魔女の一撃
くろばね
これってドイツ語らしいですね。
ビビーン!!!! 全身に電流走る!!!!
イヤーな感覚を覚えた俺は、すべての動きをいったん停止。部屋干ししていた洗濯物に手を伸ばしかけたまま、全神経を集中させて、違和の正体を探っていく。
……いやまあ、探るまでもないんですけど。
そう、ぎっくり腰。なにかの拍子にやべえ痛みが炸裂し死に至るという、人類史上最悪の病である。ごめんちょっと盛った、さすがにぎっくり腰で死んだ人は聞いたことがない。けど死ぬほど痛いので……ほんとうに……
デスクワークが祟っているのか、腰痛もちである俺は、腰を痛めないように普段から気をつけている。
……いるんだけど、あいつらは突然やってくる。今日もそう。そろそろ洗濯物を下ろそうかと、軽く腕を上へと伸ばしただけなのに……!
いちど爆弾が炸裂すれば、もはや動くことかなわず。強烈な痛みに脂汗をかきながら、座ることもできず、寝転ぶこともできず、妙な姿勢で地面に転がり、痛みが過ぎ去るのをただ待つしかない。
幸いなことに、いまは爆発一歩手前。このままそろりとソファへ移動し、楽な姿勢でゆっくり休むことさえできれば、大事には至らないはずだ。
というわけで、ミッションを整理しよう。
・俺はいま、部屋の奥に突っ張らせている物干し竿のそばで、やや中腰前屈みで洗濯物に手を伸ばしているところ。
・腰を落ち着けたいソファは、テーブルを挟んで正反対の位置にある。
・この姿勢からいっさい腰を、いや上半身を動かさず、
・あとは神に祈りを捧げ続ける。そうしている間に
時間はかかり、神経はすり減るものの、そこまで困難ではない作戦……
……とは、残念ながら思えない。
なぜなら2匹のやんちゃボーイズたちが、目の前で俺を不思議そうに見上げているから、だ。
「……?」「きゅう?」
そろって小首をかしげているのは、まるまるちっちゃなふたつの毛玉。その種族をポメラニアン、先月1歳になったばかりの、かわいいかわいい兄弟犬である。
そんな目で見つめられてしまえば、普段の俺なら一も二もなく抱き上げて、盛大にモフモフなでなでするところなんだけど。
「……ステイ。バンテもリンも、ステイなステイ。そこを動かず、待て、待てだぞ」
俺の言葉に反応して、ぴた! と動きを止めたのが、かしこいお兄ちゃん犬であるバンテ。しゅっと伸びたマズルがりりしくもかわいい、知性派きつね顔の茶ポメさんである。
「いやステイだって! 寄ってくるなリン! 頼むからいまはステイ! ステイ!」
「はっはっはっ! きゃんっきゃんっ!」
対して、俺のコマンドをガン無視して駆けてくるのが弟のリン。こちらは鼻ぺちゃタヌキ顔、愛嬌があふれ出て世界が平和になってしまう恐れすらある白ポメさんだ。同じお母さんから同じ日に生まれてきたのに、外見も性格もここまで違う……まさに生命の神秘……神秘こそが救い……ポメラニアンを受け入れれば……すべての痛みは消え……戦争は終わり……飢餓のない世界に……
現実逃避してた。
そのあいだに、2匹とも足下に来ちゃった。
ふたりの気持ちはわかる。変なポーズを取りながらジワジワ移動している俺を見て「新しい遊びが始まったぜェ!」「やりますねェご主人!」と認識――要するに、かまってもらえると思ったんだろう。いちどは止まってくれたバンテも、やりたい放題のリンを見て、怒られないんだと寄ってきたわけだ。
遊んであげたい、あげたいんだけど。
そんなことをしたら絶対に……絶対に俺の腰は……爆裂四散しちゃうから……!
「いやこれ、遊びじゃないからな。こう見えて俺は生きるか死ぬかの瀬戸際に」
「! わんっ! わわんっ!」「きゃんきゃんっ! わふっ!」
あっ失敗した。『遊び』って言葉に反応して、完全にそっちのモードに入っちゃった。
犬はかしこく、400程度の単語を覚えられると聞く。『あそび』と耳に入ったのなら、遊んでもらえると思うのは当然で、責めることではないんだけれど。
「リン危ない! ぴょんぴょんしちゃダメだから!」
後ろ足で立ち、俺の下半身にまとわりつこうとするリンをたしなめる。その体の小ささが示すように、ポメラニアンの骨はもろい。ほんの少しの段差を降りただけで骨折することもあるらしく、飛びつくなんてもってのほかなのだ。
バンテはそわそわと待つだけで、飛びかかってはこないんだけど……よし、こうなったら……! 『あそび』以外にも、君たちが覚えてる、大好きな言葉があるでしょう……!
