第8話 金色の悪魔




 目が覚めると、明らかに貴族の屋敷と思われるような部屋の中に転がされていた。

 赤い絨毯が引かれていて、遠くに見える金色の扉の細工は美しい天使であった。

 大きなシャンデリアのあるこの部屋の中は豪華だけれど一切物がなく閑散としていて、少し血の匂いがした。



 身体は縛られている様子はなく身体を起こすと少し頭痛がする。

 自分の姿を確認すると泥だらけになったドレスは飾りの無い金色の簡素なドレスに着替えさせられていて、シャワーを浴びさせられたのか、身体はすっかり綺麗になっていた。


 何となしに横を見れば、そこには私と同じように金色のドレスを着て横たわっている少女がいる。

 実年齢は不詳だが、見た目は1度目の私と同い年位のピンク色の髪の少女だ。



「ねえ、起きて」



 何度も揺さぶれば少女はゆっくりと目を開けた。

 鮮やかな赤色の瞳は何度か瞬きをした後見開かれる。



「私、や、屋敷に…戻る途中に誰かに襲われて…!」



 途切れ途切れに彼女が口にした攫われた時の状況は、大体私と同じようである。

 怖がる彼女を落ち着かせるように背中を摩り、ゆっくり深呼吸をさせる。

 暫くすると少し落ち着いたような彼女は私をじっと見つめると、エスメラルダの姫様…とはっきり口にした。

 王宮でのデビュタントは15歳。まだ私の存在はエスメラルダ一族以外には知られていない。

 ならばこの子はエスメラルダの吸血鬼だ。


 背筋がゾッとして少し鳥肌が立つ。

 お兄様の絶対的庇護下にある、エスメラルダ一族の者が誰に攫われるなんて事、1度目もあったのだろうか?


 お兄様の目を盗んでエスメラルダの吸血鬼を攫えるような犯人から私達は逃げることが出来るのか?

 そして私はこの少女の名前を聞いて驚愕することになる。



「私はシュザンヌ・エンデルスと申します。エンデルス伯爵家の5番目の娘で御座います」



 その甘い顔立ちも、ふわふわのピンク色の髪も確かに既視感があった。

 その既視感の正体は“エンデルス”。

 シュザンヌ様はジークフリートの姉君だったのだ。



「人の気配が大勢…それに叫び声、男のものと女のものどちらとも…それに笑い声。血の香り」



 目を閉じてシュザンヌ様は大きく息を吐くと、私には感じられない部屋の外の姿を彼女は述べる。

 恐らくシュザンヌ様の“特性”なのであろうその観察を終え、出された結論は此処は恐らく狩場だということだった。



「狩場をご存知ですか?趣味の悪い悪食の一族の社交場ですわ」


「ロッテンマイヤーね」



 ロッテンマイヤー一族は非合法的に吸血鬼を食べている。

 時には喧嘩した貴族を、時には孤児を攫ってきては夜な夜な喰らうその行為を、ロッテンマイヤー一族というその地位と強さから見て見ぬ振りをされていた。


 けれど絶対にエスメラルダ一族には手を出せないはずだ。

 エスメラルダに手を出せば、この国に生きる最古の吸血鬼であるエスメラルダ公爵お兄様が出てきてしまうのだから。

 エスメラルダ一族の者と知らずに連れてこられたのならば解放される可能性があるとシュザンヌ様は言う。


 この部屋には窓がなく、外に出る手段は鍵のかかったただ一つの扉しかない。

 私達はその可能性に賭けるしかなかった。


 暫くして扉を開いたのは、おそらく吸血鬼としての死が数年後に迫っている年老いた男だった。

 ローブを着た翁が恭しく礼をとる相手は、一回り以上身体の小さい少年だ。



「本日ご用意致しましたのは、ヒヒッ、大きい声では言えませんが…エスメラルダ産の高級品です」


「お前たちの用意する女はいつも美味い。期待しているぞ」



 一番初めに部屋に入ってきたのは、金髪の子供だ。

 右目に眼帯をしているが左目は金色の瞳が輝いていた。

 その後ろに4人程少年が控えていたが、それよりも私は金色の彼にしか目に入らなかった。


 その色を目にすれば、嫌な位に思い出す。


 “彼”は“金”を一番美しく宿している、ロッテンマイヤー一族で一番高貴な吸血鬼と言われていた。

 親殺しの吸血鬼で、若くしてロッテンマイヤー公爵の名を奪取したその行為すら神聖な者とされていた。

 私はこの少年を知っている。正確には数年後の姿の彼を。


 名前は、そう…。



「サミュエル、ロッテンマイヤー」


「汚れた色が口を開くな」



 憎々しげに眉を顰めて彼がそう言ったその瞬間、稲妻が走るような衝撃と共に記憶が蘇る。


 “汚れた色”

