第24話

 試験について、最初に試験を意識しだしたのは小学校高学年で、上に兄弟がいたので、試験の話がちょっとづつ耳には入っていた記憶がある。中学に入ると中間試験と期末試験が年に何回かあって、いい点を取らないといけないみたいな漠然バクゼンとしたものだ。


小学高学年に塾の体験学習をやって、それから、私立の中学対策に初めて試験対策を行った。結果は惨敗ザンパイだった。それから中学に入ると、塾に入り、毎日、学校を帰ってきたら通っていた。なんとなく通っていたが、それほど成績はよくはなかった。


試験期間中は、学校側もそのような雰囲気フンイキになり、勉強をしないといけないような状態に持っていっていたような気がする。しかし、勉強が嫌いだったので、あまり集中できなかった。


試験中のあの緊張感キンチョウカンは好きだ。大勢の人間がいるのに、自分の問題に集中する感じ。まるで他人に気を取らずに済む。大勢いるのに。


試験はうまくできる場合と、そうでない場合の二極だったような気がする。うまくできるときは、まあ気持ち的に、当然のように作業のように試験をこなす。そうでない場合は、自分ではうまくいっていると調子に乗って、かなり悪くて落胆ラクタンしたり、試験最中に、ああ、これは零点レイテンだなと泣きそうになる場合がある。


別に試験勉強をしてないわけではない。してるわけでもない。どっちだろう。一生懸命思い出してみると、試験の一週間前から勉強はしていたのは記憶している。ただ、もう一方の記憶では、試験前日に一夜漬イチヤヅケけしかやってこなかったという記憶もある。


一週間前からやっていた記憶では、何か、学校から試験の日程が出されたら、その日程に合わせて、科目の勉強する予定を決める。得意不得意を考えて、加減する。そんな感じだったようだ。


一夜漬イチヤヅけの場合は、何にもやってこなかった、アニメやゲームばっかりやっていて、頭の片隅では試験のことがじりじりしているが、みたいな。それで気が付くと試験前日となり、吐き気をモヨオしながら、とりあえず暗記問題をする。という感じ。その時の感想は、一夜漬けの方が、記憶力が残っていいじゃんという負け惜しみみたいな思いだ。


試験結果を見るときは、成績が貼り出されるのを確認する。最初のころは見ていたが、2年も中盤になると見なくなっていたような気もする。あまり成績は良くないとよくわかっていたからだ。


今考えると、試験はいい。勉強を漠然バクゼンとやっていると、整理がつかない。節目節目にそういう意識にさせてくれた。イベントごととしてもあがる。なかなかいいものだ。



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