第16話 分かり合える二人


     『その笠を乗せるのは』


 2024年6月30日

 合真とのっぺらぼう。相対する両者は、それができて当たり前であるかのように宙に浮かんでいる。

  同じ動作であるにも関わらず、そこには時代錯誤が見えた。地面に立つ姿勢のまま浮く、いわゆる現代アニメやアメコミを彷彿とさせる空中浮遊。合真は何が来ても対応することができる。

 しかし、一方のヒーローは、合真に前時代的なヒーロー像を彷彿とさせた。


「笠待ちゃん、俺集中するから話しかけないでくれな!」

「守ってくれればなんでもいいよ」


「俺のルールブックに反則はねえ!なんでも来いよ!」


 のっぺらぼうは身体を地面と平行に、かつ合真に対して両手を突き出した状態で浮いている。その形状から繰り出される攻撃は、どこからともなく推進力を得た突進。

 しかし、その攻撃は空を切って外れ、合真から手痛い反撃をもらうこととなる。合真は幾度となく、間隙を縫って打撃を入れ込んだ。

 だが、どんなに強い一撃でも死ぬことなく、きりのない空中戦に飽き飽きした合真は、早々に着地する。もはや、そこに当初の目的を果たそうという気は微塵もない。


 くすぶっている期待が死に、ただいま参上、合真我了。


 のっぺらぼうもそれに追随するように、地面に下りようとする。自由落下で下降するのっぺらぼうに向かって、合真は何かの武術のような構えを取った。

 それは合真の記憶のどこかにあるうろおぼえの結晶であり、それは世に存在する武術に対する冒涜である。


「お前強いなあ!何で無傷なんだ!」

 形を意識することに重点を置くならば、合真のそれは全く正確ではない。

 しかし、合真にとって形とは文字通り、形式にしかなりえず、何よりも体裁を守ることに重きを置く。いわば有言実行を強制された状態。


 合真は腰を低く落とし、左手を正眼に構え、右手で掌底を放つ。


「ハァッ!!!」

「ガッ!」

 放たれたそれは、常軌を逸した瞬発力で空気を弾き出す。

 合真が叩いた空気は、衝撃波を生んだ。不可視のそれは空気を押し出し、攻撃対象は宙を舞う。


「やったらできるもんだぜ、冒険しないのは損だ」

 合真の攻撃により、 のっぺらぼうは空中で爆ぜるように吹き飛んだ。


 それまでの合真は、攻撃の一切に手を抜くことなく、のっぺらぼうに全力をぶつけている。合真は能力の特性上、その『全力』にはかなりのばらつきがあった。

 それを踏まえても現状、どの攻撃を以てしても、のっぺらぼうに傷一つつけることは叶わない。

 合真自身が孕む調子の問題なのか、はたまた相手が強すぎるのか。余計な思考を振り切るため、合真は間髪入れずにのっぺらぼうの眼前まで飛びつく。

 純粋な肉弾戦へと持ち込んだ。


「ハハハッ!!骨のあるやつで良かった!!」

「正義ハ…悪ニハ屈しナいッ!!」

 依然、のっぺらぼうは合真の攻撃を防ぎきれずに、その身にダメージを蓄積している。しかし、合真が貯めたダメージの蓄積は全く以て可視化されない。

 のっぺらぼうは音を上げることなく、必死に合真に食らいついている。本来押しているはずの合真が、劣勢に見えるほどであった。


「正義正義ってよお…!俺が正義だったら共倒れじゃねえか!せっかく良い友達になれると思ったのに…!お前はその程度のダチなのか!?」

「何ヲ言ッて…」

 殴り合いの最中、合真は突然バックステップで距離を取り、のっぺらぼうに向けて左腕を突き出した。それはのっぺらぼうの注意を十分に引く。

 すると爆発音とともに、合真の肘から下が切り離される。それはロケットへと様変わりし、そこから繰り出されるパンチはのっぺらぼうの顔面に向かって、一直線に飛んでいく。


 注意を向けていたことが災いしたのか、意識外の攻撃であったはずのそれは、のっぺらぼうの眼前で受け止められた。

 しかし、のっぺらぼうは自らの腕で視界を塞ぐこととなる。


 それは左腕を犠牲にした攻撃はブラフであった。


「想定の範囲か!?もう一発ッ!!」

 合真は右腕を向けて、二発目のロケットパンチを放った。のっぺらぼうの視界の端、もう一本の腕が見えた時にはすでに遅く、次の瞬間にはのっぺらぼうの腹部へと食らいついていた。


