第8話

 携帯電話を最初に持ったのは、PHSだった。確か通称ピッチだったっけ。今でも確か、医療機器に影響を与えづらいから、医療用として使われているのではなかっただろうか?自分が持ったPHSはとにかく電波が届かなかった。


実家を出て一人で生活するといったとき、親が持たせてくれた。部屋に置いていても電波が届かず、部屋のどこに置けばいいか試行錯誤したのを覚えている。結局一番窓際に立てておいて、ぎりぎり棒が一本立つかどうかで、使用していたように思う。電話がくれば、そのまま使用すると切れてしまうので、窓から外に出て会話をするようにしていた。雑草が伸び放題の家庭菜園か花壇のところで、何か用事を聞いたり、友達とやり取りをしていたのを思い出す。何やっていたのだか。


こうして、親元を離れて生活しだしたので、しばらくすると改めて自分で携帯電話を買ってみようと思い立ち、以前にお話ししたように、docomoのガラケーを入手することとなった。ガラケーは二つ折りのパカパカする奴だったと思う。PHSはナンバーの部分だけにふたがあり、それを開けて数字を打ったと記憶している。あとナンバーの部分でスライド式のやつもあったような気がする。その後さんざん機種変更をしたものだった。auは、auショップで働いていて、それで機種変更をした。しかし、その職場もauも長続きせず、次にジェイフォーンに変えた。それから、間もなくして、ジェイフォーンはボーダフォンと名前を変え、わけのわからないうちに、ソフトバンクへと変更した。そして改めて、docomoに機種変更をして一周回ったことになる。これからはメーカーを変える気は今のところない。


そして、スマートフォンに変えたのは、やはり両親と一緒だった。今は実家で一緒に暮らしている両親と、ガラケーからスマートフォンに機種変更をしに行った。いい年してちょっとうれしかった。スマートフォンにかえると両親はしばらくドコモ教室へと通った。スマホにもドコモ教室用のアプリがあって、連絡のやり取りやスケジュール管理などができるようだった。自分は行った記憶がない。たぶん自分でセッティングなどしたのだろう。今は、ネットショップなどで携帯の機種変更をしたりしているので、ほぼドコモの店舗には足を運ばない。


現在は、2年周期で変えれるプランを利用している。2年以降の月賦は支払わなくてよい奴だ。たまに、何月に変えたか忘れてアタフタすることがある。

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