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一年前、私の勤務していた中学校では、プール実習を再開するかどうかで議論が交わされていた。その頃はまだコロナ禍の影響が拭い切れず、プール解禁については衛生上責任問題が取り沙汰されていたのだ。元々強かった水泳部を復活させたい教頭派、万が一の訴訟を恐れて反対する校長派の間で激しい火花が散っていた。
結局教頭派の押す解禁論が通ったのだが、校長派が負け惜しみでもいうように、様々な条件をつけてきた。特に、衛生面ではこれでもかというくらい徹底しており、〝接触〟は極力避けるようにと口酸っぱく言われた。現場で指導に当たる者としてはやりにくくて仕方がない。
そうして解禁後、最初のプール授業が行われた。校長派の連中が穴が開くほど鋭い視線を投げかける。正直どっちでもいいのに、いい迷惑だ。なるべく一度にプールに入る人数は限定し、待ち並ぶ生徒たちにも距離を取らせた。一人が25メートルを泳ぎ切ったタイミングで、次の生徒に泳がせる。
そうやって、水泳部のエース、加藤雅也の番になった。まさに理想通りの飛び込み、華麗なフォームによる敏速クロール。胸のすくような快走だった。
ところが15メートルほど進んだところで、突如停止した。と同時に、赤子のように手足を丸めたかと思うと仰向きになり、白目を剥いてプカプカ浮いた。
「加藤!」
私は咄嗟に飛び込み、救出に向かった。何とか加藤を陸上げし、胸骨圧迫による人工呼吸を試みた。しかし、30回行っても、呼吸が回復しない。セオリーではこの段階でマウストゥマウスを行うのだが……ふと見ると、校長派の連中がじっとことの成り行きを見守っている。
マウストゥマウスに切り替えなければ命の危険さえある。しかし、やれば衛生上問題視され、たとえ加藤が助かるとしても、私への責任追及は免れない。そうだ、胸骨圧迫を続けても可能性がないわけではない。あと数回続けよう……あと数回、あと数回という具合に続けているうちに救急車がやって来た。
加藤はそれから意識は回復したものの、呼吸停止が長引いて後遺症が残り、水泳選手としての道が閉ざされた。つまり、私の自己保身によって一人の有望な選手生命にとどめを刺したのである。私はその重荷に耐えきれず、逃げるように教師の職を辞した。
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