第17話 笠待晴は今日も死ぬ

 2024年6月30日

「…とりあえず連れて来な」

 黒鷺は電話を切ってソファに投げつける。


「仰丸~朗報だ~面倒事が増えたよ~」

 黒鷺が時に見せる奔放さに、初めこそギャップを感じていた仰丸であったが、今となってはそれに見向きもせず、与えられた小説に目を通している。


「そうか、頑張ってくれ」

 自身が面倒事であるという自覚のない当人は、その報告に全く興味を示さない。黒鷺は、そのぶっきらぼうな態度に業を煮やすことはなく、ソファに収まる狼を横目に話を続ける。


「今から晴と合真が来るから急いでどっか行った方が良いよ。出来れば山とか見つかりにくい場所」

「笠待無事なのか。二階に隠れるんじゃダメなのか?」

「合真は多分見つける」

「仕方ねえな、行くか」

 重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がる仰丸。そのタイミングを見計らっていたかのように、黒鷺は重要事を付け加える。


「ちなみに合真めちゃくちゃ速いから、あと一分くらいしたら来るよ。早くして」

「早く言えよッ!!」


 仰丸は黒鷺に悪態を吐きながら、庭へと通じる窓を飛び出した。

 風のように消えていったあとの部屋は、いつもよりもすっきりとしている。仰丸が黒いソファに残した毛を粘着ローラーで片付けていると、裏口のシャッターが勢いよく叩かれる。


「今開けるよ~」


 黒鷺は裏口に向き直って、ゆっくりと歩いていく。

 いつもの靴ではなく、サンダルに足を通してシャッターに手をかけた。シャッターが開かれると、それに遮られていた禍々しいものが姿を現す。


 笠待と合真の間に立っている、白くて異様な『何か』。顔のパーツが一切にない。純白さは体現するように、善い心を持っているように見えるが、その雰囲気は禍々しさそのもの。

 文字通りの明らかな怪異であると悟った黒鷺。

 瞬時に電話が罠であったと感じ取る。止まった思考を取り戻し、苦し紛れに能力を発動しようとする。その力は最大限に引き伸ばされようとしている。

 しかし『白い何か』はいきなり頭を下げた。黒鷺の推察は全くの勘違いであった。


「黒鷺チャン!本日からご面倒をオ掛けしマス!Heel Oと申しマス!よろしくオ願いしマス!」

「…」


「Heel O!もっとお辞儀は深くだ!ぼこぼこにされたいのか!?」

「ハいッ!!」


 合真はその怪異を完全に従えているようであり、何かを吹き込んでいることは明白であった。黒鷺の能力が発動する予兆に対して、降伏するようにお辞儀をしているのが証拠である。

