第4話 潜入
つまらない仕事だ。
様子の変わらない、
裏社会でも権威ある
麻薬王のお膝元だからといって麻薬で遊び放題という訳でもなく、女が好き勝手に抱ける訳でもない。
朝から晩まで、型落ちの安い拳銃片手に景色の変わらない森の監視を強制される。
考えてみれば当たり前のことだった。
麻薬はそもそも商品。女はデルガーとそのお気に入りが独占する。下っ端の一警備兵が指一本でも触れれば、瞬きの間に風穴が開けられるだろう。
とは言えやめたくてもやめられるほど白い環境でもない。情報の漏洩を避ける為、
だからこそ、一生、使い潰されて死ぬまで続くだろうこの退屈を、噛み締めているのだ。
「ひ」
その声を発したのは、自分ではなかった。
恐る恐る周囲を見回す。
特に動物がいるという訳でもない。あるのはただ広がる緑。根を広げる巨木と、背の高い雑草に背が低く小さな花。
恐らくは、さっき聞こえた声は気の所為だろう。そう思い聞かせ、再び前を見る。今度は先程までと違い、いつも通りのつまらない仕事であることを望みながら。
ぬるりと、不穏な気配が背後にあると気付いたときには、もう既に遅かった。
脇腹に小さな衝撃を感じ取る。
「いっ」
声が出ない。その代わり出るのは、ひゅーひゅーと不鮮明な空気の抜ける音。続いて顕在化した激痛により、次第に状況を理解する。
脇腹を何者かに刺された。それも、脇腹から肋骨の下を潜るようにして、肺に穴を空けて。だから、声を出そうと息を吸っても、肺に収まった空気が抜けて声が出ない。
もう一度、今度は反対側だ。
正確無比な一撃は確実に、切っ先で肺胞を突き破る。
抵抗の隙すら無い。穴の空いた風船のように、肺から情けない音を立てて空気が抜けていく。いくら息を吸おうとも脳に酸素が送られず、段々と視界の端が黒く染まっていく。
腰を、太腿を伝い、血が流れ出ていく感触だけがやけに鮮明に感じ取れた。
膝を蹴り折られ、跪いた体勢になった自身の口を、恐らく襲撃者であろう柔らかい手が押さえ付ける。周到な事だ、もう声は出ないというのに。
まるで、幼い少女のような体温の高く柔らかい手。
そうして薔薇が首に刃を振り下ろす。
走馬灯。首に刃が滑り込むまでのほんの僅かな時の中、彼は故郷に残した幼い妹のことを考え続けていた。
◆〜〜〜〜〜◆
「……殺さなくても」
「あァ? 木偶は黙ってなさいよ。ここにいる奴なんて皆犯罪者よ。ほっとけばその内懸賞金が付くわ」
首に刺したナイフを抜き取り、遺体の衣服で血を丁寧に拭い取ってから腰の後ろに携えたケースにしまう。
そして不服そうに巨像を怒鳴り付けると、足元に転がる遺体を他より一際雑草の生い茂る箇所へ蹴り転がす。
「にしても結構いるわね、警備」
「……練度は低い」
「そうね、ただの寄せ集め。それだけが幸いだわ」
まだ日も昇っていない早朝、ロヴィアの森、深部。一定間隔で立つ見張りを排除しつつ、薔薇と巨像の二人は森の中を進んでいた。
約
とは言え、まだ日も出ていない深夜から早朝にかけて、の時間だ。
「あーもう、服が汚れるわ。鷹飛びが居ればこんなことしなくてもいいのに……。肌が血を吸ったらどうするのよ、私は別に吸血鬼になりたい訳じゃないのよ?」
「……奴は胡散臭い」
「そんなの知ってるわようるさいわね。アンタは黙ってなさい」
理不尽な暴言を投げながら死体の銃から銃弾を抜き取り、パンツのポケットに仕舞いながら先程まで見張りが向いていた反対側へ、薔薇は周囲を警戒しながら茂みを掻き分けていく。
まだ森は深い。薔薇の視線の先には、再び使い潰されている見張りが
「はぁ、まだいるのね。蟻みたい」
面倒臭そうに零しながらも、彼女の目は再び狩人のように鋭いものへと変わっていた。
