第4話
自分のことは多重人格者だと思っている。思うようにしている。こういう考え方は健全な方にはあまり受け入れられないかもだけど、自分自身の人格は猜疑心のかなたに忘却してしまい、特定できない。自分との対話に返事は基本的にない。ただそうゆう風に答えてくれている気がするだけだ。それに対してまたこちらから返事をくれる。そうこうしていくうちに一つの答えに収束するか、点でバラバラに拡散していくかする。大抵は後者で、得られるものは少ない。ただ、あまりさみしくはない。
物事を考えているといろいろな考えが浮かぶ。もちろん世の中ではよくないといわれていることもよく浮かぶ。ただ現実に実行したらまずい、と考えれば自制する。自分の欲求、欲望との格闘が始まる。その時、話が対立するときに分類、色分けをする。その過程で、自分の人格に少しづつ異なる性質を見出す。自分はこうしたいという確固としたものを持っているようで、しかし、その反対の意見もとても魅力的に感じたりする。
聞き分けのない自分の中の子には始終突っ込みを入れる。こうすると自制の苦労より何か楽しくなったりする。想定する子供は、こちらの言っていることを理解できているのか出来ていないのか判断することができない。大人?の自分の言っていることにきっと驚いて黙ってしまっているだけなのだと思う。そんなことを想像してみる。
開き直るのもありだ。
そりゃ自分の中の誰かに禁止されてもビールは飲む。ビールを飲んでいるときはビール派だ。準備した本数を飲み終えても、おなかがいっぱいでもビールを飲みたいと思う。それがどうしたと考える。しかし、翌日、吐きそうになるぐらい体調を崩していたりすると、ほれみたことかとなる。そして説教タイムだ。だからビールは飲むなとあれほど言っただろうとなる。このままだと生活習慣病は改善されずに痛風になるだろうと考えたりする。痛風より先に糖尿病にならないか心配だ。太るとみっともないし、痛風になると痛い、糖尿病なんか最悪だ。金もかかるし、一生なおらないし、時間も取られる。想像しただけでぞっとする。
とにかく多重人格者だと思わないとやってられない。
なぜなら、それほど自分は考え方に一貫性が無い。自分で自分にあきれてしまう。結果が伴わない行動をすると特に人のせいにしたくなる。その時、自分以外のせいにするのは便利だと思う。単なる現実逃避なのだが。
そして反省する。
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