「リン、バンテ……おやつ!」
「!」「!!!」
その単語を聞いたとたん、ふたりのおめめがキラキラ輝く。その期待を裏切らないよう、ゆっくり、ゆーっくりと俺は動き……タンスの一番うえ、ふたりのおやつやおもちゃが入っている引き出しを、そーっと、そーっと引き出し、開ける!
ビシッ!!!!
「お、おおお……いやいやいや、セーフセーフ。かなり危なかったけどセーフ」
そんな日常動作だけでも、腰の爆弾の導火線は確実に短くなっていく。背筋をゾクゾクさせながら、目的のおやつボーロを取り出し、それをおもちゃにセット(中におやつを入れて、かじって探しながら遊べるおもちゃがふたりのお気に入りなのだ)して……もってくれよ……俺の腰……!
「ほら、いくぞっ! あっちで遊んでこいっ!」
ぽーいっ! っとそれを放ったとたん、期待とうれしさでぐるぐる回転していたバンテとリンは機敏に反応、我先にと部屋の奥へと駆けていく。
「……あっ!」
だが、これも俺が悪かった。腰をかばいすぎた結果、謎の姿勢で投げられたおもちゃは物干し竿へとヒット。取り込みかけていた洗濯物に当たって、バサバサとそれを落としてしまったのだ。
このときのバンテとリンの思考を覗いてみるのなら、きっとこんな感じだろう。
「おやつ!」「おもちゃ!」「なんだかたくさん降ってきたぜェ!」「布だ」「ヒモだ!」「ひっぱって遊んでいいってよォ!」「ヒューッ! 大盤振る舞いィ! 変なポーズのご主人は違うぜェ!」
きゃんきゃんと大はしゃぎし、洗濯物にまみれて遊ぶバンテとリン。間違いなく洗い直しだけど……ま、まあ……これで俺の腰の平穏が保たれるなら……
必要な犠牲でした、と見切りをつけ、そろりそろりと振り返る。ふたりの興味は俺から移った、あとは最初の作戦通り、ソファに座ってゆったり休めば……!
たっぷりと5分をかけ、数メートルの距離を移動。大きく息を吸い、吐きながら、腰を少しずつ落としていって……座れ……た……!
腰をさする。はげしい痛み、なし! ならばあとは無理をせず、安静にしてればやり過ごせるぞ……!
ほっと胸をなで下ろすと、心の余裕も生まれてくる。大はしゃぎするバンテとリンを、微笑ましいなと眺め……ながめ……
目に飛びこんできたのは、ぷりっとしたバンテのおしり。彼は中腰の姿勢であり、お尻を持ち上げている両の後ろ足はぷるぷると震え、「いざ出さん!」という気合いのオーラがありありと背中に表れている。
……つまり、そそう(大)のポーズである。
「ってオオぃッ! それはダメだって!」
あろうことか、バンテの足下にしかれているのは、同居人が大事にしているビンテージもののライブTシャツ。そっか、バンテがなんだかソワソワしてたのは、つまりはそういうことだったのか。あのとききちんと、トイレへと彼を誘導していれば――
そう、思考したときにはもう、俺はソファから飛び出していて。
前のめり、ほぼヘッドスライディングの姿勢で、ちっちゃなバンテの体をキャッチ。そのまま持ち上げ、せめてとばかりに彼の体を、なにもない場所へスライド移動。まさに危機一髪で、Tシャツは見事に
「――で、持ち上げられてびっくりしたバンちゃんのうんちは引っ込んじゃったけど、その時にはすでに遅しだった、と。大丈夫? 立てる?」
「……っス……」
「……鎮痛剤と湿布薬、あとで買ってくるからね……」
帰ってきた同居人が目にしたものは、洗濯物の上で、浜に打ち上げられた魚みたいにビクビク震えている俺と、そこに寄り添う愛犬の姿でしたとさ。
魔女の一撃 くろばね @holiday8823
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます