603号室の謎
さて。三十分ほど前から僕は非世界的な感覚を味わっているわけだけど、それはそれとして、これから少し現実的な話をしたいと思う。
語りたいのは603号室についてだ。
まず僕らの所属するこの建物は普遍的な街の普遍的な場所に建っている。ここは先進的な都会でもないし鄙びた田舎街というほどでもない。自動車がなければ程よく困ってしまう程度の、逆にいえば程よく人口と資源に富んだ、ありふれた地方都市だ。
地形的にいえば建物は山間にも谷間にも海沿いにも属さない平野のど真ん中、だけどちょっとだけ周りより高い、低台地の際の辺りに位置してる。近くに高層ビルがないことも相まって見晴らしは十分納得できる。
地政学的にいえば、だけど利点はそんな程度だ。ここはあらゆる中枢から普遍的に離れすぎてるせいで、ハプスブルク家やメディチ家みたいな連中からは見向きもされない。そりゃ二人分の収入を注いでるわけだから苦学生の一人暮らしみたいなのからは敬遠されるけど、だからといってこの建物に住むことが社会的なステイタスに寄与するなんて状況は、ほとんどといって良いくらい、ない。
いわば中産階級の集合体。この建物の居住実態を示すのに、これほど的確なイディオムもないと思う。
その階級は特徴的に諍いを求めないという性質を孕んでる。それから他者に社交的でありたい願望と何かの比較が発生する程は接近したくない防衛本能の高さをも同時に備えてる。相対的な優劣よりも絶対的な幸福を望む人々だ。
おかげで僕たちも彼らとは他人以上・知り合い未満というちょうどいい距離感を保つことができる。外廊下ですれ違えばみんな一様に会釈してくれるし、場合によっては簡単な挨拶だって交わす。でも決して自他に固有名詞を用いない。本当に用いない。不思議なほど用いない。
「あら田中さん」ということが一切ない。競争が人間性の付与を開始点とすることを、みんな肌で分かってるからだ。
ので、彼らの対応はいつどこの誰々さんであっても変わらない。きっと彼らは同じ一つの製造工場で生まれて完成とともにこの建物に出荷されてきた。もしかしたらロット番号だって共有してるかも。
だけどそういう同一性を決定的に阻むのが、この建物に無数にあるドアというドアだ。厚めの金属製の玄関ドアを一枚超えた内側では、非同一的な、つまり僕らが普段外部から認識しているものとは違う、非世界性の人格が、どこのご家庭でも展げられている。
無論ここ603号室でも。
まず、この部屋は玄関ドアを開けると、目の前に土間がある。それ自体は至って当たり前のことだ。日本人なら春に一度は桜の開花状況を聞かされるだろうってくらいの。だけど僕はこれからしばらく現実的な話をしたいから、場合によってこんな言うまでもないことがだらだら続く。
土間には、僕らが不在のときを除いて、必ず五足の靴が出されてる。まず革靴とスニーカーとサンダルの三足。スニーカーは今はアディダスのものだけど、ちょっと前まではミズノだった。こだわりはあんまりない。そこにレディースのスニーカーとサンダルを加える。これで五足。パンプスやブーツもあるにはあるけれど滅多に使わないので靴箱にしまわれている。
靴箱の側面には靴べらが掛けられ、天板の上は、脱臭、防水、解氷といったスプレー類、自室や自動車や職場のロッカーのといった鍵類、それに懐中電灯やらボールペンやら着払い用の小銭やら何やら、なんだかごちゃごちゃしてる。引っ越してきた直後にはもっと体系的な整理を誓うのだけど、収納グッズが用意される前に場が荒れてくるので、しばらくするとどうでもよくなってくる。こんなところに僕はエントロピーの増大を感じる。
その混沌とした靴箱が向かって右手側にあって、同じ側に腕を伸ばしてゆくと、すぐ行ったところで洗面室の引き戸と出会う。
中はバスルームとラバトリーに分岐する、あまり変わったところのないハブ拠点的な洗面室だ。縦長の空間の奥に鏡台があり、その横には防水パンとドラム式の洗濯機がセットで置かれてる。洗濯機の前面に木製のスツールがあって、洗濯用のカゴはそれよりちょっと離れたところにある。
