第22話

 勉強はなぜかよくできた。特に算数などは。小学校の問題は簡単に感じた。パッと見て答えが浮かぶこともよくあった。それは今考えれば自分にとって幸運ではなかったように思う。しかし、何らかの指針にはなった。その時の経験がなければ、自分に自信を持つことなど到底トウテイできなかったと思う。


幸運でない理由は、努力をするのが難しかったことだ。とにかく、小さいころは勉強はイヤだった。やるよう言われてもなかなかできなかった。だから結果として、大学は浪人ロウニンしたし、中途で休学したりやめる結果となった。


しかし、だんだん年を重ねると、あの時、無理をしてでも大学は卒業するべきだったと思いだした。大学というのは一度自主退学をしても、条件がそろえば再入学することができる。それを利用して、大学に戻り勉強しなおすことにした。


その後は、とにかく大学を卒業したい一心で、必死で頑張ってみた。そうすると、だんだん勉強が楽しくなり、いろいろ勉強をしたくなりだした。そうして、大変だったが無事卒業でき、再びの大学は有意義ユウイギに過ごすことができた。その経験は自分にとってとても貴重なものとなった。


一方で、本当に勉強が必要かどうか聞かれると、どうだろうと思ってしまうこともある。やらなくても十分生きてはいける。もしくは、勉強をしない方が良いという場合も現実にはよくある。


こうやって迷ってばかりいるので、なかなか実のある生活ができないのかもしれない。使う側からすれば使い勝手わるいですよね。そんなことをつらつら考えてみる。自分にとって有意義な人生っていったい何だろう。


まあ、一通り勉強をやり終えた後考えたことは、勉強というのは一生、できれば一生の間やり続けた方がいいという価値観だ。生物として進化の過程で、人間は知恵を身につけてきた。経験則ケイケンソクだ。これはほかの生物・動物には顕著ケンチョには見られない能力のような気がする。じっくり見ればそうではないかもだけれども。


頭の発展に伴って、人間社会も発展していった。つまりは人間が勉強することで、社会が進化している。勉強こそが人間の生存に関する優位性を促進する。これは人間に課せられた義務ギムなのではないだろうか。なんて大それたことを思ってみる。宇宙船地球号、昔そんな名称をテレビでよく聞いた記憶がある。その中の乗組員である人間の存在意義ソンザイイギ


まあ、なかなか、不満もいっぱいあるし、それだけ目標といわれても困る場合が多い。それに、それを頑張りすぎたための社会問題もあるかもである。ほどほどがいい。


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