ジングル・ベル!

 最後の音色が響く。

 この季節のことをカノはそう感じる。お互い口には出さないけれどカレも似たように感じてる。

 音色でいえば、これより後にもベートーヴェンの『第九』がアンカーを務める世界があるらしいけど、カノたちにはブータンの山奥で開かれる例祭くらい実感がない、から、この時季のことがやっぱり最後だ。

 最後の音色にはたくさんの種類がある。それにあらゆる電波に載ってやってくる。だから、もしも波形に対してアレルギー反応を示してしまったとしても、おおよそ彼らから逃げおおせることはできない。

 キリマンジャロも、マリアナ海溝も、国際宇宙ステーションも、どこまで行っても、しゃんしゃんと鈴の音は追いかけてくる。

 図書館と核シェルターが唯一の救いかもしれない。もちろん#603に防衛線を引いて殻に閉じこもっても、無駄だ。

 彼らは僅かな隙間にいともたやすく侵入路を見出すし(まるでナメクジみたいに!)、曲調はそれぞれ異なるのに、その柔らかくも張り詰めた印象によって、優しく私たちの手を引いて、一つのドア、一つの海岸、一つの空港、そういう何かしらの境界線まで(いみじくも今から境界線まで向かうんだよと耳元にささやきながら)、強制的にエスコートしにかかる。

 ある人にとってそれは残酷かもしれないけれど、またある人にとっては手袋やマフラーより確実な防寒具にだってなる。

 だから『終末』とか『アポカリプティック』という不穏に彩られた表現より、それら音色の数々を一絡げに規定する言葉は、端的な、『最後』の方が断然ふさわしい。

 とにかく最後の音色が響く。


 帰宅するとカノがソファに寝転がってた。中途半端に腹筋運動でもしようという姿勢でぼんやり天井を眺めてた。

 廊下の照明は遠いリビングにも薄い色をつけるけど、ソファまではなかなか届かない。そんな場所に部屋の電気もつけずに上下黒のトレーナーでいられると、ひょっとして闇の発生源と見紛いそうだった。どんよりとうねってる。

 夕方、18時。それよりはまだ早い、のに、開け放たれたカーテンはもう太陽の光を通さない。眼下に広がる変温動物的な夜景と窓ガラスの冷気が室内に持ち込まれるだけだ。

 カレはこめかみをぽりぽりかいた。日が落ちたらカーテンを閉じるように、とこの時季にはいつも言いつけてあるのだけれども。

 壁のスイッチを「ぱちり」と押し込む。やっと部屋も明るさに包まれる。それでもカノは微動だにしなかった。

 カレは初めて洞窟に踏み入った人のように注意深く、

「ただいま?」と疑問形で呼びかけた。

 とりあえず反応はするけれど、動きはひどく緩慢だ。

 いつもの寝不足や過集中後の電池切れ、とは違う。長年の直感で、動きを見てすぐにそれはわかった。

 ほんのちょっぴりだ。ほんのちょっぴりそういうときとは速度が違う。いわば、なんだろう、今のカノは茫然の北極点みたいな場所に到達してしまってる。

 なにが原因で?

「カノン?」ともう一度声をかけようとしたのを、カレは寸前に保留した。その後に続く言葉は「どうかした?」くらいしかない、けど、その段階に移るにはまだカノの方に受け入れ態勢が整っていないように感じられた。

 もうちょっとソフト・ランディングが必要だ。早急なことはリフィーディング症候群みたいな結果を招きかねない。とカレは考えた。

 茫然の北極点。だから食事もひどく義務的だ。夕食はカノのリクエストでチーズドリアだった、のに、それさえぼんやりしてる。

「というか下準備は君の担当だったのでは?」とも言い出せない。

 ぼんやり、と、スプーンを上下させ、かと思えば時おりふっと動きを止めて室内を眺め回したり、どこか一点に視線を置いたり、する。視線の奥の内面世界に入り浸る。

 程なくすると、ふっと我に返る。モニターにERRORの表示を見つけて、何か腑に落ちないような困惑したような、そういう種類の表情を浮かべる。

 だけどエラーは処理されずに放置され、スプーンの動きに戻る。しばらくするとまた内面世界にダイブする。繰り返し。

『ぼんやりってより子ども返りだ』とカレは思う。

 そのうちに夕食も終わり、食後のコーヒータイムになった。一方がこんな調子だと僕たちの会話もいよいよ乏しいな、とカレはため息をつく。

「ツリー、飾る?」

 泥水ほどの真っ黒な液体に満たされたマグカップが、まだゆらゆら湯気を立てているうちに、カノの方から突然、訊いてきた。

「ツリー?」

 カレは背後のリビングに振り返った。「飾るって、この部屋に?」

「なかったっけ。小さいの。これくらいの」

 なにを言ってるんだろう?

