第28話 ムカデ
「贋作フォニー……ッ!」
ムカデが叫ぶのも束の間、フォニーは手摺に掛けていた脚を外した。
彼を支えるものはもう無い。地球の法則に従い、彼の身体は自由落下を始めようとしている。
彼はその最中でフェルシオンを逆手に持ち替え、体重を込める構えを取る。その刃先の狙いは無論のこと、ムカデとその獲物だ。
「クッ……!」
「ほぉお……」
甲高い音が鳴り響き、ムカデはククリを振り上げフォニーの刃を弾く。その傍ら、片方の刃はムカデの獲物だった男の脳天に深く突き刺さり、さも間欠泉のような高い血の噴水を形作った。
大きく飛び退き、ムカデはフォニーと距離を取ろうとする。だがそれを許さんとばかりに、フォニーはしなる鎖をぴんと張らせ、鎖を振ることで男の死体を投げた。
「その身のこなしぃ、どぉうやら貴女がムカデ様で間違いないようですねぇえ」
「そのうっさん臭い喋り方、お前も贋作フォニーで間違いないようだな」
投げられた男の死体を軽々と躱したムカデを見て発したフォニーの言葉に、ムカデは苛立ちを隠さず応えた。
「んお褒めに預かり恐悦至極ぅうですがぁ……おっと」
扉が開いたことに注意が向けていた男達も、ムカデが叫んだことによりフォニーに気付いたようだ。敵を排除すべく一斉に銃を抜き、銃口をフォニーに向けた。
当の侵入者は「おぉお怖い怖い」と口にしつつも、その瞳は楽しそうに揺れている。
フォニーは再び鎖をしならせることで傍にいた男の首を刃で貫くと、それを強く手繰り寄せることで即席の盾とする。
男の死体が蜂の巣のように穴だらけになっていくのに一瞥もくれる事無く、フォニーはもう片方のファルシオンの刃をムカデに投げた。
「チッ!」
入口に向かって走っていたムカデが急速にブレーキを掛ける。
殺す為の投擲ではない。ムカデを工場内に留める為の投擲。
ついでに羽織っていただけのコートを投げ付け、ムカデが逃げてしまわないように妨害するとフォニーは再び眼前の敵に視線を投げる。
銃弾の雨は一切途切れない。なればどうするか。
肉の盾を大きく前に蹴り、男の死体を押し付ける。
死体に銃弾を貫通させフォニーに当てようとしていたらしい敵は、その咄嗟の行動に思わずフォニーでは無く死体を狙ってしまった。
フォニーがにやりと笑う。ムカデの方に投げていた鎖を手繰り寄せながら。
投擲により、もう片方のファルシオンが彼らの周りを囲むように回る。
銀色の綺麗な弧を描いて、刃が彼らの周りを飛ぶ。そして勿論、その柄の先に付いた鈍色の鎖もまるで彼らを囲むように。
男を拘束することで戻って来たファルシオンを強く引き、男達を締め上げる。
そして、懐から取り出した鉄の試験管の蓋を開けると、内包されていた液体を男達の顔目掛けて振り撒いた。
途端に上がる、絶叫と悲鳴。
「友人謹製の熊除けですぅ、死にはしないですからぁあご安心をっ。さてぇえ……――――あぁ!」
目や鼻、粘膜に液体が掛かり、身体中の穴という穴から涙や鼻水といった様々な液体を流す様から目を背け、フォニーはムカデを探す。既に入口から逃げようとしているムカデを。
フォニーの表情が初めて笑みが消えた。
護衛の男達がいるとは言え、それらと混じって戦おうともフォニーには勝てぬと踏んだのか。既にムカデは入口に手を掛けていた。
外の猛吹雪では追跡は難しい。確実だったプランが、少しだけ欠ける光景をフォニーは幻視した。
ムカデは安堵の表情を浮かべ一歩を吹雪に向けて踏み出す。
だが、二歩目を踏み出す事は無かった。猛吹雪の奥に微かに見える、黒い影を見つけて。
