第35話
異性について。書こうと思うと、なかなか筆が進まない。何かこう気恥しいというか、未知のことを自分が好きかって書いてよいものか考えてしまう。とりあえず、性的な欲求は必須条件だ。これは大人になったら誰でも抱えるものであるが、
まず、思春期になるとその壁にぶち当たる。その壁を乗り越えて大人になっていくわけだ。
家族などの異性はまあ、話していてもそんな感じだろう的な距離感で適当に話せるが、一歩外に出ると、どれぐらいの距離感で話をしたらいいのかわからない。めんどくさいとか、話しててどうしていいかわからないとかだんだん面倒くさくなることも多い。恋愛などもなんか進展しているのかいないのかもよくわからない。
例えば、コンビニの方とか。いつも利用してるし、顔なじみっぽいけれども、下手に仲良く話をするとまた、変な感じになりそうで怖い。大体、仕事をしていて、サービスを提供する側と、商品を買う側なので、なんかその辺の割り切ることは必要な気はする。たださびしい。
例えば、同級生など。思春期の頃はとてもやきもきしたものだ。近くにいるようで遠い存在というか、最近の子はそうでもないのか仲良くするのもやぶさかでもないのか。そんなことをつらつら考えてしまう。共有する経験や感覚が、ちゃんと相手と会っていれば、話も弾むというものだ。もしくは完全にソフト敵対関係にあって終始やりあっているのが楽しいとか。
年を取ってもなかなか慣れることもなかった。
性欲について考えると、思春期の頃から
内向的でとても周りから見たら、価値を感じることはないようなそんな非モテぶりであった。だから気持ちを伝えるなどもってのほかで、異性に対しては表面的な部分でしか判断できなかった。顔とか。
今にして思えば、その方がよかったような気もする。異性に関していえば。もちろん経験値をガンガンに挙げて、そういう場面場面で対処できれば言うことないが、だからと言ってそういう能力が必ずしも人生に貢献するとは今は思えない。むしろ、同性の社会で切磋琢磨した方が社会にとっては有益に見える。
とはいえ、異性のいない人生はさびしい。無意味といっても過言ではない。昔から生物の存在する目的について、確固たる確信があった。それは生きることだ。生き続けることなのだ。だからこそ異性が必要だ。そう思う。
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