116.48cm2 の SENTENCE

 一辺が91ミリでもう一辺が128ミリ。正確に精緻に一縷の狂いなくB7用紙はこの寸法に定められている。

 とても曖昧なサイズだ。面積を計算するにもややこしいしバターを包むのにも適していない。下一桁の、あと少しできっかりした数字になる、そのぎりぎり斟酌が届いていない感じもどこかもどかしい。

 それでもカノはこの判型のメモ用紙を使い続けてる。

 はるか昔にディスカウントストアで適当に選び抜いてしまった過ちから、現在も未来も、抜け出せない。そうしなければ束ねた用紙の中に規格違いが混ざってしまうから。

 でもいい。理由はどうあれ長年だから肌には馴染んでる。

 思いつく。めくり取る。書く。思いつく。めくり取る。走らせる。

 厚みといい幅といい、今となってはこれじゃなきゃだめだ。というと案外適切な相手と付き合ってるのかもしれない。それは決して(89型のキーボードに注いでるような)愛とは違うけど、きっと相性は悪くない、し、百均で取り扱ってるこれはクリーム色をしてて、目にもいい。真っ白というのはきつい。優しい。

 なにかひらめきやアイデアや着想が浮かぶたびに、一枚、カノはメモ用紙を消費する。書いて、保存する。

 それはカノの仕事の『ネタ』としてそうしているわけだから、一度どこかで使われたアイデアは処分されるべきはずなのだけど……忘れて、大体のとこ、そのまま未使用のと一緒に積み上げられてある。

 だからこの過去の堆積は結構な量だ。

 やわらかい、あらゆることを認めてくれそうな午後の光にあてられながら、カノは、重い腰を上げる。

 カレは頬杖をつきながら見守っていた。午前中から二人でお出かけをして、さっき帰ってきたばかりだった。カノとは対照的に、夕食の支度まで完全に休む腹でいる。

 ぼんやり。目の前の動きを眺めてる。

 左、右、左、右、右、右、左、右、右、左、右……

 ダイニングテーブルの中央に引かれた透明の線の彼岸と此岸に、メモ用紙が次々に振り分けられてゆく。

 全部の用紙を仕分けるつもりだろうか? でも、元々の山の高さを見るにしばらく片付きそうにない。

「ポーカー?」とカレは言う。「それとも7ならべ」

「こっちが使用済み」とカノは冗談には応えないでディールする。次は左にディールして、「こっちがまだ使ってない」

「ちゃんと把握してるんだ」

 カノはくすりと笑う。

「じゃなかったらメモしておく意味がないじゃない」

 そういうものか、とカレは思う。三日前の夕食だって覚えてないような人が自分の思考には責任を持っている。不思議なものだ。

「にしても、見た瞬間にわかるようなものなんだね」

「まあ、形としてあれば」

「残されてなければ?」

「忘れるよ。だから寝る前のひらめきとか、なにかに熱中してるときの、片隅に浮かんだ着想とか」カノは一旦言葉を切った。手の中のメモ用紙をちょっぴりの時間精査して、結局そいつは右にディールした。「そういうことを、しっかり形に残すか残さないか、の積み重ねによって、何かが決まる気がする」

「訓示的ですね」

「内省的だよ」とカノは複雑に微笑む。

 なるほど、何度も失敗をしでかしているわけか、とカレは思う。やや機械的に左右にわけられてゆくメモ用紙の、その一方に視点を定める。

「見ても?」

「ちゃんと戻しておくなら」

 カレは一番上のメモ用紙を一枚、抜き取った。

 どこか子どもっぽいやわらかな丸み、と、端々にソリッドな金属を思わせる几帳面さも表れる、カノ特有の筆跡だ。

 116.48平方cmの内側を贅沢にレイアウトとしたセンテンスが、刻まれている。

 こう書いてある。


 ◆

 明日の天気が知りたい?

 それなら確実な方法がある


 すぐに教えてやりたいが、今は忙しい

 24時間経ったらまた聞いてくれ

 ◆


「ベタですなあ」

 とシニカルに笑ってカレは言った。カノは首を振る。

「ひらめいたときは面白いと思ったの」

「こういう使えそうにないのも、とっておくんだ?」

「たぶんね。わかんない。でも調理次第かなとは思ってる」

「調理次第」

「それは実際に起こり得た会話なの。天気の予報にそれだけの時間を要してた時代が、昔にはあったんだよ」とカノは言う。「だから、もしそういうシチュエーションを書くことがあったら、使えるかもしれない」

 なるほど、もしあったら、ね。とカレは愛想で納得しながら、天気予報にまつわるそのメモ用紙を元の場所に戻した。代わりに次のセンテンスを抜き取る。

(順当にいけば一枚下のカードが選ばれるはずだったけど、カレは山の適当な位置から次のを引き抜いた。)


