第6話 可能か、否かは、別として


     『その笠を乗せるのは』


 2024年 6月27日

 仰丸は人通りの少ない夜道を歩いていた。たとえ突然人が現れたとしても、身を隠せるルートが綿密に練られている。その夜は雲一つなく、幸か不幸か、暗い夜道を月が明るく照らしていた。

 ふと仰丸の中に、笠待が話していた狼男という話が浮かび上がる。


「仰丸って生まれつき狼なの?」

「難しいこと聞くな」

「いや、どういう経緯で人と同じ頭脳を持ったんだろうって思ってさ」

「それは俺にも分からん」


 仰丸はのらりくらりと、質問を躱しているように見える。笠待はキッチンでせわしなく手を動かしながら、仰丸に問いを投げかけていた。


「もし人間になれるとしたら、なりたい?」

 笠待の問いに対して、仰丸はそれが愚問であるかのように思いを吐き捨てる。


「正直人間に憧れはあるが、今の自分を捨てるくらいならいっそこのままでいい」


 真面目に答えているようで、その裏では笠待の目を盗み、付け合わせのにんじんを爪で刺して食べている。笠待はそれを見通していたが、あえて見過ごしていた。

 フライパンの中で焼きあがったステーキ。仰丸の皿の上にそれを乗せるが、すぐに手をかけようとする仰丸を笠待は制止した。


「まあ待てもできないくらいなんだから、野生の狼がちょうどいいよね」


 笠待は自分の皿をテーブルに置いて手を合わせ、いただきますと言う。しかし、笠待が食事に手を付けるよりも、先に仰丸がステーキを口に運んでいた。しかしそれもいつものことであり、笠待は気にかけることなくステーキに舌鼓を打つ。


「狼男とは違うもんね、ずっと狼じゃ紛れて人殺せないし」

「狼男ってなんだ?俺とどう違うんだ」

「人にも狼にもなれる文字通り半人半獣の化け物のお話だよ。うろ覚えだけど、人間に変身できるとか夜に月見て変身するとか」

 仰丸は思わずステーキを口に運ぶ手を止めて、険しい顔をした。


「俺もある意味で半人半獣だが…生きにくいなそいつ」

「何でもいいけど、仰丸がケンタウロスの類じゃなくてよかったよ」


 仰丸は思い出に耽っているうちに、笠待の下へとたどり着く。いつものように庭に回って緑色をした下屋に飛び乗り、身を縮めてようやく収まる窓を開けて中に入る。

 その日に限り、部屋は真っ暗であった。昼間の感謝どころか、歓迎も感じられない仰丸であったが、そのまま笠待が待つキッチンへと向かう。


 階段を下りていると水の流れる音が聞こえた。すると次には包丁がまな板を強く叩く音。笠待はいつも通りキッチンにいる。仰丸はそれは分かっていたものの、何を作っているのかまでは想像できない。肉が焼ける良い匂いがする。

 リビングのドアを開けると、そこには豚骨を砕くことに苦戦している笠待がいた。


「よう、笠待何作ってんだ」


「これ?豚の骨割ってる、豚骨スープ作るには割った方が良いって聞いたからさ。もう疲れたから仰丸やってよ」

 昼間の疲れを感じさせるような、気怠そうな目をした笠待を押し退けて、仰丸は台所へと体を向ける。しかし仰丸といえど、ただでは仕事は請けない。


「今日の飯は?」

「豚のスペアリブ」

「やってやるよ」


 手で骨を割る仰丸の横で、笠待が興味深そうにそれを覗き込む。そのうち立っていることさえ億劫になったのか、椅子を持ち出して仰丸の様子を観察していた。

 暫くしてそれにも飽き、黙々と作業に当たる仰丸に、昼間の出来事を話し始める。


「今日仰丸と別れたあとさ、医者みたいな人に襲われたんだけど」


「ああ、あれな。何かの気配を感じたから、俺が木抱えて見張ってたぞ。本当に来ると思わなかったけどな」


「やっぱ仰丸か。目の前の男が一瞬で吹き飛んだと思ったら、木丸々一本飛んできて何かと思ったよ。今日の病院に関係あった人かな」


 笠待の話し口は、自身が命の危機であったことを全く思わせない。意に介していない様子でそれを話している。仰丸は背後から迫る何者かを気取り、自然から調達したの武器を携え、隠れていた。