 きっと実家かルームシェア時代のことと混同してる。僕たちが二人っきりでそんなもの飾る理由、ないじゃないか?

 やんわり説明すると、カノは別段焦るでも慌てるでもなく、ただちょっと視線をきょろきょろっとさせて、

「そう」

 とだけ言った。視線と視線のあいだに忘れ物を探しているようだった。

「なにかあったの?」

 聞くなら今だ、とは思ったけど、実際口を開いてみると、やらかしたようにも感じた。

 だけどカノは思ったより平然としてた。

 平然として、言った。

「カレンくんの主人公は、カレンくん自身?」

 なるほど。

 たしかにこれは見切り発車だったかもしれない、とカレは思う。

 ひとまず長期戦だけ覚悟した。


 だけど最後の音色が間延びするのも、なんだか締まらない。

 だから(少しでも手短に済ませるために)、ここはいつかカノが取り入れた前例にならって、彼女の心象世界を再構築してしまおう。

 あらゆるパーツを着けたり外したりしてやがて必要なものだけで構成されるようになった機能美的フィクション。

 脱構築の結果、あらゆる要素をリビルドした物語。

 もはやカノが主人公である必要もない。これはある架空の男の視点に変えて語られる。

 彼は大体アラフォーから、いってアラフィフには満たないくらいの年格好だ。引き締まった肉体というわけでもないし太りじしでもない。背も、まあ、スーツが似合う程度に平均的。配偶者はなし、独身。都心に近い商社に勤め、毎日の通勤には電車と路線バスを用いている。いまは少しの残業ののち、ようやく地元の駅に着いたところだ。日はもう暮れている。

(もっとリアリティを持たせてもいいけれど、このくらいにしておこう。あくまで再構築された物語のための、無塗装のプラモデルみたいなキャラクターだ。もし気になったなら各々自由にカラーリングしてほしい)

 バスに乗り換えるためやってきた地元の駅前に彼は驚いた。

 広場に立つ巨大なもみの木に電飾が張り巡らされている。放射状に、あるいは幾何的に、点滅を繰り返してる。見渡す駅前の全体がそういうイルミネーションに構成されていた。駅から続く街一番の大通りも、並木に光の世界。

 朝には気づかなかった、し、毎年恒例のことなのに、まったく忘れてた。思えばもう月替りだ。驚きは彼自身が季節を失って久しいことのためにもだった。

 大通りの並木は暖かなオレンジっぽい光に彩られている。反対に駅前の広場は青や紫の、寒々しい色が多い。冬の張り詰めた空気を静寂の底まで突き通そうというような感じがする。

 なんとなく非生命的な美しさだ。街にはそういう方が似合うのかもしれない。だけどなんとなく、そこにも生命の余韻みたいなのが感じられる。

 もしかするとさっきから耳に届く『最後の音色』のせいかもしれない。広場のスピーカーから限りなく音を絞って流される、ウィスパーのジングル・ベル!

 演出に、行き交う多くの人が感動に包まれている。

 停留所では少年(6歳くらいだ)が大きく興奮してた。母親に叱られると、ちょっとのあいだ静かになる、けど、またすぐに我を忘れる。やかましいのかそれとも賑やかなのか。

 無塗装の男は親子の一つ前に並んで、背中で微笑んでいた。

 特別子どもが好きというわけでもなかった。ただなんとなく自分の幼少期と重なって思えて、懐かしさから心が和らいでいた。

 ふと、それを失ったのはいつだったろう、とその男は考えた。

 背中に浴びる興奮のようには、感情を無邪気に発露させられなくなった。や、発露、じゃない、そもそも感情が起こらない。内側に無いものを外には出せない。摩耗して、どうにか動くだけは動く、使い古しのバッテリーみたいな心だ。そうなってしまった。

 じっと手を見る。

 在りし日には私の体にも付着していたはずのあらゆる色が、それさえ気づけば剥がれ落ち、白か、黒か、もしくは灰色か、とにかく今や単一の、それも面白みのない無塗装に統一されてしまってる。

 日々のこともまた灰色だ。色ムラなし、滲みなし、縒れなし、影なし、ライティングなし。距離感の掴みにくいモノトーンの廊下がはるか後方からここまでずっと伸びている。

 思い出せ。と無塗装は嘆息する。

 クラスメイトと自転車で目指した海も今や遠い。花見もプライベートではしなくなった。紅葉への興味も薄れた。

 いつからだ?

 ……あの赤と白の砂糖細工が載ったワンホールのケーキ。ほのかなキャンドルの明かり。七面鳥の代わりのフライドチキン。お菓子の詰め合わせのブーツ。

 色があった。赤と緑の主張が激しいことは確かにそうだったけど、それでも色があった。それが、どうだろう。私の今にはモノクロームの写真よりも色がない。

『せめてひと欠片のショートケーキで祝おう』、そんな考えも遠い背中にいつか置いてきた。

「それでツリーを飾りたいだなんて?」

「まだ物語の途中なの」

「失礼」とカレは先を促した。

 ――ひと欠片のショートケーキでさえ祝わなくなったのは、一体いつからか。というよりも、なぜそうなってしまったのか。

 いつの間にか遠くに置いていた少年の声が、ぐっと近づいてくる。

 どん、と足にぶつかってきて、母親が血の気の失せた顔で謝罪する。無塗装はそれっぽい愛想笑いで済ませる。

 子どもは騒ぐのが仕事ですから、なんて台詞は、キザが過ぎて無塗装には難しい。代わりに愛想笑いの中に、バニラエッセンスを一滴垂らした程度のほんのちょっぴりの友好的態度を含ませた。

 そんなことで相手に真意が伝わるかはわからない、が、努めて注釈する気もない。無塗装はいつもそうして自己を隠す。面倒だからだ。

 親子からは何列か離れた後ろの席に、無塗装は腰かけた。それでもバスの中では頻繁に少年と目が合った。少年が座席から身を乗り出すようにして無塗装を観察してた。

 母親の注意で頭を引っ込めても、少年はまたちょっとすると、姿を晒す。さっき足にぶつかった一件から無塗装への興味が尽きない。少年の方ではもう友人とか親戚のカテゴリに無塗装を入れている。

 他の乗客を感じて、無塗装は意識的に窓の外を眺めるようにしていた。けど何度も目が合ってしまう。きっと視線に含まれる引力の影響だ。潮の満ち引きみたいに合っては離れてを繰り返した。

 少年はそのたんびに無塗装に外的反応を求めた。それはなんでもいい、とにかく何かわかる形で意思疎通を図りたい。無塗装はそうとわかっていながら、視線は偶然合ってしまう、程度の範囲に収めてた。だけど終わりそうにない。とうとう根負けして、次合ったら微笑みかけてやることにした。

 実際にそうしてやった直後のことだ。

 突然、母親に向かって、ありきたりで取るに足らない『いつもの会話』を、少年は大きな声でやりだした。そんなボリュームでなくたって隣にいる母親は、焦った様子で我が子を落ち着かせようとする。

 それでも少年は止まらない。会話の内容は本当に陳腐だし、二人のあいだでしか通じない『日常の切り取り』で、そんな大声で語ったところで誰も十分には理解できない、し、多くの乗客は彼らの人生を憶測する必要だってない。

 だけど少年にはそうする必要があった。

 彼はもう座席からも離れて、通路から母親に話しかけていた。『危険ですのでバスの走行中は』のアナウンスも聞こえていない。よりも、少年の意識は(目の前の母親ですらなく)斜め後ろの方に座る無塗装に向けられていた。

 母親に叱られながら、話しかけながら、彼はちらちらと無塗装ばかり気にかけていた。

『ねえ見て!』、『もっと見て!』、『僕をもっと知って!』

 少年にとっては未知の存在である無塗装にも、自分を主張したい。そんなときには世界の迷惑なんてところまで考えが及ばない。

 彼の人生では彼が主人公なのだ。

 そういう意味では、母親が叱りつける態度も正しいけれど少年の興奮も間違ってはいなかった。無塗装はその光景を(原因を作ったことを少し悪びれながら)微笑ましく眺めていた。

 逆に、もしも大人たちが自分こそ人生の主人公だと主張して、子どもには『私』のシナリオを邪魔しない折り目正しい端役としての振る舞いを要求したら、そんな世界はいずれ狂うか既に狂ってるかのどちらかだ。

 無塗装は再び自分の手を見る。灰色の手を。

 かつては私にも鮮やかな色がついていた。いつの間にか色褪せた。それは、つまりモブキャラとして生きるための描画技法だった。その他大勢になるべくモノトーンにレタッチされた、エキストラとしての色使い。

 もう私は主人公ではない。

 その事実は、だけど無塗装を愕然ともさせた。その座は少年に譲るべきことはわかってる。けれども。

 それなら私はこのままずっと単色の人生を送るべきなのか?

