第五節

第21話

 仕事より現実感が増すのは勉強のことを考える時だ。青春時代、とにかく勉強をした。塾へ通い、より成績を良くしようと試みた。そのため、よりまじめにどうしてこの現状なのか悩んだものだった。若い頃って、何か、細かいことに悩んだりする。年を重ねるといろいろなものが摩耗マモウして、結構ケッコウ鈍感ドンカンになる部分が世界の終わりみたいに悩んでしまう。それはともかく勉強だ。


そういえば、自分が勉強について得意な意識を持ったのはだいぶ低年齢の時だったように思う。たまに同級生にお前は頭がいいなとテストの際に言われることがその要因ヨウインだった。ただ、それはその時の自分にとって重要なことではなかった。だから正直そういわれるのは迷惑だなと思っていた。本能的にそういう自尊心をくすぐることは、自分の冷静な判断をくるわし、また将来的にその勉強ができるということに何か悪影響を与えるのではないかという恐怖心があったのだ。しかしこれは杞憂キユウどころか完全にこちらの判断ミスだった。


そういうことを言うのもまた人生後半に向けて判断ミスだと言えなくもなかった。

ただ、それは大人になってからの話なのでぜんぜん別口だと思ってもいいようにも思える。


中学の最初のテストでなかなかの成績を取った後、なぜか自分では気恥キハズカしいというか、あるべきことではないと思っていた。その後、成績は坂道を転がるように下がっていき、その最初の成績を超えることはなかった。


勉強を頑張ったのは現実を知ってからなのでだいぶ後のことになる。もう一度勉強をやる機会を頂いたので、それは必死に頑張った。おかげさまでそれはなかなかの結果を頂いた。自分がまるで機械になったように現実を生き抜いた気がした。生物としての自分がそれが心地よかったといえるのは今考えると不思議だ。


結果として、それが自分の人生において、よいことなのかわるいことなのかまだ結論が出せていない。自分としてはよいことであってほしいと思っている。だって、その努力が全く無駄だったとしたら、報われないし、また、それらにかかわってきた人たちにも申し訳が立たない。一方で、それが世の中にとって悪い影響を与えてるもしくは損失を与えているのなら、自分事でそこまで意固地イコジになるのもどうかなと思わなくもない。


極論キョクロンを言えば、勉強もはまってしまえば欲望ヨクボウになってしまうので、周りからウバうという行為だと言えなくもない。なんてことをヒマになった今となってはつらつらと考えてしまう。今、頑張ガンバっている人には申し訳ないが。

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