カゴは一昨日あたりから界面張力の限度を試す姿を模して、今はその頂点にトレーナーの上下が被せられている。昨夕、日課のジョギングを終えた僕がバスルームに直行する前に付け足した。
本来の予定ならそこに積み重なってる連中は週末の今日まとめて片付けてしまうはずだった。ところがこの抜き差しならない状況だ(忘れてないと助かるけれど僕はいま非世界的な感覚を味わわされている)。
だから、無理かもしれない。
そうすると例のスツールは早ければ明日にでも、僕ではない誰かが使う羽目になる。けれどもその人はどこ吹く風で、きっとタブレットを片手に、古いオフビートな映画でも鑑賞しながら悠々と洗濯槽の回転を見守るんだろう。それならそれでいい。
だけど僕としてはそのほかに、できれば詰め替え用のパックも補充しておきたかった。コンディショナーやトリートメントの残量が危うくなっている。特に僕らが長年使っているバターミルク・フレーバーのボディソープは、この街だとちょっと遠出した薬局でしか取り扱っていない。
でも仕方ない。大なり小なり意表外ということは必ず訪れるものだし、すべてが計画どおりに進んでしまう人生は面白みにも欠ける。
詰め替えのストックをいくつも置いておけばいい、という意見への返事も、ここに集約される。そういう安定よりも、細かな動機をいくつも生活上に散りばめておきたい。もちろん、アクシデントには弱いし、困るけど。
ちなみに……
洗面室が右手にあるのは配管の関係で、602号室と604号室はこことは間取りが逆になってる。バスルームを基準にしていうと、僕たちは604号室と隣合わせの関係で、602号室とは向かい合わせの関係だ。
まあ、それは本当にどうでもいいことかもしれない、けれど、どこかから風水上の指摘が飛んできても困るから、説明しておいた。僕は占いには詳しくない。
僕にはっきりしてるのは、この建物の全棟・全階層・全部屋の間取りが奇数号と偶数号で1セットになってるということで、それは入居する前にも不動産屋から聞かされた。
だから、603号室の最奥に広がるリビング・ダイニング・キッチンも、当然両隣とは間取りを反転させている。僕らの住む部屋は、左手にキッチン、右にリビング用の空間、という構造が取られてる。
各居室の中で最も広い16帖のこの空間は、ちょうどリビングとダイニングを分断する場所に入り口を置いて、これが玄関からまっすぐに伸びている。
本当にまっすぐだ。壁がちょっと出っ張っていて、真横にドアがある、みたいな洒落た設計にはなってない。いや、そもそも、廊下と部屋を隔てる場所にドアなんて存在しない。玄関からLDKまで吹き通し。
一応、床には敷居の跡が確認できるから、元々は片開き戸がそこにあったらしい。でも僕らが内見したときには既になかった。
おかげでデリバリーや配送業者や管理人さんや、そういった来客があるたびに僕たちの生活実態が曝される。お隣さんたちはどうもカーテンを張って対応してるらしい。うちもそうしようかと相談したらカノが嫌がった。確かに。想像すると、行き来するたびに布が鬱陶しいのは、わかる。
それでこの16帖という大きさなのだけど、そこにはLDKの一つを担う権利として当然キッチン部分の寸法も含まれる、から、実際に使ってみると数字の印象ほどは「広々とした」感じを受けない。
つまりDにテレビモニターとこたつテーブルを、Lにソファとローテーブルをそれぞれ配置して、そのいずれかまたは中立地帯にカラーボックスと観葉植物と姿見を持ち込めば(ほかに空気清浄機だとか加湿器だとか細々したのはいくつもあるけれど)、それだけで状況がきゅうきゅうしてしまう。
というのはここは僕たちの主だった棲息地として、直接的に形而下が形而上に作用する場所だから、あまり雑然としてるのはよろしくない。余白には「精神衛生」という名の物質が詰め込まれてて、それを含めての「きゅうきゅう」だ。
でもたまに僕たちも、この味気ない空間に自分たちで呆れることがある。
これほど娯楽に欠いた環境でよく生きていられるなと、返って感心してしまう。だって、誰かが言った。人はパンのみにて生きるにあらず。じゃあパンの代わりにこの部屋には何があるんだろう?