 黒鷺にはそれが合真と並ぶ存在であるとは、到底思えなかった。


「…とりあえず、黒鷺でいいよ」

 黒鷺は笠待へと視線を移す。

 早起きが苦手な笠待が、朝に怪訝な表情を浮かべていることは少なくない。しかし、それとはまた違うやつれ方をしていることが窺えた。


「お前らは何を連れてきて、何を吹き込んだんだ…」

「ごめんこだま…私に止める元気はなかったよ...」

 黒鷺は大きなため息を吐きながら、とうとう三人をシャッターの奥に通した。


「で、こいつは何なの?」

 黒鷺はブラックコーヒーを淹れて、合真の前に置き、同時に笠待にはエナジードリンクを投げ渡した。無論、摂食器官を持たないHeel Oには何も差し出されない。


「今日の調査で出くわした。悪人を裁くために活動してて…私たちを悪人と勘違いした…らしい?」

「申し訳ナかっタ!」

 どのような惨事が起こったのか、黒鷺には想像し難い。

 目の前に座した人ならざる者は、黒鷺の目には正直者のようにしか映らない。それどころか、童心のような純粋さを感じるほどであった。

 しかし、機械的で男性的な声に童心を浮かべることは、何よりも想像に難い。


「謝れることは美徳だ。今度から悪者を倒すときは誰かに相談してからにしてね?」

「分かッタ!約束シよう!」

 先ほどまでの不安は思うほど深くはなく、存外、扱いは容易であった。

 しかし、わざわざ面倒事を引き連れてきた、笠待への疑いは未だ晴れない。笠待は、疑いの目から何かを読み取ったのか、事の顛末を話し始めた。


「Heel Oは悪者を探知することができる。いつもは簡単に見つかるけど、今日は調子が悪くて、私たちを悪だと勘違いしたってわけ」

 まるで自らが全くの純真であるように語る黒鷺は、それを思いつつも、表情には出さずに話に耳を傾ける。


「調子悪いっていうのは何?」

「今日は反応が地中にあったんだって」

 黒鷺の脳内では、仰丸に説明した内容全てがフラッシュバックする。


「それってつまり…」

「そういうこと。未開の地下鉄が存在している可能性が格段に高くなった。田舎の地中。入口なんてないだろうね」

 それは真相へと近づく大きな一歩であった。

 未開の駅は存在し、出現する怪異はそれに引き寄せられている。正義の心を持つHeel Oがその場にいたことは、皮肉にも証拠であり、また事実であった。

 善悪を関係なしに、黒鷺がそう判断するのと同じように、怪異として括られるものは引き寄せられる。そう仮定した黒鷺は、Heel Oへの考えを改めるには至らなかった。


「Heel Oには調査に協力してもらおうと思って。本当にあることが分かれば、これから動きやすくなるでしょ?」

 笠待が説明を終えたタイミングで、合真はソファを立ち、黒鷺に耳打ちをする。


「黒鷺ちゃん、Heel Oにも説明してやっていいか?ちゃんと言うことは聞くみたいだし、人間に危害はないだろうし」

 黒鷺は少し悩んだ素振りを見せた。しかし、現状に危険はないと判断し、すぐに前向きな答えを出す。


「分かった。私から説明する」

 途端に期待の目を向けられ始めたHeel Oであったが、当人はその重要さを理解していない。正義に生きて、正義に死ぬことこそが定めであるかの如く、他の一切に興味を持たず、理解しようとする気を示さない。

 黒鷺はその性質を見抜き、それを逆手に取ろうとした。


「Heel O、今からこの雄大な地を滅ぼさんとする巨悪について教える。急に暴れたり、それを倒しに飛び出して行ったりしないことを約束できる?」

「もちロんダ!」

「聞き分けのいい子だね」



「この地にはびっこたっこという伝承が存在する。地下鉄の駅を住処にしていたその生物は、今から一年半前に突如として消えた。絶滅したかと思われたが、ところどころに何匹か現れる。それは住処が増えて現れる頻度が減ったから。Heel Oが察知した反応は、未開の地下鉄駅があることを示唆している」

「ホう」


「それからというもの、ある地域で高頻度で怪異が集まっている。何度倒しても現れ、毎日のように倒してもその勢いは止まない。私たちは怪異が出現する場所に、大方の当たりを付けてマップを作製した。今日笠待たちがいたところもその一つ」

「ナるほど」


「私たちは怪異が引き寄せられるところに駅が存在し、それがいつか開かれたときに厄災が起こり、悪が蔓延ると考えている。いつか大変なときには手を貸してくれる?」

「当タり前ダ!正義ノ名ノもとニ全部倒す!」

「頼もしいね」

 黒鷺は身体の向きを変える。そこには疲労からか、すっかりソファで寛いだ笠待の姿があった。


「とりあえず…Heel Oはうちで預かるよ。役に立ってくれそうだし、仲間なんて何人いても足りないからね」

「ありがと~こだま~」

「そういうときばっかいい顔しない、もう引き受けないからね~」

 笠待は黒鷺に寄りかかるようにして、ソファに飛び込んだ。

 笠待が元気な様子は、黒鷺にとっては癒しそのものであった。小動物のような愛くるしさを感じ取っている。黒鷺が能力を持ったこと、占霊所を引き継いだこと、それら全ては、笠待に元気に笑顔で過ごしてほしいという理由があった。