 この言葉を言われたのは2回目だ。


 サミュエル・ロッテンマイヤーと初めて出会ったのは15歳のデビュタントの時だった。

 舞踏会で婚約者だったシンシアと踊った後、何の因果か彼と踊らされた。

 金色の純正ロッテンマイヤーと伝説のエスメラルダの宝石の物珍しさに会場から視線を集めたのだ。



「…醜い汚れた色め」


「は?」



 踊っている最中に冷めた瞳を向けられ言われた言葉は衝撃的だった。

 よくもまあ王太子の婚約者にそんな事を言えたものだなと今考えるとそう思うけど、当時はそれなりにショックだった気がする。

 その後大天使ジークとも踊ったけれど、ジークの金色の瞳にサミュエルの面影を感じて最悪だった。


 サミュエル・ロッテンマイヤーは公爵、そして私は王太子妃だったせいで何度も顔を合わすことになる。

 けれど私も大嫌いだったし、向こうも同じ気持ちだったのだろう。王宮ですれ違っても完全無視。お互い一言も話さなかった。


 ここで事件が起きる。

 サミュエルはある時、人間の少女を領に匿ったのだ。

 勿論ロッテンマイヤー一族とはいえ大問題になったし、サミュエルは公爵の地位を剥奪されて伯爵に落とされる。


 ロッテンマイヤーがいかにも好きそうな金髪に琥珀色の瞳の、背の小さい可憐な少女だった。

 名前は…メアリ・ガーデン。

 カルロ帝国は人間の侵入を禁止している。侵入した人間達は必ず王宮にて消されるのが常だった。

 ロッテンマイヤー領に現れたメアリは人間の国の教会の“聖女”だったらしい。

 メアリに恋をしたサミュエルは人間と手を組んで王家に反旗を翻したのだ。

 本当に初恋の拗らせ方が最低だ。



 原始の血を引くロッテンマイヤーはやはり強い。

 とは言えエインお兄様なら余裕で太刀打ち出来そうだが、何故かお兄様は対抗しなかった。

 それは…何故だったかしら。何かあった気がするのに、思い出せない。

 お兄様の事だからきっと気が乗らなかったとかそんな理由だと思う。


 とにかく、予想外だったのは人間が“化学”の力を持っていた事、そしてロッテンマイヤーが人間側についた事。

 民を傷つけられる位ならと王はロッテンマイヤーに城を明け渡し、王宮は無血開城となった。


 人間の支配下に置かれたカルロ帝国ではシンシアは貴族位を剥奪された。

 シンシアに恋はしていなかったけれどパートナーとして大切に思っていた私は、平民に落とされた彼を支えて共に生きるつもりだった。



「リーゼロッテ・カルロ」



 王宮を出る前夜、寝室に向かう途中、デビュタントで言葉を交わして以来初めてサミュエルに話しかけられる。

 ただの平民となった私には護衛の者はいなかった。

 イグルスもジークも、私の傍にはいなかった。


 ロッテンマイヤーの私兵が私を床に取り押さえる。

 いつもの様に冷めた目でサミュエルは私を一瞥すると、銀色の剣を抜いて私の心臓を貫いた。

 剣なんか吸血鬼に効かないはずだった。


 それなのに何故か、心臓が燃えるように熱い。



「助けて、────」



 私は最後の時に、誰の名前を呼んだのだったかしら。



「メアリの為に死ね」



 恋は金色の青年を狂わせた。

 これがこの目の前にいる偉そうな子供が1度目に引き起こした悲劇。


 漸く思い出した。私を殺したのは彼。

 目の前にいる尊大な金色の子供が私の死神だったのだ。





「貴方様はロッテンマイヤー公爵子息様でいらっしゃるとお見受けします。しかし何の権利があってロッテンマイヤー一族の者がエスメラルダ一族を食べるというのでしょう」


「ロッテンマイヤー以外の醜い色の吸血鬼なんてこの帝国に必要ないだろう。だから私が喰ってやってるんだ」



 シュザンヌ様の問いかけに、お前達も金色のロッテンマイヤーの一部になれるなんて光栄だろ?と自信満々に笑うサミュエルは自分の正義を信じきっていた。

 エスメラルダならば解放されるという私達の唯一の望みは絶たれたのだ。


 そもそも人間と住処を分けて以来、同族同士で喰らいあい、吸血鬼を絶滅させないためにカルロ王朝は“同族喰い”を禁止した。


 “同族喰い”をしていいのは王族のみ。重大な罪を冒して投獄された吸血鬼への最期の救いとして、“王族の血肉として生きる”という最大の赦しとしてあくまでも死罪という形で存在している。