「あら、あらあらあらあら。ここまで来て逃がすなんて、貴方って随分甘ぁいんですのね」
「……おぉおやおや、よぉくここが分かりましたねぇえ」
ゆっくりと、ムカデが後退りする。
豊満な胸部、くびれた腰部。恵まれた
広げた両手の上には、蜘蛛が一匹。そして二匹、三匹。まるで雨粒が降るかの如く、次々と蜘蛛が現れては、彼女の手の上に、肩の上に乗っていく。腹に赤い模様がある、致命毒を持った毒蜘蛛が。
彼女はゆっくりと口を開き、蛇のように長い舌を見せ付けるように晒した。
その蜘蛛は、元々ここより遥か南に生息する、親指の第一関節程度の大きさの毒蜘蛛だ。温暖な地域に生息するそれは、本来このような寒冷地には生息することが出来ない。それどころか、活動も出来ない筈である。
なれば何故、これ程までに女の手に現れているのか。
まるで闇から這い出る影のように、ヴェームの口より蜘蛛が飛び出している。『毒手のヴェーム』は何故、一度も判明されずに暗殺をこなす事が出来るのか。その答えが、今の彼女だ。
「あら、わたくしは直接戦いませんのよ。どうぞ、ご勝手に」
悍ましい数の毒蜘蛛が、彼女の手元より飛び出した。
しかしそれらがムカデを襲うことはなく、蜘蛛は入口を塞ぐように立ち塞がっていた。彼女の言葉の通り、傍観者を気取って。
「……もしやぁ、私をいぃいように利用しましたね?」
「ふふっ、何を今さら。あの変人二人組と組んで鈍ってしまいまして? 元々私たち
ムカデは蜘蛛を警戒してか、入口から大きく距離を取りフォニーに向き直る。フォニーも、男達を締め上げていた鎖を再びしならせ、戦闘の構えを取っていた。
鎖を持ち、フォニーは身体の両側でファルシオンをぐるぐると回す。
流麗な円を描く、鏡のような輝きを放つ銀の刃。
ブーツの乾いた足音が鳴り響き、ククリを逆手にもつムカデにフォニーが歩み寄っていく。
「お先にどうぞぉマドモアゼル。うふっ、レディーファーストですからっ」
「舐めやがって……!」
コートの下から投げたナイフは、回転する刃により弾き落とされた。
大きく踏み込むムカデに、フォニーは左手で持ち直したファルシオンを薙ぐ。だが、刃は彼女の腹を割くことは無い。
踏み込みと同時に彼女は体勢を下げ、フォニーの脚を払おうとしたからだ。
「レディーファーストじゃねぇのかよ……!」
「うふ、嘘ですぅ」
左手を大きく上げ跳躍しながら、フォニーは屈託の無い微笑みを投げ掛けた。
その名を知れど、ムカデはフォニーという人間を知らない。
ヴェームが金の亡者なら、贋作フォニーは自身が最後まで生き残る為であれば手段を選ばない。
例え卑劣な罠であろうと、例え残虐な兵器であろうと、例え甘い牛であろうと。彼は自身が生きる為ならば、迷わず最善の手段を選べる人間であると。
好機だ。ムカデは目を光らせ、ククリをフォニーの腹に突き刺そうとする。
彼は今跳んでいる。当然だが彼に避ける術は無く、そして着地した時。そのナイフは彼の心臓の高さになる。
だが、彼女の狙い通りにはならない。
フォニーの左腕から伸びるチェーンは、二階部分の足場に伸びていた。
「……!」
フォニーの身体は落下しない。それどころかフォニーの身体はまるでナイフを避けるように空中で後ろに後退したのだ。
そう、跳躍の際上げていた左手は、ファルシオンを手放し二階部分の手摺に鎖を引っ掛ける為。彼はそれを利用し、振り子のようにしてナイフを躱した。
フォニーの身体が揺れ動く。今度は、自らムカデの方へと。
筋力だけでフォニーは空中で地面から水平の体勢を取り、咄嗟に防御の姿勢を取るムカデを蹴り飛ばす。
