第27話 フォクシー・フォニー
「なんだ?」
誰かがそう呟いた。その対象が何であるか等、この場にいる者なら誰もが分かっているだろう。何を隠そうこのムカデと悪名高いその女も、その異音に気付いたのだから。
初めは、何か硬い物を工場の壁に打ち付けるような音だった。
ただそれを気にする者はいなかった。外は随分と強い吹雪になってきている。風で転がった石か何かが引っ掛かり、何度も壁にぶつかっているのだろうと、誰もがそう思っていた筈だ。
問題は、それらが収まった後に現在進行形で鳴り始めた異音。
例えるなら、金属を石のようなものの上で引き摺るような音。軋む音にも近い。それが、まるで我々に危険を告げる警告のように、工場中に鳴り響いているのだ。
こうなってしまえば、取引どころの話ではない。この場には、常に命を狙われる人物もいる。ムカデも然り、その獲物も然りだ。
腰元に差していた銃を抜き、護衛が警戒の為周囲に目を光らせる。ムカデも、自身を狙う敵がいないかと警戒する。
「……」
何もいない、何も無い。
放棄された工廠内に積み上げられた物資の山と、大きく開かれた大扉。その外には、轟音を立てて吹雪が吹き荒れている。
敵どころか、生物の一匹すらも存在しない。この猛吹雪では、外に人がいる可能性も少ないだろ。鼠一匹ですら外を出歩いていないかも知れない。
それを確認してか、護衛の者らも警戒を解く。
今も鳴り響くこの異音は、敵によるものではない。激しい風により、建物が軋んでいるのだ。そう、全員が解釈して。
「あれ?」
ただ一人、ムカデだけは違った。
僅かな違和感を感じたのだ。それは、入口に見えた猛吹雪に対して。
開かれた扉の間は、大体大の大人が一人大きく手を広げた程度だろうか。それ程大きく開かれている訳でもない。闇取引の最中だ。大きく開ける理由もない。
白熱した交渉により誰も覚えていないのだろう。かくいうムカデも、その記憶は曖昧だ。果たして入口の扉は、外の猛吹雪をはっきりと確認できる程、大きく開いていただろうか。
最初は、人一人入る事すら不可能な程度の隙間だった筈だ。それもその筈、こちらは決して人に知られてはいけない取引の真っ最中。もし軽率に人に見られでもすれば、口を封じる手間が発生する。
それが今では、横に並びさえしなければ大人一人が難無く通れる程度の大きさに広がっているのだ。
異音は現時点でも続いている。それも、耳を澄ませば出入り口からだ。すぐには警戒を解かずに眼を凝らす。そして、その隙間が大人二人分になった時に、異変に気付くことが出来た。
鳴り響く異音と、それに呼応するようにゆっくりと扉が開いているのだ。
確実に人間によるもの、だとは言い切れない。
吹雪の風で開いているのか。風の音は、工場の中心からでも聞こえてくる程に大きい。恐らく外では、会話すらままならない程の轟音が鳴り響いているだろう。まさに暴風、扉を動かしていてもおかしくはない。
雪が工場内に入り込んでいる。それも、扉が開くごとに徐々に深部へ。工場の床を浸食するように。
異変に気付いているのは未だにムカデだけだ。いやむしろこれを異変と呼ぶほど憶病なのが、ムカデだけなのかも知れない。
緩慢と、扉が開いていく。焦らすように、弄ぶように。
毒のように静かに、それでいて激しい音を鳴らしながら、吹雪が工場内に浸食していく。
既に扉の隙間の大きさは先程の二倍以上だ。ここまで変わってさえ気付かないのかと、ムカデは獲物たちの無能さに呆れながら獲物の腕から離れ、コートのボタンを留めた。
この者達はいつもそうだ。
そもそも、獲物に狙いを定めたのは僅か一か月程度前に過ぎない。出会ってからよく話す様な関係性になったのは、そこから一週間程度しか経っていないだろう。
だというのに、獲物の男は婚約を迫る程にムカデに惚れているようだし、周りも微笑ましそうにその様子を眺めているばかり。
能天気も甚だしい。同じ裏社会の住人だというのに、欠伸が出る程の間抜けだ。騙している相手でありながら、その程度の低さに苛立ちを覚える程に。
ムカデはコートの下に隠し持った武器を構える。内側に湾曲した短刀、ククリと言われるムカデの愛用する得物だ。
もしこの者らが死んだとしても、自分だけは何としても生き残る。今までの相手でも、そうしてきたように。その覚悟を胸に。
扉の隙間は更に大きい。音も徐々に大きくなってきている。無論、侵入する雪と風もだ。そこまで変化して漸く、この者達も気付いたらしい。
「おい、扉開いてるぞ」
「誰か閉めてこい」
「っす」
顎で使わされた下っ端の男が、開いた扉の片側を掴み思い切り閉めようと扉を引く。
扉は下っ端の力に従いゆっくりと内側へ閉まる。しかしその直後、まるで反発するように両側の扉が大きく開いた。
「なっ!?」
触れていない扉さえも大きく開いたのだ。明らかに、風による扉の開閉ではない。
防波堤となっていた扉が開くことにより、吹雪の雪が工場の中にも浸食する。それはまるで目眩ましのように大気中に雪が舞っており、その勢いは最早痛みすら感じる程だ。
「クソっ……」
まともに瞼を開ける事すらままならず、目元に腕で傘のように影を作り周囲を確認する。
吹雪の奥に誰かがいる訳では無い。とは言え、これが完全に自然の現象だったということは無いだろう。ムカデの思考が急速に回転する。
賞金首の中でも、ムカデは群を抜いて警戒心が高い。
数々の場で、数々の男を相手に。彼女はその野生動物のような警戒心を武器に逃げおおせて来た。そして、今回もそうであると確信している。
敵の思惑は、恐らく目眩ましと陽動だ。扉を開くことで入口に注目を集め、同時に吹雪を入り込ませることにより目を眩ます。となると、敵の狙いは別にある筈だ。
急いで振り返れど、後ろの出入り口は開いていない。人間用の小さな出入り口も同様だ。
その周囲にも、隠れている影は無い。となると……――――。
「上ッ!」
工場内、二階部分の足場。その手摺に膝を折り曲げフックのような形で、ぷらぷらとぶら下がる影が一人。
左眼を隠す深緑の前髪と、女であれば一度は見惚れるようなその甘いマスクには、道化の仮面の如く嘲笑うような微笑み。
前側を留めていない黒いコートの下には、白いシャツと緑のベスト。ケープの上に羽織るコートがどういう原理か落ちることなく、吹雪に吹かれはためいていた。
両手に持つのは、特徴的な柄の先に鎖が繋がったファルシオン。
「ぉおや?」
「お前は……」
賞金首にとって、賞金稼ぎは切っても切り離せない存在だ。
蟷螂が飛蝗を狩るように、小鳥が蟷螂を啄むように、小鳥を猛禽が捕らえるように。賞金首には、その首を刈り取る賞金稼ぎがいる。
被捕食者が捕食者の事を知らずとも、逃げる行動を取れるように。賞金首は賞金稼ぎの顔を、容姿を、知っている。彼らがこの地上で最も、優秀な狩人である事さえも。
「お嬢さぁん、お静かにっ」
「贋作フォニー……ッ!」
瞳を片目だけ閉じ、贋作フォニーはムカデに視線を送る。
立てた人差し指を唇に当てた彼は、まるで獲物に狙いを定めた狐のような鋭いヘーゼルの瞳を湛えていた。
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