第4話
二ヶ月。日々を送るにはまあまあ長い。だが、蒼維を救うための準備期間だと思えばのんびりなどしていられない。
まずは、会場となったホールへの連絡。整備はどうなっているのか、メンテナンスはしているのか、総点検するべきだ、特に天井を――というような「ご意見」を送る。「二ヶ月後に天井から照明が落ちます」などと言っても相手にしてもらえるわけはないからだ。
それから、蒼維の事務所。ここに何かしてもらうのはかなり難しいだろう。一ファンが何を言ったって戯言だ。握手会の中止だの会場や日時変更だのを提案したってホール以上に相手にしてもらえないに決まっている。
だがやるだけやってみるしかない。蒼維へのファンレターにもそうしたことを綴ってみよう。あの会場は古くてよくない、というようなことを何度も書いてみよう。
そうした実際的な手段を考える架凛の頭に、真穂の言葉が浮かぶ。
『正攻法はたいてい、うまくいかないのね』
しかし、ほかにできることが思いつかなかった。
握手会には同じように当選していたし、最悪、現地で騒いで蒼維を危険な場所に近づけさせないとかそうしたこともできるかもしれないが、それでは一発勝負すぎる。事前にできることがあるはずだ。もっと、あちこちに働きかけて。もっと、いろいろなことを。
胃の痛くなるような日々が過ぎていった。
実際、架凛の体調はかなり悪化していた。
ろくに寝ないし、食べないし、他人から見れば怪文書としか思えないものを綴り続けていた。
メールで。手紙で。SNSで。
「握手会……ついに明日、か……」
日付を確認しようとした彼女の手から、スマホが落ちた。
「あれ……」
力が入らない。目がかすむ。
「まずい……かも……」
意識が遠ざかる。
架凛はそのまま、目を回した。
目覚めれば床の上でスマホが震えている。
ニュースのアプリが、男性アイドルの事故死を伝えていた。
「なん……」
なんで。
どうしても何もない。架凛は失敗したのだ。各所にまっとうに訴えかけたことは何の意味もなかった。ホールの総点検はされなかったし、事務所は何度も送られる彼女の手紙を読もうともしなくなった。怪文書のファンレターはマネージャーのところで止まって蒼維には届けられなかったし、SNSでは「歴史あるホールを誹謗中傷し続けるヤバいアカウント」くらいにしか思われていなかった。
せめて会場に行っていれば、どうだったろうか。
わからない。蒼維を突き飛ばして彼を守るようなことができただろうか。
簡単に警備員に取り押さえられたかもしれないけれど、蒼維の居場所を少し変えることさえできれば――。
「そうだ!」
彼女は叫んで起き上がった。
ぱっとスマホを見る。9月15日。
「一回じゃなかった! 少なくともまだ行けるよ、真穂!」
ベッドから飛び降りようとしたが、昨日、それとも二ヶ月後に架凛を襲っていた疲労感は消えていない。健康を取り戻す必要があるだろう。架凛は唇をかみしめた。
「でも、まだチャンスはある」
彼女は両手を握りしめた。
「私、馬鹿なことしてた。聞いてもらえない戯言は繰り返したって聞いてもらえない。そんなことより、やっぱり直接的な手段がいいに決まってる」
飛び出すのだ、蒼維の前に。彼女は捕まるだろうが、蒼維も遠ざけられるだろう。照明の落下地点にいなければいい。
(必要なのは、瞬発力)
待機列を囲っているロープをくぐり、蒼維のもとへ駆けつける。ある程度以上は近くまで行かなければ、蒼維はその場から動かないに違いない。接近する必要がある。
(前回倒れたのも、体力がなかったから。いまもまだ疲労がすごい。この二ヶ月はきちんと健康に過ごし、適切な運動もしよう!)
二ヶ月の準備期間にやるべきはきちんとした休息からの体力作りと、飛び出すタイミングを計ること。架凛はその訓練に終始することにした。
そうして架凛は二ヶ月後を迎え、握手会に臨んだ。蒼維が出てくる。ファンたちが沸く。蒼維が知った顔の前で足を止める。
(いまだ!)
ぐ、と飛びだそうとしたとき、しかし彼女の腕はがっちりと捕まれていた。
「ちょっとこっちに来てもらえますか」
屈強な警備員がそこにいた。
「様子がおかしかったんで、見ていたんですよ」
「あ……」
推しがやってきたのに歓声ひとつ上げずにらむようにしていた彼女は、さぞ異様だったろう。警備員の目には「何かやらかしそうな人物」としてずっと映っていたのだ。
「放して! ソーイが」
そのときにはもう、遅かった。
天井は
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