衝撃を殺しきれず、彼女の身体は容易く浮き上がった。そしてさもボールのように何度も転がりながら受け身を取る。
ムカデの思考が急速に回転する。
腕が痺れる。蹴りによるダメージが存外に大きい。受け身を取りながら、ムカデは歯を喰いしばっていた。
特殊な剣術に警戒の全てを注いでいたせいで、彼の蹴りや殴打を想定していなかった。
フォニーは長躯だが、その三倍はありそうな長い鎖。そしてその先に繋がれた二振りのファルシオン。成程、彼が賞金稼ぎの中でもトップクラスの強さを誇る理由が分かった。
刃は勿論、しなる鎖も全て鉄。当たれば致命傷になりかねない。故にその長い鎖とファルシオンに全てに意識が割かれ、集中力が大きく削がれるのだ。
その上、鎖は汎用性が高い。
鞭のように使う事も出来れば、時には敵を縛り自身さえも持ち上げる。
巧みに鎖を手繰ることにより、敵の意識外からの攻撃を仕掛ける事こそ彼の最大の切り札。
「ふぅ……」
だが、もう問題は無い。
ファルシオンは足場に絡ませることで封じた。足場に簡単に上がることが出来ない以上、そう簡単には鎖は解けない。
間合いは回復した。相手は武器が無く、こちらには武器がある。
あのふざけた男をとっととぶっ殺し、傍観を気取ったあの女も……――――。
「は?」
完全に蹴りの衝撃を殺し、再びフォニーを見据えた時、彼女は異変に気付く。
視界のどこにも、フォニーの姿が無いという異変が。
「くそっ、どこ行きやが……――――」
ムカデの推測は、半分正しい。
鎖の付いたファルシオンによる二刀流。特殊で敵の印象に残るその剣術は、フォニーにとって囮に過ぎない。
無論、それで殺せる相手ならばそれで良い。しかしもし、相手がそれらで殺すことの出来ない強者であれば。
それだけではない。
もし、狭い洞窟だったら。もし武器が奪われたら。その特殊な剣術が封じられた時の対策を、生存を最も重視する彼が想定していない筈がない。
そう、彼にとって最も信頼に足る武器とはこの世にただ一つ。
「失礼しますねっとぉ」
己が身である。
「ぐぅっ……!」
振り子のように身体を揺らすことで再び大きく跳躍し、ムカデの視界から外れながらムカデとの距離を詰めると、掌低で彼女の鳩尾を強打した。
唾を吐き、ムカデが苦悶に喘ぐ。
だが、フォニーの攻撃はそれだけで終わらない。
息つく暇さえ与えない猛攻。脚を折り、腕を潰し、手指を砕く。
様子を眺めながら、ヴェームは目を瞑り退屈そうな欠伸を漏らした。
結末が分かり切っている物語等、面白い筈もない。男を騙して逃げ回るムカデと、賞金首を打倒して回るフォニーでは、経験値が違う。
「やめっ……やめてぇ……」
掠れたムカデの声に、ヴェームはようやく顔を上げる。
倒れたムカデと、その前に立つフォニー。
鼻はひしゃげ、真っ赤な命の欠片が。唇は切れているのか、血の色に染まりつつ言葉を紡ぐ。
腕も指も折れているのか、まともに後退りすることすら難しいらしい。爪が剥がれる事も厭わず、彼女はフォニーから逃げる一心で地面を掻き身体を進めていた。
対するフォニーは、どこからか取り出したナイフを手に彼女にゆっくりと歩み寄る。
「申し訳ないですねぇ。ですがぁ、こちらも仕事ですので」
動かないよう左手で頭を掴み、素早く喉元にナイフを突き立てる。命の欠片が噴き上がる。ムカデの生命活動が、完全に停止した瞬間だった。
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