第9話 冷徹執事と首の姫




 私達がいたのはロッテンマイヤー公爵領にある今は主がいなくなってしまった古い屋敷で、内装を改造した建物だった。

 

 やはりここは“狩場”で、私達以外にも連れてこられた吸血鬼が大勢いたようだ。

 部屋を出ると王太子妃時代に幾度となく見た事のある黒い軍服姿の帝国騎士団の騎士達と入れ違いになった。

 ロッテンマイヤー公爵領近くで勤務中だった騎士団を、私が此処にいると分かってすぐにアルトゥルが呼び寄せたらしい。

 この狩り場はアルトゥルが呼んだ騎士団によって取り押さえられた。

 ロッテンマイヤーが同族喰いをするのは暗黙の了解──とは言え、王の所有する騎士団が介入したからには此処は恐らく解体されるのだろう。

 加害者のものであろう怒鳴り声や、泣き声を聞きながら私達狩場を後にした。


 騎士団に馬車を2台手配してもらい、アルトゥルと私(首)は先頭に、そしてシュザンヌ様は騎士に護衛されながら後ろの馬車に乗る。


 アルトゥルが馬車に乗り込む時、騎士たちは皆私をぎょっとした顔で見た。

 ひそひそと囁きあっているそれは、私が首である事が恐ろしかったからかな?と思っていたのだが実はそれだけではなく。


 後日、エスメラルダ公爵家の執事は死体愛好家だという噂が騎士団中に広まる事になり、きっちりアルトゥルに嫌味を言われる事になる。


 ロッテンマイヤー公爵領からエンデルス伯爵領までは半日程度かかる。さらにそこからエスメラルダ公爵領までは4時間、とくればお兄様のお屋敷までは1日掛りだ。

 栄えている市街地を抜け、木の多い寂れた町をを馬車は行く。



「成程。なら、サミュエルを殺せば全て解決じゃないですか。」



 狩場で思い出した私が死んだ時の話をすれば、アルトゥルはそう言った。



「それは駄目よ」


「何故ですか?」


「何故って…ロッテンマイヤーと戦争になるし、王家にも狙われたくないでしょ」



 私は紛れもないエスメラルダ公爵令嬢で、彼はロッテンマイヤー公爵子息なのだ。

 どちらかが殺されれば間違いなく戦争だ。

 エスメラルダにはお兄様という最終兵器がいるけれど、純血の血の濃いロッテンマイヤーも強い力を持つ。

 そうなればカルロ帝国中を巻き込んだ酷い戦になり、大勢が命を落とす事は分かりきっている。

 ついでに王家、ロッテンマイヤー、エスメラルダの三つ巴が崩壊する。百害あって一利なしなのだ。

 だからこそ、今回のことは私が望まずとも代償はロッテンマイヤーに高くつくはずだ。



「……お嬢様は本当に王太子妃でいらっしゃったのですね」


「そうだって言ってるじゃない。まさか信じてなかったの?」


「はい」


「失礼ね……」


 もし戦争が起きたら誰かが死ぬ。

 知り合いでなくとも誰かが死ぬのはいつも悲しいと私は思う。

 かつて弱肉強食の世界を生きた吸血鬼の精神からは私の考えは程遠いのだろうなと自分でも分かっていた。



 さっき死んでしまったロッテンマイヤーの吸血鬼の少年達を思い出す。

 彼らは大勢の吸血鬼を同族喰いした。

 あのまま騎士に現場を押さえられていても、ロッテンマイヤーだから無罪放免…とはならなかったと思う。

 エスメラルダに手を出してしまった以上、恐らくロッテンマイヤー公爵の力を持ってしても助けられるのはサミュエル位で、彼らは死罪になっていたはずだ。


 彼らはシュザンヌも殺そうとしていた。わかっている。

 けれど分かっていてもやはり少しだけ気分が悪かった。

 勧善懲悪だと手放しに喜べなかったのだ。



「まさか彼らの事を気にしているのですか。お嬢様、鏡をご覧になります?貴女今、相当酷いですけど」



