第6話 弱りきった高貴なお人
偉い人を避けようとして、とんでもなく偉い人と遭遇してしまった。
王太子殿下の婚約者、アンジェリカ・カフィルス公爵令嬢。
マーファス家で家事や雑用ばかりさせられて、教育も受けられず社交もできなかった私でさえ知っている、とっても高貴で偉い人!!
待って、私ったらそんな偉い人になんて態度をとってしまってのかしら!?
いくら立ち入り禁止エリアではないとはいえ、突然生垣から現れて声をかけるだなんて、不審人物として捕らえられてもおかしくないのでは!?
「ご、ご無礼をお許しくださいっ!!」
慌てて頭を下げると、カフィルス様はきょとんと目を瞬かせた。
「いいのよ、気にしないでちょうだい。こんなところで泣いていたわたくしもわたくしなのだから」
そうだわ。カフィルス様は泣いていらっしゃった。こんな生垣の間に挟まれるようにして、隠れるように。
……隠れて泣いていた人にそうとは気づかず声をかけるなんて、とっても無神経だったわよね。
というか、こんなのあの美しい人の肩に触れてしまったことよりも、もっともっと不敬だったのでは!?
うっ……カフィルス様が眉を顰めて「不快。首」と言い放てば、私の首は飛ぶに違いない。下手すれば物理的な首も飛ぶ……!!!
どうやって許してもらおう?いや、「不快。首」の「ふか」のあたりで全力で逃げ出してしまおうか。
そうなると魔術師団に入るという夢は断たれてしまうけれど、夢だって命あってこそのもの。最悪隣国に渡ってそこの魔術師団に入るのもありだわ。他国者が国に所属する魔術師団に入るのはとっても難しいかもしれないけれど……。
ぐるぐると一瞬で考えを巡らせる。けれど、カフィルス様は私のそんな思考を吹き飛ばすように柔らかく微笑んだ。
「安心してちょうだい。こんなことで不敬だなんだって騒ぎ立てたりしませんから」
「えっ!」
な、なんて懐の広い方なのかしら!これがスカーレットならこうはいかなかったに違いない。
ホッと息をつくと、カフィルス様は困ったように眉尻を下げた。
「その代わり、私がこんなところで泣いていたことは黙っていてくれるかしら?」
「もちろんです!……ところで、どうして泣いていらっしゃったんですか?あっ、あ、もちろん、無理にお言いになる必要はありません!ただ、もしも辛い気持ちを抱えてらっしゃるなら、私のような下っ端に話すのもお心が晴れるのではと……」
言いながら、この言い分はあんまりだわと思い、声が小さくなっていく。
下手に地位のある使用人や同じようなお貴族様相手では、しがらみや他との関係性なんかもあっておいそれと愚痴も吐けないのじゃないかしら?と思っての提案だったわけだけれど、だからってカフィルス様ほどのお方が私のような下っ端とお話しするだけでもありえないことなのに。今が特別なだけで、きっとこの後は喋った事実さえ消えてなくなるレベルだわ。うん、これはない。
「か、重ね重ね失礼いたしました」
これはもう、カフィルス様がお慈悲を見せてくれている間にさっさと立ち去るが正解だわ。そう思い、その場を辞するためにも最後にと頭を深く下げたのだけれど。
振ってきたのは弱りはてたか細い声だった。
「……本当に、話を聞いてくれるのかしら」
「!!」
どうやら、私が思っている以上にカフィルス様は弱っていらっしゃるのかもしれない。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「この場所はね、幼い頃に妃教育が辛いときなんかによく隠れて泣いていた場所なのよ」
カフィルス様はそう言って、さっきまで私たちのいた生垣に視線を向けた。
生垣は美しく揃えられ、たしかにそこに挟まっていたカフィルス様の姿は外からじゃさっぱり見えなかった。だからこそ私も「ここ通っちゃお!」なんて軽い気持ちで思っちゃったわけだし。
王宮庭師、やっぱり腕がいいわよね。
小さな頃のカフィルス様なら、それこそすっぽりとその姿を覆い隠せたに違いない。
「だけど、やっぱりわたくしも成長したのよね。あれから何年も経ってるのだから当然だけれど、生垣の中があれほど狭いだなんて驚いたわ」
カフィルス様は照れ隠しのようにうふふ、と笑ってみせる。だけどその笑顔はどこか寂しそうだ。
「この場所で泣いていると、殿下がね、探しに来てくださったのよ。こんなところで一人で泣かないで、僕が一緒に泣いてあげるからって。慰めるだとか、隣にいるとか、そうじゃなくて一緒に泣くって!そして、いつも本当にそうしてくれた」
話を聞きながら、つい想像してみる。え、可愛いな。
この麗しいカフィルス様はそれはそれはもう可愛らしい美幼女だったに違いない。そんな美幼女に同じく美幼児だったはずの王太子殿下が寄り添い、一緒に泣くのだ。うん、やっぱり可愛い!
一緒に泣くって発想も可愛いんですけど。
「わたくしが泣くと、わたくし以上に殿下が泣くの。だからわたくしは泣かなくなったわ。殿下にはいつも笑っていて欲しかったから。……だから、この生垣に入り込んだのも幼い頃以来なの」
なるほど、それでちょっとサイズ感覚が分からなくなっていて、狭めの場所に挟まっていらっしゃったんだわ。
うんうん、狭い場所って落ち着くし。人目につかない場所も落ち着く。今回はうっかり私が現れてしまったわけだけど。
さすが未来の王太子妃様。カフィルス様は弱った様子で話を聞いてと言ったものの、決定的なことは何も言わなかった。
そりゃあ、初めて会った名前も知らない下っ端に、愚痴とはいえ具体的なことを話すのは憚られるわよね。
私が聞いたのは、カフィルス様と王太子殿下の幼き日の美しくも微笑ましい思い出のお話。
だけど気づいてしまった。
(たしか、レイラは言っていたわ。『なんでも王子殿下もその側近もみーんな聖女様にメロメロなんだって!』って)
カフィルス様は悪戯っぽく微笑む。
「大人になって、隠れるのも上手になったのだと思っていたけれど、あなたに見つかってしまったわね」
カフィルス様の思惑通りというか、私以外には見つからなかった。
それってつまり、この生垣によく隠れていた頃はいつも見つけてくれていた人が、もう探しに来てはくれないということ。きっと、泣いていたのもそのせいなんじゃあないだろうか。
「ねえ、あなた名前はなんて言うのかしら?こんなことを言うと困らせてしまうかもしれないけれど、よかったらわたくしと秘密のお友達になってくれない?」
「もちろんです!申し遅れました、私はステラと申します」
「よろしくね、ステラ」
カフィルス様は凛としてらっしゃるけれど、やっぱりとっても弱っているのだ。こんな下っ端と友達になりたいと思うくらいに。
スカーレットに夢中になって、こんな素敵な人を一人で泣かせるなんて、王太子殿下、見下げた男だわ…………!!!
ひっそり、私の心はメラッと燃えた。
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