 ◆

 一言居士


 意味

 どんなものにも意見しないと気が済まない人


「戒名が一字しか貰えないほど貧乏な人のたとえかと思った」

「口は災いの元っていうし間違ってないのかも」

 ◆


 用紙から目を離して首を傾げる。

「これ」とカレはカノにセンテンスを見せる。「なんとなく覚えがあるんだけど」

 カノは見る。見て、くすりと笑う。

「だってカレンくんが言ったことだし」

「そういうことも、あるのか」

「あるよそりゃ。自己完結のアイデアより色彩豊かだし」

 というよりカレンくんが今まで気づいてなかったことに驚いた、とカノは付け足した。山の中にはそんな種類もまだ多く眠っているそうだ。左のといわず、右のといわず。

「まあ、いいよ」とカレは諦めたように笑う。「なにかに貢献できてるなら好ましい限りで」

「ご協力感謝します」

 人権だなんだと騒がないあたりは、実にカレンくんらしいね、とカノは言う。言いながらメモ用紙の仕分け作業を続けてる。大体のとこさっきからカノの返事は片手間だ。

 そしてカレは、また戻し、また無作為に引いた。


 ◆

 チェーンソーも怖い

 芝刈り機も怖い

 施工中のブロック塀のむき出しの鉄筋も


 転んで、刺さったら、終わりだ。横を通るとき固唾をのむ


 でもそういう想像をする私のほうが怖い

 だって私なら事故りかねないっていう逆保証のせいだから


 ああいう凶器を扱う人は、要するにムラっけがない

 安定した人格だから扱える

 うらやましい

 ◆


 新しいカードを引くために、またしても手元のカードを山に戻す。戻すともらえる。なんだか昔そんなおもちゃがあったような気がする。いみじくもこれも暇つぶしの遊具だ。


 ◆

 基本に忠実が、初心者

 応用を加えられて、中級者


 基本+応用で自分流にするのが上級者


 天才は基本も応用も無視して新しいカタチを作ってしまう

 ◆


 これにも既視感がある。そう遠くない過去のはずだ。

「メモが先か僕たちの会話が先か、それはわからないけれど」

 とカレは思う。

 でもメモが先の方が面白い。僕を実験台にして何かを試していたわけだ。もしくは得意になって誰かに披露したかったか。

 いずれ、色んなバリエーションがあるわけだ、とカレは思う。

 段々カレも興味に載ってきた。カノは自分の作業に没頭して、もうどれだけ触ろうが見ようが好きにさせている。


 ◆

 食糧が豊富だった地域では文明は未開だ。考える必要がなかったから

 考える必要に迫られて、文化や文明は生まれた

 論理を発展させる。文章を起こす

 だからこういうことは基本的にネガティブに依存する


 そして文明が進歩して私たちの暮らしが便利になると、その文明は得てして私たちに考えることを要求する。私たちも望んでそうあろうとする

 幸福の追求なんて本当は誰も信じてない

 それより私たちは根っこでは悲観的でありたいのだ

 ◆


 次。ローテーションの速度が思わず上がる。


 ◆

 暗い場所でモニターを覗くと視力が落ちる

 嘘。私はずっとそうしてるけど目だけは良い


 指を鳴らすと関節が太くなる

 これも嘘

 小学生の頃から鳴らしてる友人を知ってる。私の知る中で最も指が細い


 個人の人生は対照実験できないから、こういう噂がはびこる

 つまり何をしてもそうなる経年変化に理由を見出そうとしてるだけ

 だって

「あれが原因だった」

 って自分を責めたほうが、

 無理由にそうなったと思うより気持ちが楽だもん

「あのときああしていれば」

 努力論を失敗の側からも認めたがってる


 でも運命だよ

 だって、おじさん。その髪は、その……ね?

 ◆


 思わず笑う。そして思わず毛量を確認する。

 や、僕はまだ大丈夫。

 裏からも透視できるのか、カノがちょっと皮肉っぽい愛想笑いを送ってる。

 次をめくる。


 ◆

 私がまともであるとどう判断する?

「私だけは正常な人間だと言うやつほど狂ってる」

 と人はよくいう


 でも正常か癲狂か

 そんなの実は誰にもわからない

 社会が相対的に狂ってるかどうか判断してるにすぎないから、本当に狂ってるのはその時代の社会通念でしたということだってある


 コペルニクスやガリレオがこれを証明してしまった


 正しいとか間違ってるって一体誰が決めるんだ?

