第3話 口で伝えるのも大変なんだ

 思いっきり肺に息を溜め込んで、プールの床に触れるぐらい体を沈めた。水の浮力に抵抗するように体に力を入れて、静かに床と水平に足を動かす。


 潜水は競技では禁止。そんなことはわかってて、それでも俺が一番好きな泳ぎ方。

 息を殺して、水に逆らわないように、一人の時間を味わう。


 集中したい時、大事なことの前、覚悟を決めたいとき、いつだって俺は水の中に身を沈めた。

 すると水と一体になってる気がして、浅い呼吸に神経を集中させて、自分の鼓動を全身で感じる。


 こんな時でも、どこから俺のことを見つけたのか、音もなく美波が横に並んだ。

 そして俺の方を向いて、口元だけで微笑む。


 俺はそのまま息が続く限り前へ進む。隣を泳いでいた美波が先に立ち上がるのが見えた。


 俺も、そろそろ。

 ふうっと力を抜いて、水の浮力に体を任せる。途端に感じる浮遊感。


「相変わらず孝弥は息が長いなあ」


 水から顔を出した俺に、後ろから美波の声が聞こえてくる。


「得意なんだよ。意味ないけど」


 いつものように返すけど、俺が水の中に沈んでた理由がある。

 スマホには頼れなかった言葉。美波に会ったら言うって決めた。


「上手だもんね」


 俺のところまで水の中を歩いてきた美波が、いつもの顔で笑う。

 美波は気にしてないのかもしれない。

 それでも俺は……


「あのさっ」


「うん? なぁに?」


「き、昨日、ごめん」


「昨日?」


 何のことか思い当たらない様な美波の顔を見れば、やっぱり気にもしてなかったのかと、自分の覚悟が無駄になった気もする。


「なんか、怒らせたみたいだったから」


「あ、昨日の。ううん。もう大丈夫。あたしもムキになっちゃったから」


「それでさ……」


 美波に伝えたかった言葉はこれだけじゃない。昨日、嫌になるぐらい考えた。謝るだけじゃない。俺の本当に言いたいこと。


「ん?」


「あのっ」


「たかやー! みなみー! 早くあがってこいよー!」


 俺の言葉を遮って、俺らを呼びつけたのは部長だ。美波を好きな部長が俺の邪魔をしたのは、ワザとに違いない。


「今行くー!」


 美波がそう返事をするなり、プールサイドまでの僅かな距離を一気に泳いで行く。


 伝えられないのは、スマホのメッセージだけじゃない。

 肝心なことを伝えるにはやっぱり勇気とか、勢いとか。

 そういうものが必要で、喉につっかえた言葉は大切にし過ぎて風化しそうだ。

 そのうち喉の奥で溶けて消えてしまうんじゃないか。

 出そう出そうと思いながら、既に何日もすぎた。


 早く言わなきゃ。そう思うほど言葉にはならなくて、くだらない言い合いばかり。

 最後の大会が終われば水泳部のシーズンが終わる。三年生の俺たちに待ち受けるのは引退。その後は、美波とこんな風に二人きりで話す時間はなくなる。

 それまでに、早く。早く。


「みなみっ」


 俺がやっと声をかけたのは、練習の終わり学校から出てすぐの道端。

 大会までもう日にちもない、七月の最後。


「たかや。どうしたの?」


「あ、あのさ……」


 帰るタイミングが同じなんて、もちろん偶然なんかじゃない。

 練習の後、急いで着替えて、門を出たところで隠れて待った。まるでストーカーみたいな俺。

 バレたら確実に引かれるようなことをしてまで、美波に言いたかったことはたった一つ。

 謝るだけじゃ足りない、俺の覚悟。


「なぁに?」


 ペンギンの様に歩く姿はやっぱり可愛い。

 近づいてくる美波の顔を見ながら、ゴクっと唾を飲み込んだ。


「今度、かき氷食べに行かねぇ?」


「かき氷?」


「そう! この間テレビでやってた店。行かねぇ?」


「良いよー。誰と?」


 俺の精一杯の勇気を知らずに、美波がとぼけた顔で聞いてくる。


「ふ、二人で!」


「二人? 孝弥と?」


「そう!」


「うーん……」


 返事に困った様に美波の目線が天を仰ぐ。

 俺と二人……やっぱり嫌かな。


「こ、この間、怒らせちゃったから。そのお詫び! 奢るよ」


 何とか美波に頷いて欲しくて、用意してた理由を後付けの様に絞り出す。


「この間? っていつの話ー」


 まさか俺が一週間も溜め込んでたなんて思わないだろうな。

 美波の声は俺のことを揶揄う様に弾んでて、いつもならすぐにでも反発するけど。


「一人じゃ行きづらいし、嫌?」


「孝弥と二人かぁ」


「かき氷、嫌い?」


「かき氷は好き!」


 知ってる。

 だから、探し出した店。


「俺もなんだ。氷ふわふわで、抹茶もきな粉も果物も、どれ選んでも美味しいって」


「食べたいなぁ」


「だからさ、行こうよ」


「うーん。ほんとに、奢り?」


「もちろん! お詫びだって言ったろ?」


「それなら、行ってもいいかな」


 よし!

 奢りとか、本当は厳しいけど。お詫びとか奢りとか、そんな理由なくても頷いて欲しかったけど。

 そんなこと、もうどうでもいい。

 美波と出かけられるんだ。

 二人で。

 

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