第17話

 初めて働いたのは父親の会社の、下請けのようなことを家でやらせていただいて、家族でバイトみたいなことをした時だった。その時は、家の倉庫みたいなところを仕事場として、ちょっとした工場みたいに作業を行った。忙しい繁忙期ハンボウキに家族で一日中夜までノルマをこなしたものだ。


単純作業で慣れるまできつかったのを覚えている気がする。しかし、その時の経験によって、大人になって働き始めた時に、その仕事がどれほどきつくてもそれほど苦にならなくなった。


実は職業安定所ショクギョウアンテイジョを利用したことがある。市役所に似ているが、やや雰囲気フンイキが違うようにも感じる。担当の人とやり取りすると、本当に真摯シンシに対応してくれる。

ともかく、自分のパソコンの技術はその職安で就活のスキルとして身につけたものだった。今でもそれは感謝している。


あと、仕事といえば、保険か。国民年金、労働保険、厚生年金コウセイネンキン国民年金基金コクミンネンキンキキン。公務員の仕事が自分の時代、今もそうかはわからないけど、人気があったのは福利厚生フクリコウセイが充実しているからだったはず。印象としてあまり高くない給料で、その代わり、その福利厚生が手厚いので将来、安心安泰アンシンアンタイだ。という感じだったけ。国民年金は、成人すればたいていの一般の方が入っていて、それを基盤に、働いていれば厚生年金に入り、個人で仕事をしていれば国民年金基金に追加で入る、という認識だ。労働保険は、仕事中に何かあった時、生活を保障してくれる感じ。とにかく国とかの機関が保証してくれるので安心だ。


就職は一度したが長続きはしなかった。今にして思えば、頑張りすぎていたのかもしれない。自分を良く見せよう、何とかみんなに気に入られようという気持ちから、自分に合わないことを無理をしてやっていた気がしなくもない。仕事を考えた場合、その仕事に関わる人全体で行われるものであって、自分だけということはない。自分の選択によってうまくいったためしはなく、目上の方に従っていた方がよかった気はする。しかし、それは正直きつい。何か意にそぐわない、とかそのまんま体がきつかったりする。それはどうしようもない。人に言われたことを砂に水がしみこむようにすっと入ることができる人って本当にいるのだろうか?


とにかく、なんだかんだで今は個人で仕事をしている。とても気は楽だ。将来の不安は常にあるが、自分で自分の人生を作り上げている気はする。しかし一方で、そういう考え方はとても危険で、何かに所属しているという意識を持たねば、傲慢ゴウマン不遜フソンなどの感情に支配されないとも限らない。

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