 笠待に何かが降りかかるとき、黒鷺が持つ怒りは仰丸に劣らない。


「今度笠待と合真と一緒に他の仲間に挨拶に行ってくるといいよ。皆優しかったり、強かったり、良い人たちばっかりだよ」

「まダ仲間がいるノか!」

「あと三人いるぞ!紀平きだいら 天正、石枯いしがれ 梨央ちゃん、由亥ゆがい 綾ちゃんだな」

「そうカ!そノ時ガ楽しみダ!」

 4人の空間を暖かいものと形容するには、現状が過酷を過ぎている。ぬるい。これから起こることを、想像していないように。


「じゃあ帰ろ、また迎えに来るよ」

「じゃあナ!Heel Oいい子にしてろよ!」

「まタ会おう!」

 笠待と合真は並んで裏口まで進んでいく。比較的自宅が近い笠待は、行きのように合真に送ってもらわずに、自分の足で帰ろうとしていた。


 笠待が帰路に着くとき、由亥は必ず現れる。そしてそれは良くないことが起こる予兆であった。


「よいしょ、はい笠待ちゃん!」

 合真がシャッターを押し上げる。


「どうも」

 シャッターに手をかけたままの合真は、笠待なりの感謝を受け取った。

 シャッターをくぐると、先ほどまでは見えなかった青い空が目に映りこむ。しかし、笠待はどこか違和感を覚える。一見して晴天に見える空であったが、良く見渡せば、雲が一か所に固まっている。

 雷雲のように黒く、不穏なそれは笠待の頭上で止まっており、何か危険を予感させると同時に、その手にはメッセージが握られる。


 『避けろ』


「…!」

 真っ先に危険を感知したHeel Oはシャッターに向かって飛び出そうとしている。


「笠待ちゃんッ!!」

 コンマ数秒の違い。裏口に一番近い合真もそれに気付き、地面を強く蹴っていた。


 差し伸べるべきはその手であり、決して言葉ではない。

 それが届いたところでどうすることもできないからだ。曇天の下で行われた調査。そこで見つけるべきはHeel Oではなかった。

 Heel Oと合真の存在に恐れをなし、雲の陰に隠れて機を窺っていたそれは、今になって笠待へ鉄槌を下す。


 激しい落下音。何かが空を切る音。


 落雷のように落ちたのは三叉の槍。

 海の神を思わせるそれは、神話に則らずに空から投げられた。笠待の頭を貫き、地面に固定するように刺さっている。

 はく製のように無理やり立たされているその身体は、力を無くし、狼が持つような威厳は持ち合わせていない。


 その場に追いついた合真とHeel Oは呆然と立ち尽くす。

 何もできずにいる。それを否定しようとするほど、なおどうしようもない。

 黒鷺はすたすたと歩き、裸足で外に飛び出した。あまりに突然のことに全員が言葉を失っている最中、由亥が姿を現す。


「先生…!!!」

 由亥は亡骸の前で泣き崩れた。寄り添うことができない遺体は、目や口から惨たらしく血を流している。


「合真、Heel O、次は守ってね。笠待は生き返るから」

 黒鷺は泣き叫んでいてもおかしくない。

 しかしこの状況で、一番に落ち着いて状況を整理し始めている。その場でそれに気づく者は、一人を除いていない。


 親しい友人を亡くし、強いショックで頭がおかしくなってしまった。誰しもがそう思っていたであろう。

 しかし、由亥だけは黒鷺の異変に気付く。はっとして黒鷺の方を見るが、大切な人の死体を見て涙を流すその目は、死んでいた。




「よいしょ、はい笠待ちゃん!」

 合真がシャッターを押し上げる。


「どうも」

 シャッターに手をかけたままの合真は、笠待なりの感謝を受け取った。

 シャッターをくぐると、先ほどまでは見えなかった青い空が目に映りこむ。しかし、笠待はどこか違和感を覚える。一見して晴天に見える空であったが、良く見渡せば、雲が一か所に固まっている。

 雷雲のように黒く、不穏なそれは笠待の頭上で止まっており、何か危険を予感させると同時に、その手にはメッセージが握られる。


 『避けろ』


「…!」

 真っ先に危険を感知したHeel Oは、シャッターを抜けてそのまま外へ飛び出す。

 頭上からは、何かが高速で落ちてきていた。Heel Oは地面を足の形に凹ませる。その姿は、初めに合真が放ったアッパーカットを想像させる。頭上に向けて激しい拳を繰り出した。


