元上司が新米担当編集になった話。

人間 越

元上司が新米担当編集になった話。

 小説家になりたいという夢を漠然と抱えて幾星霜。

 

 ――ついに俺にもその時が来た。


 ウェブ小説でほそぼそ更新していた作品の書籍化オファーのメールを眺めつつ、物思いに耽る。

 高校生の時に、小説家になりたいと夢を抱き新人賞に向けた作品を作る日々。やっとこさ、応募できる作品を作り上げたのはその二年後。大学生になってからだった。高校の進路選択では、大学進学を選択。理由は、小説家になれる目途がなかったのと、わざわざ専門学校に行って将来の視野を狭めるのは勿体ないと担任に言われたからだった。しかしながら、作り上げた作品はもれなく一次審査すら突破できず。ネットでは日本語を使えてれば通るなんて見ていた故に衝撃。めげずに執筆を続けるも、一次、二次審査を超えるくらいで受賞なんていうのは夢のまた夢という現状。そうこうしている間に大学も卒業の時期を迎え、就職。在学中に小説家になればいいとだけ思ってきた俺が執筆浪人なんて主張できるはずもなく、着いたのは人材派遣会社。派遣先で事務作業を請け負うのが仕事。派遣という働き方を選んだのは、小説家になるために色んな意味で拘束が緩そうだから。実際、目論見通りで拘束や責任は比較的緩く、だからと言ってミスが許されるわけではないが、それこそ直雇用の社員とは業務領域が分けられていた。

 しかしながら、派遣先直雇用の上司は細かい部分をついてくどくど言ってきて反りが合わない人で苦手だった。仕事のこと以外でも、オフィスでの姿勢や休憩室の使い方のようなマナー、モラルの部分で煩い人だった。間違ったことを言っているわけじゃないから、強く言い返せないし、そもそも派遣では口答えもしずらい。ただ、周りの人も同じようなことしているにもかかわらず、俺だけがよく指摘されていた。派遣の闇だ。

 ともあれ、そんな気苦労だけでなく社会人の生活に体力面ともども、あてられ作品作りの速度は落ち、こんなんじゃいけないと思いながら自分を叱咤する日々や目標を持っているだけ凄いと周りの派遣社員と比べて自尊心を満たしたりする日々。次第に作品は新人賞用の長編は完成せず、反応が早く帰ってくるウェブ小説にシフトするようになる。

 このまま、小説家を目指すという目標からはフェードアウトして行くんだろうな、なんて思っていた矢先の僥倖だった。

 次の出勤日に辞める宣言してこよう。



 ☆       ☆       ☆


「すみません、自分、この仕事辞めます。今までお世話になりました」


「はい? 何を言ってるの? 流石に非常識というか、繁忙期だし抜けられるこまるんだけど」


「はあ。まあでも、自分、ただの派遣なんで」


「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 ☆       ☆        ☆


 ふう、一悶着あったが仕事を止めることが出来た。

 まあいつ辞めてもいい様に貯金は作って来たし、人生で一度掴めるかのチャンス。もしそこに辿り着けたなら全身全霊で臨みたいと思っていた。昨今の出版業界、デビューですぐに会社辞めることは基本的に勧められない選択だが、俺はやった。

 辞めて数か月。すぐに出版はされないから貯金を切り崩しての生活だが、作品は如実にブラッシュアップされてきてる。書籍化オファーくれたものの、人事異動等があり仮の編集として何作か掛け持ちしているベテランの編集が見てくれているが、流石ベテラン、このまま担当編集になって欲しいくらいだ。だが、現実は非常。ベテラン編集者が掛け持っている作品には今を時めくコミカライズ、アニメ化、ゲーム化、するメディアミックス外れなしな人気作があり、また業務配分の話を聞く限りでは過労死させてしまう。

 幸いにも担当作品、俺だけの編集をつけてくれるとのことなので、その編集と頑張ろうと思う。

 そして、明日はついにその編集との初打ち合わせである。二人三脚で作品を作っていくパートナーとの邂逅だ。

 

「よろしくお願いしま――」


 会議室にて先に席で待っていた俺は、やってきた担当編集に立ち上がり挨拶をしかけて――固まった。


「あ、あなた……」


 そしてそれは向こうも同じよう反応をしていた。

 なにせ、担当編集として現れたのは、もともと派遣元で働いてた職場の上司だった。それもストレスへの意趣返しとして強引に退職を敢行するという最悪の別れ方をした女上司だった。確かに大きい会社だから出版社とも取引があってもおかしくない。

 ヤバイヤバイヤバイ……。

 何か言いたげながら、眉を顰める上司。

 その沈黙に違和感を覚えた。

 俺の知る上司であれば、すぐに指摘してくるはず。しかし、言わない。或いは言えないのかもしれない。

 確信が持てないから? そうあたりを付けると俺はまるで後ろめたいことなんてないかのように堂々と振舞うことにした。

 

「どうかしましたか? 某の顔に何か?」


 一人称も変える。イメージが結びつかないのだろう。だから、より離れる。

 元々、仕事とプライベートで髪のセットも変えるタイプだったし、派遣先の職場で休日を共に過ごすほど仲良くなったやつもいない。それに仕事辞めてから髪も染めたのだ。一目で確信を得られるはずもなかった。


「そ、それが……? いえ、お聞きした名前が同僚と同姓同名だったので」


「なるほど。それは奇遇ですな」


「そうですね。つかぬことを伺いますが、最近まで事務職をしていたことは?」


「ないですね。某はずっと筆一本。今回も別のペンネームで作ったアカウントで書いていた作品を拾っていただき恐悦至極であります」


「そう、ですよね。はい、こちらこそよろしくお願いします」


 耐えた~~~~~~っ!

 俺の人生を掛けたデビュー作だ。決してコケるわけにはいかない。女上司にバレればコケるように画策されることは想像に難くない。


「時に、その同姓同名の同僚とは並々ならぬ思うところでも?」


「はぁ――」


 言った瞬間、女上司を中心として空気が冷たさを帯びたような錯覚。


「思うところ、ですか。そうですね、彼が辞めたせいで私は信用を失い、出世を前にこうして別領域の部門に飛ばされる羽目に……。これをきっかけに結婚を考えていた彼氏にもフラれて、私の人生を滅茶苦茶にして、許せない、もし次に会ったら――」


「も、もう結構! なるほど、某ももう同姓同名の輩にあったらすぐに報告仕る」


「本当ですか? 助かります。彼の人生も滅茶苦茶にしてやらないと、ふふ、ふふふ……」 


 怖すぎる!!

 これは絶対に、バレてはいけない。

 

「それでは打ち合わせをはじめましょう」


 背中にじっとりと冷たい汗を掻きつつ、色んな意味で俺の人生を掛けた作品作りが始まったのだった。

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