 アルトゥルは機微に聡い。私の考えている事がすぐに分かったようだった。

 彼は昔から、私のこういう吸血鬼らしくない甘えた精神が嫌いだった。

 アルトゥルの不機嫌に馬車内の温度が急降下した気がする。

 そんな雰囲気を吹き飛ばす為に私は話を変えることにした。



「そういえばまだ言ってなかったわね。アルトゥル、助けてくれてありがとう」


「貴女に死なれてまた同じ8年を繰り返すのはごめんですから」


「流石のお兄様はもう私を助けないと思うわ」



 お兄様には超絶笑顔で“2度も間違える愚か者は嫌いだよ”と既に忠告されている。

 苦笑して言えば、アルトゥルは窓の外を眺めながら静かに答えた。



「我が君は助けますよ。貴女がどんなに愚かでも、どんなに傲慢な嫌な女でも。お嬢様が“エスメラルダの宝石”である限り永遠に貴女を生かす」


「ふふ、まさか」


「……貴女は知らないのです。我が君がどれだけお嬢様を待ち望んでいたか。」



 アルトゥルは冗談を言わない。だからきっと彼の言っている事は真実なのだ。

 お兄様に次ぐ最古の吸血鬼が、彼の主人とずっと見てきた景色を私は知らない。



「待ち望まれていたのは“私”ではないのよ」



 アルトゥルが言ったのはつまり、“エスメラルダの宝石”であればお兄様は私の事などどうでもいいという事と同じだ。

 愛されているのはこの瞳と髪だけという訳だ。


 酷い呪いだ。


 ふと、サミュエル・ロッテンマイヤーの事を思い出した。

 サミュエルも私と同じ、一族に愛される伝説の至宝を持つ。

 あそこまで持って生まれた容姿を誇れるのは、ある意味幸せだ。

 でも、彼は許されない所まで来てしまった。

 私達はまるで正反対だ。



「自由に遊ばせてもらっているうちに向こう見ずな性格を直した方がいいですよ。檻に閉じ込められて泣く前に」


「ご忠告ありがとう」



 勿論檻に閉じ込められてのくだりは言い過ぎだと思うが、確かにお兄様にあまり心配をかけるのは良くない。

 気をつけよう、と気合いを入れるために頬を手で軽く叩こうとして、自分の身体が無いことを思い出す。

 身体がないのは不便だ。



「流石の貴方でも、首だけにされた事は無かったわね」


「失礼ですね。私はお嬢様に危害を加えたことは1度もありませんよ」


「まあそうなんだけど、そうじゃないのよね……」


「想像がつかないのですが、昔の私が何をしたというのですか?」


「身体中の血を抜かれたり、骨を折られたり…あと、腕くらいなら削ぎ落とされたわね。お陰で今回は意外と暴力耐性が出来ていて役に立ったわ」



 分かりやすい皮肉を言えば、アルトゥルは珍しく真顔を崩して苦笑いを浮かべた。


 …ある時はアルトゥルの授業から逃げ出して、またある時は山積みの課題が終わらなくて制裁された。

 殺すほど怒るような事じゃないだろうと思うのだが、アルトゥルからしてみればお兄様の不利になる状況を生み出す可能性がある私への教育的措置だったのだろう。


 永い時を生きるお兄様が初めて引き取った唯一の“養女”。

 私が何か間違いを犯せば、非難はお兄様にも向く。

 だからこそ完璧な“お嬢様”をアルトゥルは求めた。

 アルトゥルは行き過ぎたお兄様至上主義なのだ。


 そう考えていると、少し疑問が浮かぶ。

 エスメラルダ一族は“エスメラルダの宝石”を大切に思っているから、同じ色を持つ私は一族の者達には敬われていた。


 ならアルトゥルは?

 アルトゥルはお兄様を敬愛しているけれど、私にはかなり恐ろしかった。


 アルトゥルは私の事をどう思う?と聞けば、何を言ってるんだとばかりの溜息の後、迷惑なお嬢様と思ってますよと返事をされる。


 確かに今回は迷惑を掛けたけれど…!

