第3話 留り木キッド
酒場のドアを開けるのは一人の背の高い麗しい女だった。
サングラスと緩く巻かれた銀髪。ブーツと同色のホットパンツに、ブラウスとベスト。
「……注文は?」
カウンターにもたれ掛かる女に、酒場の主人が声を掛ける。決して目を合わせず、主人はグラスを磨きながら。
酒場の中は閑散としている。当然だ、時刻は早朝。農夫が畑の様子を見に家を出、鍛冶師が炉に火を付け始める時間帯。こんな時間から酒浸りになるようなろくでなしなど、賞金首か
「水でいいわ。すぐ出るもの」
「あいよ」
だがそんなならず者が、この酒場にはもう一人。
「隣いいかしら」
白髪の男は何も答えない。片手にジョッをの握りながら、彼はただ机上に視線を落とし続けている。
傍から見れば眠っているようにも見える彼の隣に、水の入ったグラス片手に女は腰を落とすと、優雅な動作で彼の耳に紅が差された唇を近付ける。
艶やかな彼女の唇が紡ぐのは、今夜の誘いでも、情欲を掻き立てる言葉でもない。
「早く起きなさいよ
「……起きてるよダボ」
無精髭に、手入れのされていないボサボサの茶髪に、曇ったゴーグル。顔立ちは面影だけは残っているが、髭と髪、そしてゴーグルで正確な輪郭は窺えない。
浮浪者のような
「クソダボ……耳元で大声出すな。頭割れるかと思ったわ」
「こんな美女になんて口の利き方! いい? アンタみたいな男はねぇ! 美女の言う事には黙ってハイハイ従って――――」
「あーいい。お前がお喋りなのは知ってる。用件だけ言え、じゃなきゃ店仕舞いだ」
一般的に何の資格も要らず、経験も要らない。誰でもなれる
一つ目は、強さ。
賞金首はピンキリだ。借金を踏み倒し逃げ回るような弱々しい者も存在するが、自身を狩りに訪れる賞金稼ぎを幾度となく返り討ちにしてきた者だっている。
そのような賞金首を、一蹴出来るような圧倒的な武力。これが、賞金稼ぎになる為の必須な条件。否、正確にはそれを備えていない人間はその内死ぬ。
もう一つこそ、薔薇がこの男に語り掛けた理由そのものだ。
ジョッキを呷る男を、薔薇は呆れた目で見下ろす。
「朝から吞んだくれてるクソ木偶には言われたくないわ……。情報、くれるかしら。
留り木キッド。その異名は、各地に存在する協力者から、伝書鳩で情報を受け取っていた様から来たらしい。薔薇と巨像が最も
「何の?」
「ロヴィアに廃村があるでしょ? そこのが欲しいわ」
「あぁ……
聞き覚えのある言葉に、薔薇は眉を動かす。
「知ってるのね」
「誰だと思ってんだ? お代はそうだな……
「まだ飲むの? 死ぬわよ?」
「心配してくれてんのか? 優しいな」
「アンタが死ぬと私が困るのよ!! フンッ!!」
机がそのまま割れるような勢いで、薔薇は幾枚かの金貨を机に叩き付けた。キッドはそれを緩慢とした動作で回収し、ジョッキの残り少ない麦酒を全て飲み干す。
「毎度あり。……あの村だが、放棄されたのは五十年以上前だ。丁度お前が生まれた時期か?」
「そんなに歳食ってないわよ……ッ!」
「今はあそこにバカデカい工場が建てられてる」
「図面は?」
キッドは首を横に振る。
「そんなん無い。問題は工場だけじゃねぇぞ。頭目デルガーの根城の大豪邸。広大な畑に、私兵の訓練場」
「ちょっとしたツアーね」
「手駒の数は千を超えてる。死んだ賞金稼ぎはお前らが狩って来た数より遥かに多い。一月前は
「へぇ……あの大男、人間だったのね」
キッドは懐から取り出した紙に殴り書きで情報を綴ると、クシャクシャに握り潰してから薔薇に手渡した。
「てか、国はどうしたのよ。なんでこんなのを国が放置してる訳?」
「知らん。知る気もない。大抵どっかのお偉いさんとズブズブなんだろ。まぁお前らがどうなろうと知ったこっちゃ無いが、俺の得意先を減らすのはやめてくれよな。俺から話せるのはこんだけ。残りはそこに書いておいた」
「助かるわ。お礼に抱かれてあげてもいいわよ」
「お代なら貰った、結構だ。誰がお前みたいなクソダボ抱くかよ」
「冗談に決まってるでしょ? 本気にしないで頂戴。誰がアンタみたいなクソ木偶に抱かれなきゃいけないのよ」
軽口を叩き合いながら席を立ち、薔薇は酒場を後にする。
日の出から少し時間が経った。大通りには、僅かだが人通りも見えてきている。薔薇はそんな大通りを
そこにあるのは、来客の馬を留めていく為の
彼女がここに訪れたのは、何も彼女が馬でここに来たからではない。扱いで考えれば、馬にも等しいとは言えなくも無いが。
「終わったわよ」
のそりと、厩舎から出て来る影が一人。大きく背を丸めた、真っ黒な人型。
「……毎回、何故厩舎」
「アンタが目立つからでしょォ!? 何を言ってるのよアンタは! はぁ……さっさと行くわよ。人が出始めてる。これ以上目立つのは避けたいわ」
賞金稼ぎの情報が賞金首に漏れるという事は、逃げられるリスクがあるという事。
数いる賞金稼ぎの中でも『
その上、賞金稼ぎとは狙う者でありながら狙われる者でもある。いずれ狩られるのであればこちらから。そう考える賞金首達は決して少なくない。
現に薔薇と巨像は知る由もないが、これより一時間後にはこの二人を追って一人の賞金首が、キッドの下に情報を求め訪れることになる。
「馬車は足が付くわ。歩いて行くわよ」
「……俺がな」
「そうよ? 悪いかしら」
いつの間にやら、彼女はいつも通りの体躯に戻っていた。
「ほら立ちなさい。行くわよ」
「……あぁ」
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