ジャック・オー・ランタンも、クリスマス・ツリーも、ひな人形や五月人形も、季節性のものは一度も飾った試しがない、し、ファッション誌やガイドブックや何かのホビー誌や……またはクロンダイク・ソリティアをやるためのカードすらない。それどころか僕たちのアイデンティティを定義する要素さえ、極めて希薄だ。
この空間に僕たちの存在を保証するものは、精々カラーボックスの書籍たちくらいのもので、それだってひしめくほど並べてあるわけじゃない。何もなければ僕たちが実態を持たない透明人間になってしまいそうだから、申しわけ程度にそこに飾られている。カラーボックスと呼ぶだけあってせめてもの色素というわけだ。
人生に刺激を求める時期が過ぎたおかげで、こうなった。
僕たちよりも早くに生まれて、そして僕たちよりも情熱を維持してる人たちが、世間には結構多くいる。そういう人たちを見ると僕たちは素直に感心する。彼らは僕たちと違って人生に真剣だ。
そうではなく、かつては僕たちにだって名うてのビーバーみたいに立派な要塞を築いて、その中を黄金に満ち溢れさそうとした時代があった。
過ぎ去ってみると、それらの時代は黄金に輝いていたというよりも、単にメッキを塗布していただけのように思われてくる。息巻いたり背伸びしたりすることをやめて最も心地よい状態に身を預けてみたら、塗装の下の自然体が現れた。結局(人生に真剣な人たちに感心はするけれど)これが僕たちの本来だった。
若いうちは真実僕たちの肉体は純金製だと信じてたのだけど。
まあ、いい。
いずれにしろそうした金箔の大部分を僕たちは、かつての棲息地から退去するたびに段階的に削ぎ落としてきたわけだ。
または――夏を前にしたツバメが、未練がましくも解体するのを諦めた巣のように、僕たちも削ぎ落としきれなかった数々の金箔を(メッキを)抱え続けたりもしている。それはこの603号室の、洗面室とLDKのあいだに存在する一室に、すべて押し込められている。僕たちはその空間を便宜的にサービスルームと呼んでいる。
具体的にどんな物が押し込められてるか……ということはやめておこう。そこには捨てようと思って捨てきれなかったノスタルジアが、とんでもなく山盛りにされて眠ってる。それをいちいち述べ立ててたら枚挙にいとまがない。
だけならまだしも、たまにダンボールの蓋を開けてみると、前の部屋に捨ててきたはずの遺物がぞくっと顔を覗かせたりもする。呪いの人形じゃあるまいに。いや、犯人はわかってる。
わかってるし、うん、僕にもその気持はよくわかる。
わかるけど、でも、やっぱりそういうことはするべきではない。そんな愚行を続けた結果、そこはサービスルームというよりも、もはや魔窟、か、魔境と化している。
まかり違ってそこに眠る遺物に捕まると、ちょうどオルフェウスやイザナギの神話のように、そこから抜け出すのに大変な労力を要してしまうのだ。懐かしさが背後から僕の名前を呼びかける。振り向いたら終わり。
軽い気持ちで覗くなんて態度は許されない。
つまり、この603号室は2つの性質に分離されている。1つは限りなく透明に近い、日常の空間。もう1つは限りなく黄泉に近い、ノスタルジアの魔窟。色でいうと僕たちは白と黒をそのようにしてすっぱり分けてしまったのだ。
普段の生活には無塗装の安定を。
刺激が欲しくなったら魔窟の探索を。
(もう一度繰り返すけど僕はいま非世界的な感覚を味わわされている。)
断っておくけれど僕は今回なんにもしていない。単なる被害者だ。こんな非世界性を日常に持ち込んだのは、オルフェウスでもイザナギでもなく、エウリュディケかイザナミのどちらかだ。