 私が王太子妃だった頃も一度だけ直接、命を喰らった事がある。



「私達は喰らった命の分の枷を負うのだよ」



 その日の夜、初めての“同族喰い”を終えて塞ぎ込んでしまった私に、シンシアは夫婦の寝室でそう言った。

 例え相手が罪を冒した者だろうと、“同族喰い”をするならばその覚悟を持たなければいけないと。

 もう二度と“同族喰い”をしなくても良いように、国を良くしていくのが王族の務めだと言ったのだ。

 彼は間違いなく吸血鬼の国の王の器だった。

 サミュエルの恋のためにカルロ王朝は終わってはいけなかった。


 金色ロッテンマイヤーの何が偉いのよ。

 エスメラルダも孤児も関係ない。そもそも金色を持つというだけで愉しみの為だけに命を喰らうなんて、絶対に許されてはならないのに。


 かつての狂った死神は、この時既に狂っていたのだ。

 1度目に奪われた多くの物を考えると、思わず強い口調で批判してしまう。



「貴方の正義は間違っているわ」


「生意気な口を聞くな。尊いロッテンマイヤーの金を持つ、この私が一番偉いんだ」


「髪の色も瞳の色も、そんなものになんの価値もないのに」



 サミュエルは歪な笑みを浮かべた。

 その目に浮かぶ感情は冷えきっていて、鼻で小さく笑う。



「“金”以外はゴミだ」



 酷くしてやれ、と静かに落とされたその言葉を皮切りに、サミュエルの後ろに控えていた少年達がにやにやとした顔で近ずいてくる。



「命に替えて、お守りします」



 私を背に庇うように手を広げるシュザンヌ様の顔は見えない。

 けれど震えた声が、彼女の恐怖を物語る。

 煽ったのは私だ。…シュザンヌ様は殺されてはならない。


 勢いよく肩を噛まれ自分の肉が食べられていくのが鮮明に分かる。

 血が勢いよく吹き出して、一瞬痛みが身体を支配するが、それよりも酷く噛まれた部分が熱かった。

 そう言えば心臓を貫かれた時も痛みより熱さが襲ってきたなと思い出す。



「姫様!やめてください、離して!姫様!」



 アルトゥルのお陰なんて言いたくはないが、“エスメラルダの宝石”は吸血鬼としての力は強いらしく、この程度なら

 時と共に戻ると実証済みだった。


 彼女よりは私は確実に長い間生きていられる。

 つまりその分、時間を稼ぐことが出来る。

 何よりこの勇敢な女性の命をこんな卑劣な吸血鬼に穢されたくなかったのだ。

 ロッテンマイヤーの狩人がシュザンヌ様に触れそうになったその時、気がついたら私は彼女に覆い被さっていた。



「つまらない」



 私を囲む少年達とは離れたところで様子を観察していたサミュエルが静かにそう告げると、少年達は少し焦ったような色を見せる。

 そしてヒートアップした吸血行動は、私の右脚の膝から下を、更に両方腕を剥ぎ取った。

 バリバリバリ、と嫌な音がして大きな骨が折られる。


 こんな時に変なことを思い出したが、以前お兄様は生きるのが面倒になって消滅しようとしたらしい。

 けれど何度も何度も死に損ない、身体中が欠損しても生き続け、諦めて“再生”した。

 その時は10年かかって再生したから身体が戻るまでの間、アルトゥルに母親のように世話を焼かれていた…というヴァンパイアジョークだ。


 1度目にその話を聞いた時、笑えるかとその時は引いたけれど、案外聞いておいて正解だった。


 私といいお兄様といい、“エスメラルダの宝石”は身体が欠損しても生きていられる。

 なら、例えば今身体中がバラバラになっても生きていられるのかもしれない。


 首に手をかけられた。

 ごきり、と音がして勢いを感じる。

 視界が半周して上を向く。


 あ…やっぱり生きているのね。


 千切れた首わたしが少年の手からサミュエルの元に捧げられる。

 啜り泣くシュザンヌを見て気分を良くしたようで、私に次いでシュザンヌを食べようとしていた少年達に笑みを浮かべながら待てを出す。


 私が死んだと思っているのか、サミュエルは首から滴り落ちる血を私の頭を無造作に逆さまにして吸った。

 いや、生きてるから。


 何やら私の心の声は実際に声に出ていたようだった。

 驚いて勢いよく私の頭は投げ捨てられる。



「…おっ…ま…化け物……」


「こっちの台詞よ」



