考えないこと。感じること。

 どれだけもがいても集中も意欲も生まれない倦怠がたまに道の上にぽっかり穴を開けている。多くの人は器量よく避けて回る、穴を見て、あるいは気配を察知して。常に視線の落ち着かないカノは、そのまますとんとあっけなく下水まで落下する。

 それを避けられるかどうかはたまさか視線が向いているかどうかの運でしかないし、青空に星の行方を追いかけているあいだは直前まで危険を思わない。

 起きて、日課を済ませて、しばらくして唖然とする。

 すとん。

 こんな時に猫でも飼っていれば永遠と呼べる時間を彼(なんとなく猫はオスという気がする)とじゃれあってられるだろうけど、暇つぶしに使われる猫を思えば不憫だし、今のところ部屋に迎える予定もない。

 代わりにベランダの手すりにもたれて、イヤホンから注ぎ込まれる音楽に耳を傾けてみたりする。

 そんな時に聴く音楽はリュートや二胡やサックスが多い。何か一貫性に欠いているようだけれど気分によるので筋とか整合性とは相容れない。

 目を閉じて、風を感じて、聞き入る。気分によるので法則とか規程なんてこととも握手しない、けど、どちらかといえばサックスは深夜や暮れに近い時間帯に聴いてることが多い。二胡は午後でリュートは朝方。時間以外に季節や天候も影響するけれど。

 というのは暗渠の底にいるときのカノは、音色そのものよりもそれらの音色の奥にある光景に想いを馳せたがってる。

 二胡の場合は小舟から見上げる桂林の峻厳な断崖、みたいな景色を頭に描きながら聴く。リュートなら石灰岩の白い大地と、そこに群がる下草の、地中海沿いの悠然さを想像する。ベランダに小さな風が吹いて髪を揺らせば、その棚引いた一本一本が『シチリアーナ』の旋律を示唆し『イタリアーナ』の楽譜にもなる。

 つまり音楽とは三位一体で、

【1:楽器】とそこから奏でられる

【2:音色】は、この両者を生み出した

【3:風景】にこそ最も調和する。

 その原風景を音によって芸術しようと試みた人によって楽器と音色があてがわれたのだ、と思えば三者の融合は当たり前だし(というか逆説的だし)、カノはかねがねそう信じてる。

 ので、音色の奥にある光景に想いを馳せたい。自力では何一つ創造できない『すとん』の今には、そういう直感的な想像に没入してしまいたい。

 だから同じ二胡やリュートの音源でも、ピアノ伴奏、みたいなのは、ちょっとだめだ。原風景が調和しない。贅沢を言えば声もだめだ。単体の、一楽器だけの、インストゥルメンタル。でないと音色の奥の景色に沈んでけない。

「なら、もっと篠笛や琵琶みたいのを聞けばいいのに」と、いつだったかカレに言われたことがある。「日本の楽器なら、目を閉じなくても日本の風景に調和すると思う」

 本当にそう思う?

 ならカレンくん、周りを見てみなよ、この直角とアスファルトの世界をさ。君は本当にこの景色に篠笛や琵琶が調和すると思うのかい?

「本当の意味の原風景なんてこの国には存在しないんだよ、悲しいことに」

 だってね、そもそも篠笛だとかは舞殿や神楽での演奏を前提とした儀礼的・儀式的な音楽で、風景より祭祀の意味合いを大事にしてる。

 琵琶も弾き語りの性質上、町や村の中で演奏するものだし、その町や村というのも、昔の『木造、平屋、茅葺きの』ってやつ。その町には電線だって張り巡らされてない。

 もしくはそれらこそ日本音楽の原風景なのかもしれない。つまり古来から日本人は音楽の原風景というものに『人』や『人の生活』も含ませてしまってた。自然の長い時間に比べると、ずいぶん移り変わりの早い人間の生活だから、今や日本のどこを探してもその『原風景』は存在していない。

「そして、じゃあ、日本には自然風景を原風景とした楽器(あるいは音色)は存在しないのか、というと、私の考えではその通り。存在しない。三味線の音色も大正琴も和太鼓も、何もかも私たちの抱く自然の印象とは違う。

(私も一時期気になって調べてみたけど、結局それらしい楽器は見つからなかった。)

 なぜか私たちの国では、原風景、つまりありのままの自然美、を音色に転換しようという動きが起こらなかった。もしくは、あったとして、時代のどこかでぷっつり途切れてしまった。現代までは継承されてない。

 音楽に対する感性が乏しいから、ではないと思う。この国では『自然』と『生活』があまりにも深いところで結びついてしまってて、純粋な『自然』だけを音楽に切り取ることができなかったんだ、と、ちょっと贔屓目もこめて、思う」

 だから私は日本の伝統音楽をほとんど聴かないし、それよりもデューク・エリントンやマイルス・デイヴィスの方をこそ聞く。この電子基板に似た街並みに『A列車で行こう』の音色はひどく似つかわしいよ。もちろん、もっと相応しい音色があるなら、私はそっちを聴きたいけれど。

