第2話 同じ学校なんて無理に決まってるだろ

 真夏の太陽を見ながら泳ぐのは気持ち良いけど、目にはよくないよな。

 目を瞑っておけば良いんだろうけど、時折顔にかかる水に揺らめく太陽が、どうしようもなく綺麗でクセになる。

 さっきまで本気で泳いでいたのに、案の定俺の横を美波が軽快に抜き去っていった時点で心が折れた。

 手足の力を抜いて、沈まない様にゆらゆらと動かしながら、小さい頃に見たラッコの様に岸に向かって頭を進める。


 ゆらゆらと漂っていた俺の頭のてっぺんに、ふよっとした柔らかな何かが当たる感触。

 太陽を味わうのをやめて、目の前の光景を見ようとゴーグルの中の目に力を入れる。

 突然、太陽を背負った美波の顔が目の前に現れた。


「……ご、こぼっ。ごほっ」


 驚いた俺は、閉じていた口を勢いよく開けてしまって、水が一気に押し寄せる。


「ごめんっ。驚かせちゃった!」


「げほっ、ごほっ」


 頭に当たったのは美波の手だ。俺がプールの壁に激突しないように手を出してくれたんだって、咄嗟に理解はできる。

 ただ、水を吸い込んだ俺の気管支は全くいうことを聞いてくれなくて、中に入り込んだ水を吐き出そうと無理矢理咳き込む。


「たかやぁ。ごめんー」


 俺がむせてるのを見ながら、美波の眉がへの字を作りだしていく。


「だ、だいっ、じょぶっ。えほっ」


 咳を混ぜ込みながら、美波のへの字眉を何とかしたくて、必死に言葉を吐き出した。


「ごめんね」


「もう大丈夫だって」


 ようやく落ち着いた俺の声を聞いて、美波の顔に笑顔が戻った。

 俺に向けられたそれは、真夏の太陽に負けないくらい輝いて見える。

 途端に俺の顔が火照ったのは、咳き込んで力を入れたからか、照りつける太陽のせいか。

 間違いなく美波のせいだ。


「最後、何で手を抜いたの?」


「ん? また美波に負けるなぁって思ったら、力抜けた」


「あたしのせい?」


「んなわけないよ。俺の実力不足」


 そう言いながら、別の意味でへの字眉になった美波の頭を力一杯押し込んだ。


「痛い! 痛い! 縮むでしょ!」


「ははっ。これ以上縮まないって」


「酷いよぉ。気にしてるのにさ」


 美波は人一倍身長が低い。女子の中でも断トツに低い。それを本人はかなり気にしてて、毎日牛乳を飲みまくってるって話だ。


「そのまんまで良いじゃん」


「え? 何?」


「なんでもねーよ」


 美波に背を向けて声に出した言葉は、予想通り伝わってなくて、本音が聞こえてなかったことにホッとする。

 俺の身長だって大して高くない。もし美波の背が伸びたら、抜かされるかもしれない。実際、同級生の女子の何人かは俺よりも背が高くって、俺のコンプレックスだ。


「そういえば、今年は夏休みの練習参加するんだな」


 水泳部の夏はこれからが本番だ。明日からの夏休みは、部活の予定だけで埋まりそう。


「うん。今年は参加する」


 美波は去年も一昨年も夏休みは来てないはずだ。大会の本番直前に参加するだけだった。


「珍しくない?」


「今年、おばあちゃん家に行かないから」


「ふーん。何で?」


「何……じゅ、受験もあるし」


 受験生っていうのは憂鬱なもんで、毎年の行事すら取りやめて勉強しなきゃなんない。もちろん俺も。


「プール来てて良いの?」


「それぐらい平気! 孝弥は平気なの?」


「俺? 俺無理しないところ行くし」


 俺の学力なんて既に親は諦めたようで、近くの高校ならどこでも良いって引導を渡された。


「そっかぁ。あたしも孝弥と同じところ行きたいな」


「はぁ? バカじゃねぇの? 美波が行くとこじゃねぇよ」


 美波の学力は知らないけど、悪くはないはずだ。勉強のことで悩んでる姿なんて見たこともない。

 何が悲しくて俺と同じところなんか。


「そんなのわかんないじゃん」


 美波はそう口に出すと、頬を膨らませて、プールサイドに立ったままの俺を置いて足早に歩いて行く。


「美波? どうした?」


 美波の背中を追いかけるように、俺も小走りでついていく。


「なんでもないよ!」


「何怒ってんの?」


「怒ってない!」


 捨て台詞を残して、美波が女子更衣室に逃げ込んだ。

 ここから先は……男子禁制。


「美波? どうした? 俺、悪いこと言った?」


 女子更衣室に向かって一人で話しかけても、美波から返事は返ってこない。

 中に入ることも、覗き込むことすらできない俺に、中の様子はわからない。

 

 諦めて俺も更衣室へ帰る。どうせ今日は良い結果なんて出ない。もう、帰ろう。

 鞄の中のスマホを確認したって、美波からの連絡なんてあるはずもない。

 何よりも手軽な連絡手段は、俺にとっては全然手軽じゃなくて、今日みたいな日でも送信ボタンが押せない。


 交換した意味のない連絡先。伝えることのできないメッセージを打ち込む親指。

 

 明日、会ったら謝ろ。

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