第4話 責任を賭けたギャンブル
『その笠を乗せるのは』
2024年 6月27日
「ねえ、トロッコ問題って知ってる?知らないよね。聞いてもいい?」
「勝手に聞けよもう…」
依然として頭の上にいる笠待に、仰丸はされるがままであった。それは操縦桿を握ってロボットを動かすパイロットの様。
「まあ本来はトロッコだけど、トロッコじゃなかったりとか、対象への好感度は均等、どちらも他人だとか本来の設定は色々あるんだけど、私が聞きたいように変えるね。今から私がするのは、てめえの覚悟はどんなもんかって話だよ」
仰丸はただ受け身に回り、反抗の意思すら示さない。笠待の砕けた言い回しは、この状況を楽しんでいるという何よりの証拠であった。
「どんな状況を考えてもらっても構わない。仰丸には大切な人が二人いる。しかし惨いことに、その二人ともが命の危機に瀕している。どちらか一方しか助けに行けない状況で仰丸ならどうする?」
仰丸はその状況でどうするか、それを悩むよりも先ず大切な人を思い浮かべることに難儀する。笠待と天秤にかけてつりあう誰かを思い浮かべようとするが、うまくいかない。結局、想像に難い同族を天秤にかけることとなった。
「…もし一人が俺の同族で、もう一人が笠待なら、俺は少しの迷いもなくお前を助けに行く。だが、二人ともが笠待のように大事だったなら、俺は踏ん切りがつけられない」
仰丸だからこその答え、怪異だからこその価値観を含んだ答えを待ち望んでた笠待は、想像しうる範囲の答えに悪態をつく。
「ごめん、大事な人いなかったんだね。ぼっちじゃん」
「ぼっちってなんだ?」
笠待は呆けた仰丸の頭を毛繕いしながら説明を続ける。
「例えば今のは最愛の彼女と親友が命の危機で、どちらを助けるかっていう設定がスタンダードなんだけど。どちらも助けるっていう選択肢はなかった?私はどちらを助ける?とは聞いてないけど」
「お前が言って欲しそうだったから言わなかった。それと俺が仲良くしてるのはお前くらいだから。お前がいなけりゃ困るから助けに行くんだ」
仰丸の発言に漸く仰丸らしさを感じ、笠待は満足そうにする。
「やっぱり人間的な発言のようで、仰丸は価値基準が違うんだね」
「仰丸の、怪異独特の感性もあると思うけど、純真に私を選んだと信じてるよ。だけど仰丸は二人とも同じく大事だったとき、本当に踏ん切りがつかない?」
「その場で留まることはないが…助けに向かっても、先にどっちを助けるかは想像できないな」
仰丸は隠していた本心を語った。例えその場が仰丸にとって馴染みのない真っ青な海であったとしても、自らを顧みず飛び込む。それこそ、自身の強さを前提とした結論であった。
「それが仰丸のいいとこだよね。助ける理由が純粋に大事だからなんでしょ?」
「笠待は違うのか」
仰丸は上を向きたい気持ちを抑えて、前を向いたままそう聞いた。
「私、というかそこら辺の人に聞いても本式的には違うと思うよ。皆大体どちらかを選ぶことはできないとか言って、両方助ける道を選ぶんだけど」
次に笠待が話すことには、責任という仰丸には理解に難いものが絡んでいた。
「それは何気ないこの質問にも、責任という思考が付き纏うから」
「それは当たり前だ、自己責任と言ったらそれまでだけどよ。命を落とすようなことになるまで放っておいたそいつにも責任はある」
表層の責任は仰丸にも理解のあることであった。それが海で溺れている状況だとしても、崖で落ちそうになっている状況だとしても。それが遊びが過ぎたことでの事故であったとしても、友人を助けようとした結果の二次被害であったとしても。
その責任の所在は、無情にも事故に遭った本人と、また無情にもそこに居合わせたあなた。
「それはそう。事後に追及される責任じゃない、その場で責任が発生するんだよ」