「そして、だから音楽は、時代を切り取ったり代表したり、あるいは刷新したりしてくんだろうね」

 だけどそこまで行くと行き過ぎだ。

 いつもそうやってカノとカレは元々の話題を飛び越えてどんどん閑話を左右に斜めに展開させてゆくけれど、それだとあまりに取りとめがないから、適切なところで切り落としとく。

 目を閉じたまま、ジョン・コルトレーンに耳を傾ける。手すりにもたせかける。

 着想それ自体は浮かんでる。ただ、うまく断片同士を紡げない。

「重要なのはパーツより組み立て方なんだよな」と心にひとりごちる。「アイデアなら誰にだって浮かぶ。それをただ羅列することも」

 ため息をついてやめにした。音楽も飽きた。ソファに寝そべって猫の動画でも眺めることにした。


 そういうわけだからカレの提案はちょっとタイミング、悪し。

 といっても郵便受けに入ってたチラシをそのまま603号室に持ってきただけだから、それで責められるのも不憫な話だ。

 最寄りの私立の美術館がなんだか精力的で、以前も書画の企画展のチラシが投函されていた。その時もカノと連れ立って見に行った、から、また一緒にどうだろうと誘ったのだけど、今回はきっぱりノーを突きつけられた。

 ひとまずスーツから部屋着に戻して、フローリングの床にティッシュペーパーを一枚置く。近くに座り込んで、

「前、面白くなかった?」と片手間に訊いた(カレは週に2回は爪を切る)。

「一度で懲りた」とカノが答える。

「ああ」

 確かに。前回は何がなんだかわからなかった。

 でも今回は館で貯蔵する観山や魁夷に、応挙やら師宣やら若冲やらのレプリカを混ぜた日本画の企画展だ。達筆すぎて解読を要する書画よりは、素直に美術性を受けれる気もする。

 薬指の深爪を注意しながら(パチリと鳴らして)カレは言った。

「行ってみたら案外楽しいかもよ」

 だけど返事はそっけなかった。

「懲りたの」

 カレはぼんやりカノを見た。なんとなく、何かの齟齬を感じた。

(こんなのはもう長年の勘というやつで。)

 訊いてみると要するにこれも三位一体とおんなじだった。

 大理石調の内装。最低限までボリュームの絞られたクラシックの館内放送。フォーマルスーツの館員。革張りの長椅子。その美術館のことは隅々まで思い出せるし、どこまで思い出しても一般的な美術館のイメージを逸脱しない。そういう『洋風な』美術館に、前回は書画、今回は日本画が展示されるわけだ。

「合うはずがない」

 というのがカノの断固たる意見だった。

「もしかしたら和洋折衷ということも」

「そういうのはインタラクティブなの、アウフヘーベンなの」とカノは言う。「互いにすり寄る工夫のもとで生まれるものなの。要素と要素をただ配置しただけじゃ融合なんて成し得ない」

 音楽に原風景があるのなら、それより視覚的な絵画には、もっと複雑な原風景があるわけだ。それはモネの『睡蓮』を実際に旧クロード邸の庭先で眺めるようなこと、ではなくて、その偉大な画家が生きていた頃の文化や街並み、あるいは彼自身が無自覚に受け取っていた心象を再現するよう、な。

「掛け軸なら床の間に飾るもの」

「前衛芸術なら近代建築?」

「豪邸には豪邸にふさわしい、権威ある絵画」

「それはちょっと違うのでは」

「そういうことも、多分ある」

 というと、あくまで空間に調和していればいいわけか。とカレは(パチリと鳴らしながら)考える。顔を上げてゆっくり部屋の中を見回す。

 じゃあ、この603号室に合う絵画ってのは、どんなだろう。ボッティチェリ。安藤広重。どちらも違うことだけはわかる。ビル群の風景写真、くらいならよさそうだ。スパイダーマンのポスターからスパイダーマンを省いたような風景写真。