 槍のように軽々と投げられたそれは、正確無比に医者を打ち抜いた。しかし笠待はただ淡々と事実確認をしているだけで、今日起こったことに興味を失っている。

 話は笠待の仲間へと移った。


「いつもの子には怒られたのか?」

「いや、おかげで怒られずに済んだよ。心配が勝ったみたいで」


「能力は使えなかったのか。いつもみたいに教えてもらえばよかったじゃねえか」


「そんな便利じゃないんだよ、私の能力は対象をある程度理解しないと反応しないからね。私が気付いたことを基に、導き出せる範囲のことを教えてくれるんだ。言うなら、その状況を乗り越えた未来の私がくれる助言って感じかな」


 笠待は自身の力を思考のショートカットと言い、卑下はしていないものの、誇ってもいない様子であった。しかし、自衛の策として使い勝手が悪いことは、はっきりと明言する。


「もし助言が来たとしても、それが私にできることとは限らない。そういうときは大体、同行している者に対しての命令であることが多いよ。もっとも、この紙に強制する力はないからただの紙切れなんだけどね。私の意志では白紙しか出ないし」


 仰丸は笠待の力については、不明な点が大半であった。たった今も、知ったのはほとんど見かけのことだけであり、仕掛けについては考察のしようもない。


「その紙はどっから出てんだ?」

「わかんなあい。でも白紙の紙切れなら無限に出せるよ、ほら」

 笠待はその手から紙が溢れ出す様子を見せた。

 

 その紙はいきなり空間に出現したような振る舞いをしており、笠待の手に穴は開いていない。片手では口を押さえ、あくびをしていた。もはや床に散らばる紙を気にしていない。

 そんな笠待の様子を見かねて、仰丸が念を押して聞き直す。


「おい、飯作ってくれるんだろ?作ってくれるまで寝かさんからな」

「勘弁してよ~、山登り疲れたよ~」


 仰丸に肩を揺すられ、無理やり目を覚まされる。やけに大振りに揺すられる自分の体に危機感を覚えて、揺れる視界で必死に答えた。


「じゃあ、仰丸も手伝ってね」

「俺は食う専門だろがよ。…まあ仕方ねえな」


 手伝うことを条件に夕飯にありつけるはずが、実際、笠待は横から指示を出すだけであり、ほぼ全ての工程を仰丸が補った。笠待はというと、平皿にライスを見繕い、いつの間にかソファに沈んで料理を待っている。

 その視線の先はニュース番組であり、仰丸を気に掛けようという意思はさらさら感じられない。仰丸は無造作に盛り付けたスペアリブを笠待の前へと置いた。


「サンキュー、今度から仰丸に任せようかなあ」

「お前…今度から守ってやらないからな」

「うそうそ」


 笠待は仰丸の脅しを気にも留めない様子で、いただきますと言って食べ始めてしまった。仰丸はこれが二日ぶりの食事であることを思い出した途端、食べなければならないという義務感に近い衝動に駆られ、それをさっさと口へ運ぶ。


「教えてもらえれば結構できるもんだな」

 仰丸は、初めての手料理に感動を覚えた。


「旨かったな、もう寝るか?」

「いや、仰丸に話すことが増えた」

 食べ終わった肉の骨が転がる皿をそのままに、笠待は話を切り出す。


「明日の調査、先ずは駅からちょっと離れたアパートだって」

 仰丸は笠待の話を聞き、その内容よりも嫌な推察が頭を過る。


「おい、もしかしてまた飯を食うなって言うんじゃないよな…?」

 満腹に近い幸せな気分を壊されることを覚悟して、笠待に問いただした。


「違うよ。仰丸の腹時計なんかいらない」


 仰丸の反論に、被せるようにして否定する笠待。仰丸は腹立たしい言い方には目を瞑り、自分の食事が脅かされないことに胸を撫でおろした。


「よくこんな立て続けに見つけられるもんだな」


 笠待は自身の力を利用して、調査対象を見つけることができる。その力の特性ゆえに、普段から思考を巡らせておかなければならない。その他にも、仲間と作りあげたデータベースやら統計やらを話してはいたが、仰丸の理解が及ぶ話ではない。