「グッ!オ前人間じゃナいノかッ!?」

 のっぺらぼうは吹き飛ばされながら、腕から硝煙を立ち昇らせる合真を見据える。腕を切り離した断面は非人間的であり、そこから血は流れていない。

 自らの腕をアタッチメントのように使い捨てる様は、まるでロボットであった。


「人間だよ!失礼だな!」

「おかしいダロ!腕ガ外れる人間ナンていナい!」

 合真の外れた腕は、自動で持ち主の下へと帰っていく。

 合真は外れた腕を戻しながら考える。どのような攻撃を以てしても、破ることのできない鉄壁の身体。それでいて、白銀のような綺麗さとプラスチックのようなしなやかさを持ち合わせている。


 合真はそれに、人間ではない、という判断しか下すことはできない。

 しかし、特異な思考回路に脆弱性があるとして、のっぺらぼうとの対話を試みようとした。


「そうだな…お前はどこから現れたんだ?」

「そッちこそ失礼ダぞ!人を宇宙人みタいニ!」


「すまん聞き方が悪かったな。何がきっかけでここに来たんだ?」

「悪者退治ダ!ヒーローノ責務を果たしニ来タ!」

「てことは、ピンポイントで俺たちを狙いに来たんじゃねえんだな…って危ねぇ!」

 のっぺらぼうは合真の話を遮るように、距離を潰して攻撃に転じる。

 その速度は合真にとって避けきれないものではなかったが、その拳はどこか危なさを感じさせる。

 罪の意識、善悪の別、その過程を通り越した断罪。魔女狩りの如き責任の押しつけではなく、踏み絵の如き危険分子の排除でもなく、ただ己の意志を突き通さんとする覚悟が込められている。


「洗脳しようとしても無駄ダ。悪者ハ良く喋る」

「いっぱい喋ってんのはあっち!俺はお前と同じくらいしか喋ってねえよ!」

 合真が指す方向には笠待が地面に座っている姿があった。

 その姿から闘おうという意思は窺えず、お茶の入ったペットボトルを片手に二人の試合を観戦している。しかし、それは責められたものではない。


 笠待はあくまで補助要員であり、戦闘などの直接的な干渉は意味を成さない。たとえ、全てを示すアドバイスであっても、展開の早い戦闘では間に合わず、その結果として大人しく身を潜めるという選択をしていた。


