。じゃあ知らなくてもしょうがないか。私たちがこんなに調査に行くようになったのは一年半前。ちょうどびっこたっこがいなくなった時期からだね」
仰丸はそれが数年に渡って行われていると思い込んでいた。しかし、実際は仰丸が笠待と出会う半年前。
それが仰丸に示唆することは、自分も調査対象であった可能性である。
「きっと仰丸は調査中の晴と会ったんだね。対象が仰丸だったかはわからないけど、心のどこかではまだそのうちの一つという考えが残っていると思うよ」
「笠待に疑われてるのか」
「違う。晴は仰丸のことを信じているよ。口では馬鹿にしてるけど、大事な仲間だと思ってる。長年一緒にいる私が言うなら、間違いない」
「あ、ああ」
黒鷺の語気に圧倒された仰丸は、ふいに視線を逸らす。それを黒鷺に笑われているような気がして、何とも言えなくなった。
「びっこたっこと怪異現象、何か関係があるな~と思いながら、時々早朝の地下鉄にも行ってたんだ。そしたらあるとき、消えたと思っていたびっこたっこが現れた」
そのときは、再び笠待を連れて訪れたにも関わらず、その手に込められたメッセージは『近づくな』であったという。それが意味することは、半自律のびっこたっこがいるということである。
そしてやはりというべきか、そこには柱に隠れながら近づくように促す、女性の姿があった。
「珍しいんだけどね、その状態で他に人がいないの」
びっこたっこの憑依には、身近な人間が不可欠である。それは対象をある程度不審がらず、助けようという意思を持つ人間でなければ近寄ろうとしないからだ。その場に誰もおらず、憑依したびっこたっこだけがいるということは、既に逃げ出した後だということを示す。
黒鷺はそれを珍しい光景だと思い、笠待のメッセージに反して接近を試みたが、それ以上に忠告が来なかったために無駄足を引っ込めたという。
「びっこたっこはいなくなったわけじゃなかった。でも種が減少したわけじゃなくて、母数が増えたんだと思う。駅のね」
その推論は先述された話に繋がっていく。公に駅の増設がないにも関わらず、謂れもなく減少したびっこたっこの個体数。同時に、決まったエリアで増加した数多の怪異現象。それに対し、地下に大量の駅が発生したのではないか、というのが黒鷺の見解であった。
「その駅はどれくらいやばいんだ?」
「やっと話についてこれた」
黒鷺は嬉しそうに笑う。その表情のまま話される内容とのギャップは、仰丸の表情を歪めることになる。
「私たちがこんなにも怪異を調べて、ただ解決するだけで終わるのは、マップを作るのが目的だから」
「マップ?」
「そう、怪異現象が起こる場所は粗方決まってるの。未開の駅が存在するなら、今までの説明から怪異と関係があることは明白」
黒鷺はペンを手に取り、用意したマップに次々と丸を付け始めた。
「今いるらへん以外にも、晴と仰丸が行ったここの山辺り、それとここと、ここと、ここ。それぞれ決して広くない範囲で怪異が立て続けに起きている」
黒鷺はそれを口にしながら、黙々と丸の数を増やしていく。
「合真が行ってくれている遠くのこことか、ここにも。何ならその場所以外では、起こらないと言っていいほど限られている」
黒鷺は急に手を止めて、マップに見入っていた仰丸を見据える。
「晴みたいに聞いてあげようか。さあ、これが意味することは?」
仰丸はどこか懐かしい気分になって、その口からは思わず笑みが零れる。地下に存在する未開の駅、それに集まるように起こる怪異。
ここまでお膳立てされた問題があるのだろうかと、疑わしくも、仰丸は自信を顔に浮かべて答える。
「いつか開かれるその駅に怪異が引き寄せられている。それが開かれたとき、本当に大変なことが起こる」
「よくできましたあ、まあ全部仮説だけどね」
「笠待はこんなに優しくねえよ…」
黒鷺は仰丸のことを褒め称えた。
ソファから立ち上がって、仰丸の頭を撫でる。その角度から、仰丸の表情は見えない。ただ無抵抗にソファに沈んだまま、俯いて隠したその顔が笑っていることを黒鷺は願った。
「はあ、晴いまごろ何してるかな~」
黒鷺は再びソファに腰を下ろすと、ため息をついて姿勢を崩す。
「寝てんだろ」
「ふふ、馬鹿にしすぎでしょ。今日は
「あいつ、大丈夫かな…」
仰丸はただ、リードを放した飼い主を心配した。
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