背腰部のケースからナイフを抜き取り、両手に構える。
茂みから茂みへ、ただ、一切の物音を立てず。そうして、敵を射程圏内に捉える。
彼女の投げたナイフは、吸い込まれるように見張りの首元にナイフが刺さり、小さな悲鳴と共にまた一つの命を終わらせた。
「はぁ……私だってほんとは殺したくないわよ。殺さずに済むんならそうしたいわ」
「……何故」
神妙な面持ちで、今までの罪を独白するように零す薔薇に、巨像は無機質な声を投げ掛ける。
当たり前だ。このような血腥い仕事を生業としていたって、彼女が年端も行かぬ少女だということには変わりない。彼女にも罪の意識が――――。
「刃がべとべとするのよー! 一回一回洗いに行きたいくらいだわ! はぁー撃ちたい」
無かった。
遺体に歩み寄り、先程と同じようにナイフを拭い銃弾を奪う。そして、背中側を覗くようにして確認すると、彼女は今までと違った声を上げる。
「ん?」
「……どうした」
「何か見えるわ。木偶、ちょっとこっち来なさい」
そうして彼女の下に歩み寄る巨像の装備の中から単眼鏡を抜き取り、再び同じ方向の様子を窺う。
あるのは広大な畑。青々と茂った植物はその一株一株が全て、
各所に点在する見張りの先には、何台もの台車を傍らに留めた
そこから少し行った所には、荷車を置く場所がある。こちらは、事務所とは違って警備は少ないようだ。
「畑ね。途方も無く広いわ……。遠くに事務所みたいなのも見えるわね。加工場にも見えるわ」
「……どうする」
「ん、いいものがあるわね」
薔薇の近くの森の入り口に荷車が止められてあるのを発見した薔薇は、単眼鏡を巨像の防護服に仕舞い顎に手を置く。
「本当なら回り道したいところね」
森にぽっかりと空いた穴のような畑の外周を回り、事務所へ向かう。これならば、広大な畑を横切る必要は無く、発見のリスクが低い森の中を進むことが出来る。
ただそのプランには、一つ問題があった。
「……時間」
「知ってるわ。時間が掛かり過ぎる。着いた頃には昼間ね。見張りの殺しもバレる可能性が出てくるわ」
キッド曰く、千を超える大規模な私兵だ。管理には多少手を抜いている筈だが、一日に一回以上は兵士の数を確認する点呼がある筈である。
薔薇たちがここに至るまで殺してきた数は四人程。外周を回れば今までと同じように殺す数は増えていく為、確実にそれ以上にはなるだろう。
彼らも賞金稼ぎの襲撃には慣れている筈だ。それほどの数を偶然で片付ける程、甘い連中ではないだろう。
「突っ切る形になるわね」
「……どうやって」
「少なくとも殺しは出来ないわね。
「……」
「分かってるわ。ちょっと後ろ向いてなさい」
彼女等の『
首帯、鷹飛び、そして巨像。それぞれの特徴を分かりやすく通り名として呼ばれたのが切っ掛けである。そして、彼女のものもそう。
バラは、世界で最も多くの種類の種類を持つ花だ。各地で愛されるその芳香はかつて、教会により「人々を惑わすもの」として禁じられたこともある程。
ただ特筆すべきは、姿と色である。
「いいわよ」
少し巨像が背中を見せただけで、彼女の容姿は百八十度変化していた。
先程までの可憐な少女の風貌は何処へやら。中肉中背で気怠そうな目に、見張りが着ていた服に袖を通している。その見た目は何処からどう見ても、見張りの内の一人だ。
白、黄、緑、黄金、橙、赤、茶、紫に桃色。様々な色を見せる薔薇のように、ある時は娼婦に、ある時は兵士に、またある時は農夫に姿を変える。まるで庭園の薔薇のように、一株として同じ色を見せない。
彼女は遠距離武器の名手にして、変装の名人。それこそが、彼女の通り名の由来だった。
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