「思い出しタ。アいつを倒すんダッタ」

「待て待て!!よ~く思い出せよ?俺たちを見つけた時、何で悪者だと思った?」


「オ前ノ柄ガ悪いカらと言ッタダロ」

「じゃあ俺がこれ脱げばいいか?ほら」

 合真はジャケットを脱ぎ、道に投げ捨てる。

 それどころか、Tシャツ、ネックレス、指輪などの上半身に身に着けていたもの、全てを脱ぎ捨てて上裸になっている。のっぺらぼうは、それを見て硬直していた。

 それが示すのは、のっぺらぼうの心の揺らぎである。


「な?もし俺がこれで歩いてたらどう思った?丸腰だぜ?」

「タしかに…」

 笠待は、必死な説得の邪魔はしまいと口を慎む。

 しかしそうは思いつつも、心の中ではどう見ても変人であろうという反駁を繰り返す。その甲斐があってのことか、のっぺらぼうは首を傾げ始めた。


「俺を悪いと思ったから、笠待ちゃんを悪の親玉だと勘違いしたんだろ?そりゃ…口は悪りいけど、悪いことする子じゃねえよ~」

 笠待は、不本意ながらも小さく頷く。


「…」


 のっぺらぼうは、ゆらゆらと合真に向かって歩を進める。

 ゆっくり、ゆっくりと目の前にたどり着くまで、天を仰いだり首を垂れながら、のっぺらぼうは考え込んでいる。

 合真の前に着いた後、しばらくは無言で硬直していた。しかし、ふと合真に向き直ると、のっぺらぼうは勢いよく頭を下げる。


「申し訳ナかッタ…悪者ダと思ってしまッタ…」

 扱いきれない化け物、もしくは正義の具現化であるとばかり思っていた笠待。それだけに、のっぺらぼうが謝罪する姿に驚きを隠せない。

 頭では未だ異様なそれを警戒しようという心積もりでいるが、しかし、それを反証するかのように能力は発動しなかった。


「そこノ笠待チャンという人もすまナかッタ」

 のっぺらぼうは合真の背後に目を向け、またも謝罪をする。


「…笠待でいい」

 後ろを振り向いた合真は、のっぺらぼうの背後に回り、得意げに笑って笠待を見ている。合真の頑張りを無下にしないよう、笠待らしくもなく自重した。

 死を覚悟した闘いは、あっけなく幕を閉じた。


「名前はなんて言うんだ?せっかく仲直りしたんだからさ!」

 合真が馴れ馴れしく、のっぺらぼうと肩を組んでいる。のっぺらぼうのまっさらな顔からは、表情を読むことは叶わない。しかしまんざらでもない様子。のっぺらぼうは、合真の肩に手を回していた。


「俺ハヒーローダ」

「ヒーローかあ!いいな!でもヒーローっていっぱいいるだろ?唯一無二の名前が欲しくないか?」

「それハ勿論ダ!」


「じゃあ『Heel O』と書いて、『ヒール オー』はどうだ?これなら読んでヒーローだし、呼んだらコードネームみたいでカッコいいだろ!」


「それハ良いナ!貰ッてもいいノカ!?」

「もちろんだ!その代わり色々聞きたいことがあるんだけど、聞いてもいいか?」

「構わナいぞ!良い仲間ニ出会えタことニ感謝ダ!」

 倫理観の狂った正義のヒーローは、皮肉の込められたネーミングに気付かない。

 肩を組んで今までのことを笑い飛ばしているその姿では、先ほどまでの異様な雰囲気は感じ取れない。

 しかし、安易に扱ってはいけない存在だということは、二人の脳裏に刻まれた。


「早速だけどさ、Heel Oはどこから来たの?」

 笠待はHeel Oに詰め寄り、疑問をぶつける。

 それが己が身を侵しかねない存在であったとしても、Heel Oにはそれに見合うほどの、情報源としての価値があったからだ。


「俺ハ全国をパトロールしている!」

「ここに来たのはたまたま?」

「偶然ダ。俺ノ行く先ハ必ず何カ悪いことガ起こる。ダカらオ前タちを悪者ダと勘違いしてしまッタ」

「てことはまだ何も倒してないんだね?」

 笠待は会話を途切れさせない片手間で、必死に頭を回す。

 Heel Oがどのような怪異か、そればかりに脳のリソースを割いている。合真は視界の端にも認識されていない。


 初め笠待は、Heel Oを悪を引き寄せる疫病神であると仮定していた。

 しかしその場合、悪どころか生物がはびこらない土地に来る必要性は皆無であった。打倒すべき悪に優先順位がないのであれば、必然的に都会に引き寄せられる。あるのであれば、そこにはそれ相応の悪が存在するはずである。

 様々な仮定を反証するため、笠待は質問を続ける。


「最近どんな悪を懲らしめたの?」

「昨日ハ、住宅街ノ横断歩道を高速で突っ切っタ車を吹き飛バしタぞ!信号ガナいとハいえ、未来アる子供ガ出てきタらどうする!」

 Heel Oは正義の心と壊れた倫理観を持ち合わせていた。車は30mほど吹き飛び、運転手の生死は不明であるという。


 その運転手が悪であると言われれば、それを否定はできない。

 しかし、与える罰が相応のものであるかと言えばそうではない。Heel Oの中には、悪を悪と断定する基準があることは確かであり、その基準が曖昧であることもまた確かであった。

 たとえ疫病神であろうが、無垢を悪と断定するお節介な天使であろうが、それは笠待が求めているものではない。Heel Oがどのような怪異かという事実は意味を成さない。


 何故ここに来たのかという疑問が重要であった。


「悪がどこにいるとか探知できる?私たちが違ったのなら、他にどこかにいるはずでしょ?」

「アア!できるぞ!ダガ…」

 Heel Oは下を向いて、笠待と合真の視線を誘導する。


「今日ハ下にいるように感じタンダ、今もナ。今日ハ調子が悪イんだ…ダカら歩いていタ合真を悪ニして、満足しタノカもしれナい。ヒーローとしてアるまじき行為ダ…」

 その答えは、笠待の中に漂っていた仮定や推論は吹き飛ばした。

 笠待と合真は互いに目を合わせる。根底に眠る大きな仮説が、限りなく事実に近づいたことで、反芻していた様々な仮定が信憑性を帯びていく。


 びっこたっこという不確定の存在。

 それに連なる未開の駅。

 そしてそれが帯びる悪の気配。


 Heel Oというピースによってパズルは完成し、その存在は核心へと至る。

 笠待は、意味ありげな視線を合真に送る。その意図を汲んだ合真は、腕により一層力を込めて肩を組みなおす。

 悪意のないそれには、Heel Oを鼓舞する意図があった。


「いや!お前は最高潮だ!俺と渡り合える奴なんて滅多にいないんだぞ?それにな、この下には確かに何かがある。俺たちはそれを調査しに来た、いわば正義の味方ってことだ!」


