第三節

第36話

 本を読むのが好きだ。

空想ものが好きで本好きになったといっても過言カゴンではない。漫画などにはない、文字による想像力というか、自分の想像と本のホントの意図イトが少しずれたりすることもあるが、それはそれでいい。


本が好きになると、だんだん現実的な話も読みたくなる。ノンフィクションなど実際にあることがあまり自分の周りになかったりすると新鮮シンセンだし、人のエッセイなど親近感シンキンカンがわいたりもする。そういえばエッセイなどの書き方などあるのだろうか。あまり気にしていない。ダメかも。


さらに、現実の問題について、客観的な情報を求めたりもする。しかし、あまり読む機会がないような気がする。前に一度、時事の太い本を通読ツウドクしようと思って、数冊買ってはみたものの、2冊目ぐらいで挫折してしまった。読み慣れたらクセになってそれほどにはならなくなるかもしれないが、その時は読み進める時間がなかったように思う。


新聞は毎日読む。興味キョウミがあるなしではなく、義務ギム的に読む。前は、全体的に一日かけて読んでいたりもしたが、今は時間もなかったので、大きな見出しをざっと目を通す。それで気になった記事だけ読んだりする。そして、最後に四コマ漫画を読む。四コマ漫画を読むのは、新聞を読んだかどうか忘れた時のための保険だ。もちろん漫画は好きだが、読みたくて読んでいるというよりは義務的に読んでいるという感覚が正しいのかもしれない。作者の人ごめんなさい。


文字を読みたいと思うときと、そうでないときがある。読みたいと思うときは寝る間も惜しんで本を読んでいたりする。主に大好きな作家さんや面白い本にあった時などだ。内容がきちんとすべて把握ハアクできなくともとにかく文字を追っていく。

反対に文字を読みたいと思わないときは、ぜんぜん集中できず、きっちり読んでいるのに内容が全く頭に入ってこない。そういう時は、読んでいるという自分によっているというか、ノルマ的な達成タッセイ感を楽しんでいると思う。


考えてみると、本は活字の羅列ラレツなので、まったく芸術性がないようだが、文字や語彙ゴイの意味によって何らかの価値観を与えると、全体として絵画や音楽のようなものとしてとらえることができるかもしれない。無理か。まあ、とらえられるとしたらただ、意味を理解せずとも漫然と文字列を見ているということは本を鑑賞カンショウしているということにならないだろうか。言い訳っぽいが。


結局、なんで本が好きかというと、本を読んでいる自分が好きなのかもしれない。




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