603号室には……洗面室、サービスルーム、LDK、と、あともう一つだけ部屋がある。8帖の寝室。僕は現在その最後の部屋である寝室にいる。魔窟とは廊下を挟んで対面に位置してる。
ベッドの上で仰向けになったまま、ほとんど身動きが取れない。かれこれ三十分はそうしてる。なぜ動けないのか。非世界だからだ。外界とドアで隔絶された非同一の空間だからだ。
こうなるまで気付かない僕も悪かった。でも一体誰がこんなことになるなんて予想できただろう。寝る前には僕は変わらない世界が続くと信じてた。
本当に、なぜこんなことになったのか。
理由を訊いたらアルフレッド・ヒッチコックのなんとかいう映画を紹介された。タイトルは忘れた。さっき聞かされたばかりだけど完全に忘れた。手癖の悪い女詐欺師と、その被害に遭う経営者の男という設定の物語だ。男の方は若かりしショーン・コネリーが演じてる。たしかそう言っていた。
僕が寝たあとの深夜にその映画を観ていたらしい。そしてあるシーンに差し掛かったとき、天啓が降ってきた。コネリーが女詐欺師であるヒロインの足取りを追って、潜伏先の屋敷で対面するシーンだ。
その場面、あるいはその映画は、どこをどう切り取ってもサスペンスにしかなりえなかった、けど、カノンはなぜかそこにラブロマンスや純愛の要素を見出した。らしい。
起きぬけの耳元に、カノンは甘ったるい声で、おはよう、と囁いた。
僕たちは実際的に二つで一つになっていた。
そのことは瞬間的に理解できた。人というのは不思議なもので、あまりに荒唐無稽な状況でも、実際起こってみると、案外冷静に飲み下せたりしてしまう。わからない。人にも状況にもよるかもしれない。
少なくとも僕は……目覚めた瞬間には右手に手錠がはめられていることを理解した。で、そうであれば手錠の反対側はカノンの手に巻かれてるんだろうなとも理解した(実際そうだった)。
だけど手錠なんて物がどうして魔窟に、ということは、やっぱりやめておこう。僕だってこうなるまで存在を知らなかった。それに、知ったところでロクなことになりそうにない。おもちゃのくせに本物に近い性能を備えてる、それだけ知れれば十分だ。
いずれにしろ、こうなったことに関しては、ヒッチコックの悪魔的なアイデアを恨むしかない。
鍵はカノンが握ってる。そのカノンが、さっき、うっとりした声でこう言った。
「ずっとこのままでもいいのに」
それも悪くないかも知れない。
でもね、いいかいカノンくん、君はどうも食事を終えたばかりらしいけど、僕はおそらく8時間以上は何も口にしていない。何しろ目を覚ましたばっかりだ。だから歯も磨きたいし顔も洗いたい。ずっとこのままでもいいのに? それじゃ困るんだ。
僕たちの同一的な匿名的な世界はこのようにドア一枚隔てれば非世界的な状況に早変わりする。とはいえ、こんなことは602号室でも604号室でも当たり前に行われていることなんだろか?
真面目な顔の隣人たち。とてもそう(非世界的)とは思えない。けど、わかんないな。601号室も605号室も、その内側は謎に包まれてる。なにも心配しなくていいのかもしれない。
だけど一応強調しておくけれど、そういう謎は非世界の中に限定される。それからこれも重要なことだけど、僕はいずれ必ず匿名的な世界に飛び出さなければならなくなる。
そして最後にもう一つ。世界と非世界は絶対に融和しない。
これが愛の理想形だという君の意見も、わからないでもないけれど。
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