 やっぱりアルトゥルは私に冷たい。



「そういう事じゃなくて。“エスメラルダの宝石”としての話よ。アルトゥルは私の事を敬わないじゃない」


 そう言うと、アルトゥルは言葉を言葉を探すように口を動かしては噤む。

 大方、お嬢様の全てが気に入らないからです〜なんて返ってくるだろうなと予想していたが、私の予想は大きく裏切られた。



「私は“エスメラルダの宝石”も“ロッテンマイヤーの金色”もくだらないと思っていますよ」



 一瞬時が止まったような衝撃を受けた。

 彼の意志の強さを感じさせる赤い瞳が私を射止める。

 聞かなかった事には出来ませんよ、とその眼差しから聞こえる気がした。



「“エスメラルダの宝石”を持つ屑も、何も持たない聖人も永く生きて見てきましたから。」



 たまたま忠誠を違ったのが我が君だったというだけです、とアルトゥルは言う。

 初めてアルトゥルを知った気がした。

 お兄様の信奉者でいつも黒い執事服を着ている、赤い瞳に黒い髪の恐ろしい古の吸血鬼 。

 それ以上知ろうとも思わなかった。



「わ……私もそう思う!」



 気がついたらそう叫んでいた。



「色なんて関係ない。色で中身を決めつけられるなんて真っ平よね!」



 私はこの時初めて“エスメラルダの宝石”に、真っ向から立ち向かった。


 なんてことだろう。

 まさかあのアルトゥルが一番嬉しい言葉を言ってくれるなんて。

 何故気が付かなかったのだろう。

 アルトゥルは私に冷たいのは、エスメラルダの宝石として私を見ていなかったからだったのだ。


 喜ぶ私とは対照的に、アルトゥルは無表情だ。

 何を考えているか分からないアルトゥルの無表情は1度目は苦手だった。

 でもアルトゥルの無表情の下に隠された考えは私と同じだったのだ。

 2度生きて、同じ考えを持つ吸血鬼に初めて出会ったのだ。

 手があれば踊り出しそうなくらい嬉しかった。



「あまり興奮すると倒れますよ。ああ言った傍から」



 アルトゥルはまるで予言したかのように私を窘める。

 事実、私は突然とてつもない吐き気と眩暈に襲われていた。



「首から下が無いので血が足りないんですよ」


「なるほど…。私の本体って心臓じゃなくて頭なのかしら。不思議ね」


「どうでもいいです」



 アルトゥルは深い溜息をつく。

 私を持っていない方の手でネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを2つ開けた。

 まさか…とは思ったが、アルトゥルが私の首を自分の首筋に近づけた事で私の予感は的中する。


 まさか、血を吸えと…?



「いや、いやいやいやそれは無理よアルトゥル」


「余計な意地を張らないで下さい」


「意地と言うか、異性の血を首から吸うなんて……」



 同族喰いが禁じられた今、誰かに血を与えるそれは求愛行動だ。

 手からだと“決して手放さない”。足首を差し出すことは“忠誠を誓う”。

 極度に近づかなければ吸えない首からは、“永遠の愛”。

 特に首からの吸血は、結婚して初めての褥で捧げあうものなのだ。



「手首の血で十分よ……!いや、手首でもあれだけど!」


「手首は給仕に障りますので」


「だからってそんな…!」


「私は冷血漢なので、お嬢様の恥じらいの対象では無いのでは?」



 先日アルトゥルのいないと思ってお兄様と話していたことを完全に根に持っている…!

 慌てふためく私とは真逆で、アルトゥルは至極冷静に冷めた声で勘違いしないでくださいと言った。



「8歳のお子様に欲情なんてしませんよ。しかも首だけの」


「そうですけど!」


「さっさと飲んで下さい」



 勝負と言うものは、余裕のある方が勝つと相場が決まっている。

 貧血と羞恥心を天秤に掛け、私はついにアルトゥルの提案に受け入れてしまったのだった。

 これは絶対に求愛行動にカウントしない!と頭の中で永遠に言い訳しながらアルトゥルから少し血を頂く。


 エンデルス伯爵邸に着いた時には私は精神的にすっかり疲れきっていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る