「そうなノか!俺ハ絶好調か!」

「そうだそうだ!わははは!!良かったら俺たちと一緒に戦わないか!」

「いいノカ!?やハり頼もしい仲間ダナ!」

「それはこっちのセリフだ!」


 両者は肩を組み合い、健気に笑い合っている。

 その様子は戦地で相棒と再会したかのような陽気さがあり、その反面、笠待の頭を大いに悩ませることとなる。Heel Oを味方として迎えることは、頼もしくある反面、扱いの分からない不確定が孕む。

 しばらく考えた末、笠待の頭にたった一つの解決策が思いついた。スマホを取り出して電話を掛ける。


「もしも~し、晴?」

 電話口から聞こえる声は、笠待に無類の安心感を与える。


「こだまああ、やっと終わったよ~」

「おつかれ、今日めっちゃ長かったじゃん。もしかして強敵だった?」

「うん、合真でも勝てるか怪しかった」

「…ほんとに?とんでもないじゃん。今から帰り?」


「うん、そうなんだけどさ、ほんとに折り入って一つ頼みがあってさ…」

「何?」


「こだまのところにその強敵連れてってもいい?」

「やめて?」


 黒鷺は電話越しで悩む素振りもなく、その申し出を断る。


「お願いだって…悪い奴じゃなかったんだよ。ただちょっと倫理観がおかしいというか、ヒーロー気取ってるというか…」

「私のこと見殺しにする気?」

「こだまならなんとかできるでしょ?こういうの扱えるじゃん…お願い!!」

「…まあとりあえず連れてきなよ」

 別れの言葉もなく、切られた電話からほんのり怒りを感じた。


「どこに電話してたんだ?」

 Heel Oを連れた呑気な合真が、笠待に話しかける。


「こだま。Heel Oの面倒見てもらおうと思って」

 合真はそれを聞くとわざとらしく深刻そうな顔をして、Heel Oの方に向き直る。


「Heel O、今日から黒鷺ちゃんって子にお世話になるんだ。ただし!行儀良くしろよ!?ぼこぼこにされるぞ…ワンチャン俺よりも強いんだからな…」

「合真よりも強いノカ!?俺も一緒ニ戦ッて…!」

「馬鹿!礼儀がなってこそのヒーローだとは思わないのか!?黒鷺ちゃんは悪者なんかじゃない!ちょっと怖いだけだ!この笠待ちゃんのように!」

「分かッタ!!オ世話ニナロう!」


 小馬鹿にしたような芝居には、黒鷺の負担を軽減しようとする意図があった。

 合真はHeel Oの扱いには慣れたようで、その性急な性格を見事に扱っている。元より波長が合うのか、Heel Oは合真の言うことには反論せず、合真が師匠であるかのように聞き従っている。


「じゃあ帰るか…」

 来た時よりもノイズが二倍になった目覚まし時計に、笠待は肩を落としながら、とぼとぼと合真の方へと歩いていった。


 黒鷺占霊所

「黒鷺チャン!本日からご面倒をオ掛けしマス!Heel Oと申しマス!よろしくオ願いしマス!」

「…」

 動くマネキンを目にした黒鷺は言葉を失う。


「おいHeel O!もっとお辞儀は深くだ!ぼこぼこにされたいのか!?」

「ハいッ!!」

「…とりあえず、黒鷺でいいよ」

 Heel Oは道中で練習した通りに、深々と頭を下げて迎え入れてもらうための口上を述べる。流石の黒鷺もそれには面を食らい、その状況に理解が及ばなかった。


「お前らは何を連れてきて、何を吹き込んだんだ…」

「ごめんこだま…私に止める元気はなかったよ...」

 黒鷺は笠待のやつれきった顔を見て諦めがついたのか、大きなため息を吐いて、とうとう三人をシャッターの奥へと通した。

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