「空間に浸ってれば必要な芸術は自ずから明らかになるものだよ」

 見透かしたようにカノが言った。カレはそちらに視線を向けて微笑んだ。

「なら、僕たちの美的感覚は生活する空間にも左右される?」

「受け手の感性は、ね」

「だけどカノンさんは作り手でしょ?」

「ん?」

「いや、そっちの方面に不調らしいから」

「ああ」

 よくわかったなあ、とカノは驚くとも感心とも決められず、感情の曖昧な位置でぼんやり思う。カレは続ける。

「奇抜な服を着てみたり、法に抵触しない範囲でふざけてみたり……」パチリと鳴らす。「だから君たちは、そういうぶっ飛んだことをするんだろうね。必要に迫られて」

 カノは肩をすくめる。

 最後に簡単にやすりをかけて、それから床のティッシュペーパーを四つ折りに丁寧に畳む。ゴミ箱に投げ込みながら、

「夕ご飯、何にする?」

「ナポリタン。魚肉ソーセージとピーマンたっぷりの」

「庶民的だね」とカレは笑う。「楽で助かるよ」


 それからしばらく経って、帰宅したカレがまた美術館のチラシを持ってきた。内容を見て、これなら悪くないだろうと踏んでのことだ。

 でも撃沈。今回はゴッホ展だった。

「この前の美術館だよ。空間との調和なら、今回は問題ないように思うけど」

「や、ゴッホは単に、不当な評価が気に入らない」

「不当?」とカレはちょっと驚いた。「ゴッホ嫌いだっけ?」

「好きだよ、普通に。ラッセンより」

 カレは取り合わない。

 訊いてみるとこれは、ゴッホの絵が実力以上の評価を得てる、んじゃなくて、今これだけの価値を見出されてるその偉大なる画家が生前には歯牙にもかけなられなかったことが不当、ということで。

「君は本当に言葉足らずだね」

「愛が足りないよりはマシ」

 カレは思わず苦笑いした。そういう返しは秀逸なんだけど。

「ねえ、だけど、愛ってなんだろう」とカノが言う。それは君が言い出したことだ。

 たとえばゴッホが残した『星月夜』とか『木の根と幹』には、彼の生前の苦悩とか虚無感とか、そういうのが込められている。どよん、とした美しさがある。そういうのは誰にでも描けるか、といったらもちろんそうじゃない、実際にその『どよん』を体感し、全身に行き渡らせてるような人でなければ、表現できない。

「ゴッホはそのために不遇の宿命を背負わされた」

 とも考えられる。

 もしフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホなる人物が、ある一定の値にしろ生前に成功を収めてしまっていたら、彼の残した芸術は、見どころのあるまがい物、くらいに扱われて遅かれ早かれ唾棄されていた。彼の苦悩が結晶化されているからこそ『ひまわり』も『タンギー爺さん』も美しい。

「そういうことを私は、大勢の普遍的無意識が望んだ結果の反映、と感じるときがある」とカノは言う。「人々の『そうなってほしい』という願いがある集団の内側で膨れ上がった結果、ゴッホは『苦悩の絵』の表現者として、不遇を強制された。ちょうど『戦争と平和』のナポレオンのように」

「いわゆる運命論的な結果として」

「そして実際に私たちはゴッホの生んだ奇跡的な『苦悩の結晶』を目にすることができる。彼にこの世のあらゆる苦悩を強いたから」

「ときにそういう犠牲が、芸術には必要だ、ということだね」

「そう。だけど、じゃあ、カレンくん」とカノは冷ややかな視線を向ける。「悪いけど犠牲になってよ。私の芸術のために」

 さあ、どこまで本気で犠牲になれるんだろう。なれるはずがない。遊びの範疇を超えてると気づいた時点で自己愛に走る。その犠牲が人類の恒久的な財産になると聞かされても、カレンくんはカレンくん自身を守るだろう。

「答えを教えられていても身を挺するのには躊躇する。教えられずに犠牲だけ強いられたゴッホは、一体どれだけの苦悩をその内側に抱え込んでたんだろう」

 その苦悩を浄化してあげられない以上、私たちは彼ら偉大な芸術家に対して、原罪を背負ってるように、思う。

「絵を見て、単に、わあすごい、ってわけにはいかない」

「それは、百歩譲ってゴッホの時代の人たちはそうかもしれないけれど」

「私たちも一緒だよ。今この瞬間にも私たちが手を差し伸ばせば救われる人たちは山ほどいるのにさ」

「なら、そういうパトロン活動をしたらいい。もしくは募金でも、なんでも」

「する気はないよ」

「なぜ?」

「なぜでも」と断定的に言う。

 カレはうなずく。というよりうなずかざるを得ない。

「つまり、義務は払わないけど、代わりに権利も要求しない、という」

「簡単にいえばね」

「でも、君、カフカは平気で読むじゃない」

「読むね」

「矛盾してない?」

 カノは首を振った。

「弟の援助に頼らざるを得ないほど資金難だったゴッホの絵が、今じゃマネーゲームに使われてるんだもん。矛盾というなら、その方が矛盾だよ」

 なるほど。とするとこれは程度問題か。カノンにとってゴッホのことは程度が甚だしいから、いわば、なんだろう、アレルギー反応みたいな症状が発生してる。

「そもそも芸術を兌換紙幣のように扱う態度からして、私は違うように感じているけれど」

 というのが、そこんところのカノン流の答えだ。やっぱりアレルギー反応らしい。だって同じ偉大な芸術家のフランツ・カフカの作品は、誰もが書店で安価に手に入れられる。とも言った。

「相変わらずのカノンさんらしいことで」とカレは言った。「難儀な性格」

「そうして自ずから娯楽の幅を狭めてゆくんです」

「わかってるならどうにか考えたらいいのに」

 するとカノは自嘲っぽく薄笑いを浮かべた。こう言った。

「違うよ。考えるから狭まるの」

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