 生きていることに驚いたのか、サミュエルは私を化け物と言う。

 けれど解せない。私を化け物と言うなら、こんな非道な事が出来る貴方たちが化け物でしょう。


 言葉を話す首の姿にロッテンマイヤーの少年達が本気で引いていると、急に部屋の外が騒々しくなる。

 言い争うような声を聞きサミュエルが舌打ちをすると、少年達はこぞって様子を見にドアに近づいた。

 そして狙ったかのようなタイミングで、扉がバタンッと大きな音を立てて倒れてきたのだ。


 一瞬の沈黙の後、そこには少年達を全員扉を介して踏みつける、執事服の狂気がいた。



「“複製”させて頂きます」



 その執事が一言呟くように唱えると扉の上の彼から黒い影のようなものが出て、そこから一気に身体は複製される。

 あっという間に部屋を埋め尽くす程の人数まで彼は増え、そのうちの一体が恐れる少年達をみてにやりと笑った。


 逃げ出そうとしてももう遅かった。

 一瞬のうちに部屋は地獄と化す。


 ある者は心臓を抉られ、またある者はさっきの私のように手足をもぎ取られる。

 一人、また一人と声が減っていき、最後の一人が大きな叫び声をあげるのが最後。

 静かになったその部屋で佇む執事──アルトゥルは瞬く間に一人になっていた。

 返り血で身体中真っ赤だ。

 アルトゥルは首と身体中が別れた私をみて、少し迷った後に私の首を拾い上げる。



「酷いざまですね、お嬢様」


「この姿をみて、よくそんな可愛い感想で済むわね」


「言いたい事は山ほどありますが…まあいいでしょう」



 不穏な空気が流れ、まさかこのままお説教コースか?と不安になったもののそれは逃れられたようでほっとした。

 けれどアルトゥルの視線は部屋の端の、一部始終に呆然として立っている金色の少年に向けられていることに気がついてしまい、私は再び焦る事になる。

 私の1度目の記憶から察するに、アルトゥルの瞳は間違いなく“殺す”と物語っていたのだ。



「アルトゥル、待て。ステイよ。彼はロッテンマイヤー公爵子息。手を出すとエスメラルダとロッテンマイヤーで戦争になるわ」


「私は犬ではありません。大体、エスメラルダに先に手を出したのはそちらでしょう」



 私の経験からの学習は間違いではなく、やっぱりサミュエルを殺そうとしてた。

 サミュエルもサミュエルだ。

 アルトゥルに暗に殺すと言われ、震え上がっている。

 誰かを殺すのであれば自分も命を狙われても仕方ないのに、まるでそんなことは考えたことがないように彼は恐怖していた。


 …震える姿は唯の少年のようだった。

 そんな唯の男の子が、よくもまあこんな残酷な事が出来たな、と呆れてしまう。


 勿論慈悲をかける訳ではない。

 身体中バラバラにされたのだから。

 けれど、私のせいでエスメラルダとロッテンマイヤーが戦争になられても困るのだ。

 私が“エスメラルダの宝石”のように、彼は完全なる“ロッテンマイヤーの金色”だ。

 サミュエルが殺されれば争いが起きるのは、自分に置き換えれば容易に想像出来る。


 お兄様に判断を仰ぎましょうとアルトゥルを宥めると、お兄様至上主義のアルトゥルは納得したように頷いた。



 アルトゥルの“複製”は本当に便利な力で、複製してある別の個体に越しに誰かと連絡を取る事が出来た。

 手紙を書いて誰かに運ばせるよりずっと速く確実なのである。


 お兄様と連絡が取れたアルトゥル曰く、シュザンヌ様の父、エンデルス伯爵はシュザンヌ様が居なくなってからずっと王宮にて捜索の嘆願をしているらしい。

 お兄様はエンデルス伯爵と共に事後処理をした後にエンデルス邸に向かうので一足早く私とアルトゥル、そしてシュザンヌ様でエンデルス邸に向かい、そこで落ち合うようにとの事だった。


 腰を抜かしているシュザンヌ様の手を引き、私の頭をもう1つの手で持ってアルトゥルは血まみれの部屋を後にする。



「エスメラルダ公爵はロッテンマイヤー一族の破滅を望んでいると、公爵にお伝え下さい。近いうちに必ず滅ぼすとお望みです」



 部屋には呪いの言葉と震えているサミュエルだけが残った。


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