「グッ!ウオオおおッ!!!」

 コンマ数秒後、合真が外へと飛び出す。

 槍を抑えるHeel Oを見て状況を判断すると、瞬時に槍の高さまで跳び、Heel Oを圧していた槍を掴む。合真はそれを引き抜くように、軌道を外した。

 引き抜いた槍をそのままに着地し、遥か上空をめがけて投げ上げる構えを取る。


「合真ッ!!!」

「狙うはヘッドショットッ!!!」

 合真はHeel Oよりも更に深く踏み込む。

 限界を超えた力で神聖な投擲物を投げ飛ばした。戦闘モードの合真から放たれた乾坤一擲の槍。それは落下時よりも速度を増し、物理法則を無視するかのように加速する。高速で雲の上まで昇り、一瞬にして見えなくなる。


 その槍の持主の生死は分からない。しかし、敵を倒したかのように雲は消え去り、晴れ晴れとしていた。


「晴ッ!大丈夫!?」

「うん、ぎりぎり。ありがとう、Heel O、合真」

 笠待は自分が命の危機に瀕していたことを認識し、たどたどしく言葉を並べる。その身体は黒鷺が支えていた。


「すまナい、俺がさッき見つけて倒していれバ…」

「いいよ、助かった」

 そのとき、由亥が裏庭に現れる。その表情は既に何かが起こったことを察している。その表情は、笠待への心配で一色に染まっていた。


「先生っ!」

「お~、綾」

「お~じゃないですよ!何があったんです...うわっ何これ!」

 笠待へと駆け寄る由亥は、視界に映った真っ白なモノに視線を奪われ、一歩身を引いた。Heel Oはその反応を見ても一歩も引かずに、由亥が離れるほどに距離を詰めていく。


「初めマして!仲間に入れてもらッタ、Heel Oダ!」

「…どうも」

 由亥の表情は硬く、差し出された手をかろうじて握るだけであった。


 何で黒鷺さんは、先生が生き返ると言ったのだろうか。親友がいきなり死んだショックで、口をついて出た妄言なのか。先生が助かったのを見ても、ただ安心している様子だった。偶然だろうか。

                            2024年6月30日 失敗




「…ッ!」

 笠待への攻撃に誰よりも早く気付いていた者は山に籠っていた。しかし、その者が山を飛び出す前に脅威は去る。その安否を確認したくても、そこから出ることは叶わない。生殺しの状態であった。

「合真ってやつか…」

 仰丸が単独で山に立ち入ることは久しい。しかし、少年のようにはしゃぐことはなく、ただ淡々と実家に帰ったような気分で探索をしている。人の気配なんてない、静かな空間。そのはずであった。

「よお、お前、さっきとんでもない殺気で飛んで来ようとしてたな?」

 仰丸は音もなく背後に現れたそれに、焦る様子も見せずに振り向く。仰丸の目に映ったのは、Tシャツ姿にサンダルを履いた男。そのシャツが悲鳴を上げているかのように、男が持つ筋肉は強調されている。その背は仰丸には届かないものの、仰丸がこれまでに見てきた数少ない人間の中でも群を抜いていた。しかし、仰丸の視線が釘付けになったのは、山中に似合わない格好でもその大きさでもなかった。

「お前か、合真って奴は」

「なんだ、俺のこと知ってるのか。今日の俺さ、不完全燃焼なんだよ。ちょっと相手してくれよ」

「俺は半年くらいだ」

「いいねえ!欲求不満かよ、動物さんッ!」

 合真は一瞬のうちに仰丸の眼前に現れる。その拳に遠慮はなく、Heel Oに浴びせたのと同じものを振るっている。その顔は狂気に笑っていた。仰丸は、下段から突き上げられた拳を左手で受け止める。

「お前は今日で成仏するんだよ」

「…お前、舐めてるな」

「冗談だ」

 こうして壮絶な大喧嘩は始まったのであった。

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その笠を乗せるのは α_troughy @39808940

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