仰丸の理解の範疇を知っていたかのように、笠待はそれを受け止める。全く理解の及ばない領域を話し始めた。
「助ける立場の人間が勝手に責任を感じ始める。親友をさしおいて恋人を助け、親友が死んだなら、そいつは分かりもしない親友の心情を想像し、そのありもしない仮想の心情を怨嗟として感じ取る。恋人が死んでも同じく。愛情、友情という見えない繋がりが、命を落とした責任を追及する。だからどちらを助けるかを決めかねる」
愛情や友情などは所詮は情。信頼とは程遠いものだ、笠待はそう語った。
「なあ人は普通両方を助けに行かないのか。どちらも大事なら死ぬ気で助けに行かないのか」
「恐らく多くの人は、どちらかしか助けに行けないという前置きがあったとしても、両方を選ぶことができるのなら、可能か不可能かに関わらずそれを選ぶ。でもそれは表面だけ。本質には自分を守るという理由があるからなんだ」
笠待は柔らかい声で、しかし決して濁すことなく仰丸を諭すように話す。
「実際にその状況でも突っ込むのか?」
「それは分からない。でも本質的にはこれが必勝法なんだよ。結果はどうあれ自分が苦しまない方法なんだ」
「両方助けるのは絶望的だという状況に、そいつは無茶に飛び込む。もし、両方助けることができたなら英雄になれる。しかし、どちらかを見捨てる結果になってしまったら強い自責の念に駆られることになる。口のない死人らしく、その表情と心情がそいつの中で膨らんでいく。結局は大きな賭け。でも、このギャンブルには責任という負債を負うことがなく、負債を押し付ける必勝法がある。それは一人目を助け終え、その後どんな状況になっていても二人目を助けに行くこと」
「もしも、二人を助けられたなら英雄。二人目の生死を問わずに、そいつ自身が死んでしまってもそいつは偉人になる。全員助かるか全員死ぬかの二択に絞られる。どちらにしろ、そいつはありもしない責任を負うこともなく、死後でも、悼まれ、誉れを受け、感謝される。命を捨てることが最も勝率が高いギャンブルなんだ」
「責任という負債を賭けたこのギャンブルは、助ける本人が圧倒的にアウェーな状態で始まる。しかし、その分責任を押し付ける側に立った者はリスクが高い。もし助けに来てもらった人が死に、自分が生き残ってしまった場合、そいつは救助者が感じるはずだった責任よりもずっと重いものを感じるから」
「まあ、全部机上の空論だから気にしなくていいよ。命を賭けて責任を押し付け合うギャンブルなんてあってはならないからね」
それは自己犠牲の精神をあまりに悪く言ったものであった。自己犠牲は見返りを求めて払うものではなく、負債を背負いたくないから払うものであるという言い分。仰丸は整理のつかない頭で笠待に問いただす。
「俺には難しくてわかんねえな。笠待ならどうするんだ?俺とお前の仲間が危ない状況にいたらどうする」
「私は…その時によるよ。そのときに役に立つ方を先に助ける」
笠待は優しく仰丸の頭を撫でながら続ける。
「でも私なら…かわいい飼い犬を助けちゃうかな」
「てめえこら、振り落とすぞ」
この期に及んでふざける笠待の様子に、仰丸はふと心を落ち着けてしまった。仰丸にとって、人心を知ることは大儀なことであった。人心をただ知るだけではない、本質的にどのような構造をしているのかを理解しなければならない。それが仰丸の目的であり、笠待に乞うていることだった。
「なあ、ちなみにだが、仲間にも聞いたことあるのか?」
「まあ…そりゃ聞いたことはあるけど…」
調査からの帰り。笠待は同行した男と廊下を歩いている。腕組みをしながら堂々と歩くボディーガードのような男に、笠待は興味本位で仰丸にぶつけた問題を同じものを投げかける。
「…っていう状況なら