 笠待は憂鬱な顔でテレビを指差した。


「私だって見つけたいわけじゃないんだけど。ニュース見てたら勝手に」

 そのニュースは、棺路駅近くのアパートにおける焼身自殺を取り上げていた。


 25日、棺路駅周辺のアパートで火災が発生し、二十代の男性が死亡しました。

 アパートは全焼し、六人がやけどなどの軽傷です。火は発生から約四時間後に消し止められました。アパートは全焼し、焼け跡からは男性の遺体が見つかっています。


「それに対して、私の紙がこれ」


 笠待の手のひらには、『見るな』と書かれた紙が一枚。それはそこに何かがいることを示唆していた。見てはいけない何かが。


「見るなって言われても、何が対象かまでは分からない。アパートなのか、焼けた遺留品なのか、それとも遺体なのか、あとはどの状況で見てはいけないのか。行ってみるしかないね」


「俺もついて行っていいのか?白昼堂々と」


「大丈夫でしょ、というか仰丸に犠牲になってもらわないと私死ぬかもだし。あとはフィジカルで何とかして」

「おいおい…」


 仰丸を顧みない無茶な要求をする笠待。うつらうつらとしたその姿は、今にも気を失ってしまうかのように思えた。仰丸に不安を与えたまま、笠待はソファに寝転ぶ。


「私はもう眠いから…寝る…お風呂は…明日入る」

「分かったよ、しゃあねえな。おやすみ」


 仰丸はそう言うと、電気を消してリビングを後にする。降りて来た階段を再び上り、ドアが取り外してある部屋へくぐるようにして入る。そのまま大きなベッドに腰掛けた。

 仰丸は今日のことを思い出し、笠待の身を案じる。それはいつものことであった。仰丸が気配に気づくことなく、笠待と別れていたなら、今日のこの時間は無かったかもしれない。笠待が危険に身を投じてまで、執拗に未来の自分に従う理由が、仰丸には分からない。


 己の無知さに嫌気がさして、考えることを止めると眠りに落ちた。


 2024年6月28日

 仰丸は陽が差さない朝を迎えた。雲に包まれた悪天候は仰丸といえど、心地の良いものではない。鳴りやまない雨音が気になって体を起こすと、笠待を起こしにリビングへと向かう。

 リビングは昨日の食器がそのままで、衣服もばらまかれたまま、雲とカーテンが完全に光を遮って完璧なねぐらを完成させていた。


「おーい、起きろ。朝だぞ」


 ソファに沈み込むようにして寝ている笠待を起こすために、やさしく肩を揺らす。すると、笠待の手から一枚の紙切れがひらひらと床に落ちた。そこには『起こすな』という言葉が書かれていた。

 仰丸は、それが朝が弱い笠待の抵抗だと思い、しばらくは体を揺らして声を掛けていた。しかし、当の笠待はいつまでも不機嫌な顔一つせず、ぐっすりと眠っている。不信感を覚えた仰丸に、昨日の笠待との会話が過った。


 『私の意志では白紙しか出ないし』


 仰丸は、その紙切れが笠待の空しい抵抗ではないことに気付き、小さな身体を揺らす手を止め、そっと離す。息を確認するが、規則的な呼吸が確認できた。見かけは完全に寝ている姿の笠待に、仰丸は頭を捻ることとなる。

 テーブルには、昨日の夜に笠待が出した『見るな』の紙切れが置いてある。既に怪異からの影響を受けていること、そしてこの助言を何らかの形で無視したこと、それを判断材料に思考を巡らす仰丸。


 やがて一つの仮説が思い浮かぶと、大きなため息をついた。


「おい、これでどうやって俺についてこいってよ。初見殺しってやつか?」

 仰丸には自分に与えられた命令を黙って聞くことと、笠待がどうにかするのを、信じて待つことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る