 この無味乾燥として、日々の義務をこなすだけの、あまりにも退屈な……?

『甘んじて受け入れるべきなのか』

 いいや。そう簡単に割り切って動じずにいられるほど、この退屈、深閑、揺曳は楽じゃない。平坦。平坦。平坦。平坦がどこまでも続く茫漠たる荒涼だ。

 それとも自我の強すぎることは大人の罪なんだろか。この苦悩をさえ押し殺すことが大人としての務めなのだろか……?

「他人の迷惑のかからないとこでなら」とカレは言った。「自己完結の中で主人公を演じていればいいんだよ」

 カノは首を振る。

 そうしたいのは山々だけれども、そうするだけの情熱さえ失った。燃え尽きた炭に火を付けても、もう火は起こらない。

「だってツリーも飾らない灰色の毎日だから」とカノは言う。

 カレは深く同意する。

 僕たちにはそうするだけの理由がない。

 カノは物語の最後を手繰る。

 実をいうと無塗装とその少年の母親とは、かつての知り合いだった。

 青春の一時期を交際相手として過ごしたことのある知り合い。その過去はすっかり清算されているけれど、なんとなく気詰まりなのでバスの中でも席を離しておいた。

 二人は、ある時期には生涯のパートナーとかそういうことまで考えていた。ただ、無塗装の価値観からいって、彼女は自己の主張が強すぎて、どこにいても無遠慮に主人公を通そうとする、から、そのうちに無塗装の方がくたびれてしまった。

 別れてからどれほど経ったろう。

 偶然に再会したその人はまるで当時の面影をなくしていた。似ているのは容姿と体型と背たけとほくろの位置だけで、中には別の液体が注がれた新製品のようだった。

(生まれてすぐに別の家庭に拾われた双子の片割れといわれても疑わない)。

 でもそう信じるには遅かった。二人は停留所で互いの名前を明かしてしまってる。ちょうど少年がぶつかってきた後だ。

 そのとき交わした簡単な挨拶に、無塗装は彼女の方にも灰色の気配が充満してることを感じ取った。あれだけ色彩豊かだったその人が、今では『私』と同じエキストラを演じてる。

『どれだけの人でもそうなるんだ』。

 なあ、君。だって君はもっと輝いてたはずじゃないか。と無塗装は少年の横の灰色の彼女を見ながら思った。

 頭のティアラはどこにやった? きらびやかなドレスは? そして希望に満ち満ちていたあの日々の表情たちは?

 結局――どんな人間も単色になってゆく。望む望まないによらず、生まれたときから我々はそう決定づけられている。シンデレラに憧れてきた君も、とうとう灰色の姫になってしまったわけだ――

「でもね」とカノは言う。「全身灰色の姫は一箇所だけ灰色になっていなかった。正解は瞳。少年を見る瞳だけ、あらゆる色に溢れかえってた」


 小さな寝息が一つ。

 そこにドアのきしむ音が鳴る。

 ゆっくりと、慎重に、まるでそういう声の鳥みたいに、「ぎぃ」をどこまでも間延びさせて、ドアが、ゆっくり開く。

 真っ暗でしんと静まった空間に、靴下があればその中に、なければ枕元に、そして大きすぎればベッドサイドに。

 小さな寝息の夢を彩るために、灰色の住人は、そのときだけ赤と白になる。そうやって擬似的な色を持つ。そのときだけ色を借りられる。

 塗装の手。

 それができない大人は、幸いにも相手がいる場合には、その人に抱きつこう。

 きっと抱きつかれた方は突然のことにくぐもった声を漏らすはず。

「起こしちゃった?」

「いや、起きてたよ」と嘘でもきっと言う。

 抱きつくのは正面からよりは背中側からの方がいい、でなければちょっぴり気まずくなる、かもしれない。

 前に回した手がぎゅっと握られる。

「ツリー、飾ろうか?」

「じゃまになるだけだよ」

「小ぶりのやつなら」

 ううん、と首をふる。

「そう」

 張り詰めた冬の静寂。

 耳を澄ましていれば、しゃんんしゃんと鈴の音が聞こえてきそうな夜。鈴が最後の音色を運ぶ。

「それなら」と抱きつかれた方が言う。

「ううん」と抱きつく方が言う。

 長い沈黙だった。その先のことはどちらも言い出さなかった。カノは相手もおんなじように願ってるといいなと思いながら心の中でつぶやいた。

 もうちょっと、二人のままでいよ?

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#603のアマルガムな閑話 内谷 真天 @uh-yah-mah

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