「そんなの笠待ちゃん一択だろ!笠待ちゃんが助けたいなら惜しみなく力を貸すしな!まずでかい鳥になってビューンって助けに行くだろ?そのまま飛んでいってはるか遠くのきらきら星になる」
我が物顔をして訳の分からないことを言うものの、しかし嘘をつかない男に、笠待は不機嫌を隠さなかった。
「全員生還しちまえば、責任転嫁もねえな!」
「それ私も星になってんじゃん。聞かなきゃよかった」
「これが相間オリジナルだ」
「…だってさ」
「お前の周りは化け物しかいないのか」
「文字通りなのは仰丸だけだよ」
それが誉め言葉かどうかは分からない。仰丸はその発言に目を瞑った。
この問題は、個人の体力や能力を前提にしていない。しかし、時間的制約、第三者の介入、そして『能力』すらも前提にしていない。更には人間の肉体的、精神的な脆弱性を突く問題であり、それを超越する怪異を前提にしていない。そもそもが己が身を滅ぼしかねないという前提の弱者の議論である。
その前提が仰丸を苦しめるのはずっと後。
「まあ無駄話はここら辺にしてさ、そろそろ降ろして」
そう言って、笠待は無造作に肩から飛び降りる。
「やっと自分で歩く気になったのか」
仰丸はわざわざ疲れてもいない肩を回す。
直後、視界の先に人影を見つけた。隠せそうもない巨体で笠待の後ろに回る。
「おい、俺見つかってもいいのか」
「せっかく人と触れ合えるチャンスじゃん。ほらビビらないで行くよ」
気楽に歩みを進める笠待とは裏腹に、駄々をこねる子供のように身体を退けていいく。まともに人間と接したことのない仰丸にとっては、その前に姿を現すことが何よりも怖いことであった。
「そんなに怖気づかないで。だからぼっちなんだよ」
「お前それ悪口だな?」
病室に入りそうになる彼ら。見かねて、笠待はすぐさま声をかける。恐らく他に人の気を感じていなかったであろう彼らは、凍るようにしてその場に硬直した。
「急に話しかけてごめんなさい。私たちここがどこだか分からなくて困っているの。君たちは?」
笠待は意思に反して、偶然迷い込んだ女を演じる。
「…いえ…俺たちも何でここにいるのかがわからないんです。もう一人友達がいるはずなんですけど見つけられなくて…」
恐らく陽田哉十だと思われるその少年は、黑瀬十夏だと思われる少女を守る姿勢を保っている。笠待と対峙している最中も警戒しているようであった。
「あの、私たちって、お連れの方はいらっしゃらないんですか?はぐれたとか?」
黑瀬が陽田の肩から顔を覗かせる。黑瀬の手は陽田の肩の上で震えていた。笠待はため息を吐く。後ろを振り返るが、やはりそこには仰丸はいなかった。
「これから連れてくるんだけど、絶対に驚かないでね。もう想像しうる中で一番恐ろしいもの浮かべて待ってていいから」
笠待は廊下を戻って右に曲がり、仰丸を引っ張って彼らの前に立たせた。
彼らは驚きで口を半開きにして硬直していた。仰丸が近づくにつれて、顔だけが上に向いていく。陽田は黑瀬を守る意思が感じられないようにだらんと腕が垂らしており、黑瀬に至っては気でも触れたのか、仰丸の顔を見て笑っている。
「なあ、笠待。こいつら固まったぞ」
「お前も固まってるだろ。はい、仲良しの握手」
陽田の手を取って仰丸の手を握らせようとしたが、陽田の手が包まれる。実際に触れて現実味を帯びたのか、陽田の顔の陰りが若干晴れた。
「というわけで、私の連れちょっとでかいんだけど襲ったりしないから安心してね」
「なんかもう大丈夫です...こいつは嬉しそうなんで…」
隣で仰丸は黑瀬にされるがままであった。黑瀬は仰丸の手を両手で握り、感触を楽しんでいる。ストレス解消グッズとでも勘違いしているのか、その手を掴んで離さない。
「なんかいい匂いしますね!」
黑瀬ははしゃいだ様子で笠待に問いかける。
