第26話 下拵え
取引はすぐには終わらなさそうだ。一度入口から目を離し、工場の周囲を確認する。
取引現場の外に見張りを置いていない時点で、彼らが素人に毛が生えたようなものには違い無いだろう。とはフォニーも判断するが、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすように、贋作フォニーは雑兵を狩るのにも慢心しない。
工場の側面外側には二階へ上がる階段がある。それも、工場の両サイドに。内部を覗いた際、フォニーは確かに工場内部にも二階部分の足場を見つけていた。ここは、それに繋がっていると見ていいだろう。
入口の反対側にもう一つ、入り口と全く同じような巨大な両開きの鉄の扉と、人用の扉。逃げ道はある訳である。だが、一人一人バレないように消す事が出来ないようなこの状況下で、敵を逃がすのはリスク以外の何物でもない。
幸い、周囲全てを見回って確認したが、壁に穴が空いているという事は無かった。ここに罠を仕掛ければ、逃げられることは無いだろう。念の為、簡単に出入り口に罠を仕掛ける。十分な物資が今は無い為気休め程度だ。慣れている者なら見ただけで看破できるだろう。
その為重ねて、雪を積み扉を封鎖しておく。これでこの入り口は機能しない。
フォニーは再び入口に戻り、顔を少しだけ出し中を覗く。まだどうやら交渉中らしい、男達の声は少しだけ感情が混じっていた。まだ取引は成立していないようだ。
「こういうのってぇ、事前に決めるものじゃあないんですかねぇえ」
同調するように蜘蛛は鋏角を動かした。
とは言え、時間が掛かるのはこちらにとって好都合である。
金を山積みにした木箱の前に立つ、礼服に中折れ帽を被った恰幅のいい小太りの男。その腕は傍らに立つ女の肩に回っている。
派手な金髪の女だ。高い鼻と大きな眼、鮮やかな唇。横顔だけでも、かなりの美貌を有しているのが分かる。
服装はちぐはぐで、ヴェームのような身体の線を見せつけるようなワインレッドのネグリジェに、その上から羽織るファー付きの厚いクリーム色のコート。推察するに、先程までお楽しみだったのか。
ムカデは、今までの被害者の共通点から金を持っている男を狙う傾向がある。
その法則に当てはめれば、彼らは間違いなく該当するだろう。
軍の正式採用する銃を買い取ろうとしているのだ。それは単なる武器取引では無く、軍の情報漏洩でもあり、その取引には非常に高額の金銭が動くことは明らかだ。そして彼らには、そのような取引を持ち掛ける程の理由があることになる。
察するに、軍事機密を欲しがる他国の連中か。もしくは、国家に反逆しようとする反社会的勢力か。フォニーに興味が無い為その筋の情報は無いが、間違ってはいないだろう。
当然この国の軍に所属する取引相手にとって、この取引は非常に危険性が高い。バレてしまえば反逆罪、極刑も十分にあり得る。逆算的に、銃取引を持ち掛けた連中はそのような危険度が高い取引を持ち掛けることが出来る程の、対価を差し出すことが出来る。ということになる。相当な資産を貯えていてもおかしくは無い。
加えてあの美貌。街の公娼にも私娼にもいないようなとびきりの美女だ。となると、あの女がやはりムカデか。
少なくとも徒労に終わることは無く済みそうだ。事を終えたら、この大手柄を立てた蜘蛛に餌を上げるの悪くない。ところで蜘蛛は何を食べるのだろうか。干し肉が食べれるのなら楽なのだが。
余計なことを考える暇は無い。女がムカデである以上どうするか。
この取引を襲撃する必要は。恐らく無いだろう。フォニーは思考の中で判断を下す。この付近に、ムカデの獲物の拠点があるだろう。そこの寝込みを狙えばいい。
「……」
いや、違う。下した判断のガベルを持ち上げた。
あれ程の取引をするような輩だ。歩いて宿屋まで戻る、なんてのは考えにくい。当然彼らに敵対する組織がいる筈だ。となると、身の安全を考え移動には馬車や車を用いるだろう。厩舎に馬を置き徒歩でここまで訪れた今のフォニーに追い付く術は無い。
罠が無駄になる事はないだろう。ここで決めねば、逃げられる。
問題は増えた。
正面から正々堂々、というのは蛮勇だ。相手は銃取引の現場、初めて銃を買うなんて可愛い連中ではないだろう。一斉に銃口を向けられ蜂の巣になるのがオチだろう。とは言え、投げ込むような爆弾も無いし、薔薇の持つような銃も無い。
風雪は吹き荒れ、雪を激しい礫のように巻き上げるような、段々と激しい吹雪に変わっていた。それこそ、一歩先しか見えぬような。
「ふぅん……そうですねぇえ……」
今まで得た材料を上手く工夫すれば、美味しく料理が出来そうだ。
工場の壁の殆どを占める大きな扉と、その脇に設置された人用の扉。工場内部の中央付近には、外から登ることの出来る二階部分と、外は一歩先も見えない猛吹雪。
まだ材料はある。フォニーは周囲を再び確認した。
どうやらここは工場と言うより、工廠だったらしい。つまるところ造兵廠だ。
建物の外には、縄で括られた幾つものドラム缶の山がある。その山は幾つも存在し、その全てが並べられていた。入口の手前のフェンスの支柱は、太い金属製。これを折るのは難しいだろう。
「どうやらぁ……ふふっ、美味しく料理できそうですっ」
何かを企んだ表情のフォニーのその言葉に、頭の上に乗る蜘蛛は嬉しそうに上下に揺れる。そうしてフォニーは、いそいそとドラム缶を括る縄を外し始めた。
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