 ◆


 ◆

 なにか読んでいるうちに

 そこに書かれてある事柄に連想されて、

(たとえばホテルのレストランで会話するシーンがあったとして)

 そいえば最近旅行にいってないな

 とか

 どこどこで泊まったホテルはよかったな

 とか

 今度は旅館もいいな、あとでトラベルサイトで調べてみよかな

 とか

 こういうあさっての思考が文字を追いながらぐるぐる巡る

 注意しててもふとした拍子にやってくる


 仕方ないから理解できたところまでページを戻す。読み直し

 なーんで私のアタマは透明じゃないんだろ


 おかげで時間のかかる人生だ

 ◆


 次のはちょっと長い。

 最初は勢いつけて大きめの文字だったのが、徐々にしりすぼみになりながら(なにか意地でもという感じで!)小さな紙片をびっしり埋め尽くしてる。


 ◆

 興味のアウトプットとインプット

 になんとなく類似性がある気がする

 自分の趣味だとか好きなものだとかについて話し出すと止まらない人がいるし進んでそうしたがる人がいる

 こういう人って、凪のときでも他人の話は大体聞いてない

 自分語りというアウトプット

 が強すぎて

 他人の興味に耳を貸すインプット

 が反作用の現象よろしく極端に機能してない


 反対に自分をまるっきり明かせない人がいる。意図的にではなく性格的に

 いわゆるコミュ障と呼ばれるような人

 不憫には感じる

 けれどこの人たちもよく観察すると

 アウトプットを拒絶する

 のと同様に他人を知るというインプット

 も拒絶してる。気がする

 会話をしてても極めて表面的に話を合わせてるだけなのだ。それが伝わってくる


 正・逆・裏・対偶

 どういう関係にあるかは人それぞれと思うけど

 アウトプットとインプットの関係

 紐解けば性格の改善に役立てそうな気が、しないでもない

 ◆


 ◆

 野球のサイン

 なんであんなに複雑なんだろ

 しかも用途が限定的だ


 どうせなら手話で成立させられないだろか

 相手チームからサインを読まれる?

 なら「今日はフランスの」「明日はイタリアの」としたらいい

 どうも手話は国によって違うらしいから


 そしたら高校球児の職業選択の幅も広がったり。しないか

 ◆


 それから数枚ほど読んで、カレはふうっとため息をついた。

 興味の燃料がようやく切れた。

 センテンスを山に戻す。逆側の席では黙々と作業が続けられている。

 ぼんやり眺めていると、カレは『紅の豚』のワンシーンを思い出した。派手な空挺バトルの場面、ではなく、夜中に工場のオフィスで大量の札束を数えているシーン。とても似通っている。

 ――飛行艇の活躍を描くあのアニメで、なぜかカレの記憶に残っているのはどれもそういう静寂ばかりだ。ジーナの歌声だとか、弾薬の不良品を省くシーンだとか。

 カレはうっすらと微笑んで見守った。

「まだかかるね」

「越してきてから、やってなかった気がする」とカノは言う。

 やわらかい陽射し。午後。

 それがどんな退屈なものであれカレとの時間は大切にしたい、から、カノはいつでも週末はオフにする。いわゆる自由業だから、入れようと思えばいくらでもスケジュールを入れられる。

「考えがダブることはないの?」

「あるよ、重複してるようなのは。いくらでも」

「そういうのは構わないんだ?」

「気にしてたら思い出す時間が無駄だよ。そんくらいなら、後で気づいて省いた方が楽」

 そういうものか、とカレは思う。それから「未使用」の山と「使用済み」の山をとみこうみ見比べる。

「ずいぶん未使用の方が多いね」と言った。実際、倍から三倍くらいの差があった。「使い切れるの?」

「無理むり。増えてく方が多いんだもん」

「それなら生産をセーブしても良さそうだけど」

 と、言われた瞬間、カノはぴたっと動きを止めた。

 手にしている一枚のメモ用紙、と、カレを見比べて、ぷっと吹き出した。

「?」

 首を傾げるカレに、メモ用紙を裏返して、見せた。

 センテンス。


 ◆

 これが何になるのか

 わかってるなら初めからやってない

 大多数は価値のない塊

 ためておいても使われずに捨てられる


 なにより創作の糧という主旨

 だからあっちとこっちで矛盾だらけ

 でも、良い

 わかっててやることなんてみんなもわかってる

 そんなのこそほんとに価値がない


 産み続けるしかないのだ

 ◆


「意味のある偶然の一致」

「シンクロニシティ」

 カレは喜んでその一枚を受け取った。

 しげしげと、何度も読み返す。

 そして、なるほど、とカレは納得する。

 物事には二つの種類がある。目的地がわかってて目指す種類と、とにかくどこまでも進んでいかなければならない種類の二つ。

 僕はこっち側

 で君はそっち側

 テーブルのあっちとこっち。僕たちには決定的な差があったわけだ。うっかり忘れてた。アマルガムの今を当たり前に思ってた。

 カノは作業に戻ってる。カレは最後にもう一度だけセンテンスに目を通した。それから山に戻そうとして、

「これは、右?」と訊いた。「それとも左?」

 カノは一瞬考えて、答える。「右だね」

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