「分かる?ここまでするのに大変だったんだよ。弛まぬトリートメントとブラッシングの賜物だよ」
仰丸は放心した様子で二人のことを見下ろす。人間との接触が新鮮で、ひっそりと感動を覚えていた。
「よかったじゃん、仲良くしてもらえそうで」
「ああ、俺はラッキーだな」
「陽田くんと十夏ちゃんに聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
笠待は放心している陽田と現実が見えていない黑瀬を引き戻そうとする。
「…その前に、何で俺の名前を知ってるんですか?」
陽田は、仰丸を見た時よりも驚いた様子で尋ねる。
「それは、私が君たちを助けに来たから。困っているのは嘘、ごめんね」
病院では、入る前の記憶を3つまでしか覚えていられないこと、笠待の記憶のうち、一つは彼らの名前であることを説明し、出来る限りの潔白を証明した。
「私は記憶の条件を覚えた上で、君たちの名前も覚えた。明らかに自衛のためじゃない記憶であることから君たちを助けにきたという結論に至った」
「陽田くんは何か憶えてない?記憶の中に孤立しているものがあるはずなんだけど」
「ごめんなさい、僕は何も…。でも心当たりはあります。俺たちには探している友達がいるんですけど、僕にはそいつとここに来た記憶はなくて十夏にはあるんです。これってそういうことですよね?」
「そういうこと。十夏ちゃんは?」
「私も…ここに入院してる友達しか」
仰丸が姿勢を低くし、笠待に耳打ちする。
「なあ、この陽田とかいう奴。俺より役立たずじゃねえか?」
「自分だって、余計な記憶あるくせに」
「俺は大事なこと憶えててやったじゃねえかよ。こっからどうすんだ?探すかそれ」
「まあちょっとやることあるし、ついでに探すよ」
笠待には陽田に伝えなければならないことがある。しかし、それを言うには黑瀬を遠ざける必要があった。彼らの友達を手分けして探すことを名目に、二手に別れることを提案する。
「これだけ広いとなるとどこにいるか分からない。せっかく私たちと合流できたんだから二手に別れて探そう」
「良いんですか?巻き込んでしまって…」
「私は君たちを助けに来たんだから良いんだよ。悪いけど陽田くんは私に着いてきてくれるかな」
「でも十夏は…」
「仰丸で守れないなら誰も守れないよ。安心して」
仰丸は笠待の発言に目を見開く。笠待が放った信じられない発言に異を唱えたい様子であったが、笠待はそれを受けようとしない。
「おい、俺を見捨てるのか」
「そんな言い方しないでよ、十夏ちゃんいるじゃん。人に慣れる第一歩だよ」
「仰丸さん行こ?頼りにしてます!」
この状況で一番に楽しんでいるのは、紛れもなく黑瀬であった。
笠待は二人と別れ、陽田とともに廊下を一直線に歩く。黑瀬を遠ざけた理由には、黑瀬の身を案じたことと、陽田のプライドを案じたことの二つがあった。
「陽田くん、この病院についてより深く知ってるのはどっち?」
「多分十夏です、足取りが軽いように感じたので。はっきりと記憶としては覚えていないということですかね?」
「記憶の一つとして残っているはず。友達と陽田くんの存在、病院についての何かの記憶はあるみたいだね。上出来だよ」
黑瀬は仲間の存在、病院に関する記憶を保持している。三つ目の記憶は定着せずに何かに置換されている。それが頭の中で孤立していないということは、身近に関するものであるということだ。しかしその事実は、黑瀬ではなく、陽田に牙をむく。
それは陽田の無能ぶりを顕著に表すこととなった。
「陽田くん、君のせいで十夏ちゃんが閉じ込められていることがわかるかな?」
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