第7話 エルエラの花の約束
「…リーゼロッテ様、一体何を?」
「調べ物をしているの」
イグルスと出会ってから早1ヶ月が経った。夜が始まって暫く経ちイグルスは私の部屋へやってくる。
うちに住み込みで毎日一緒にいたジークとは違って、イグルスはエルツベルガー伯爵邸から通いで数日に一度来てくれている。
かつて私はジークが居なくなったら大号泣し、片道4時間かかるエンデルス邸からその都度呼び出していた。更には私が起きる時には隣にいてと無茶を言って、仕舞いには同居させたのやだ。
いやいやいや、ね。何度思い出しても、自分の我儘っぷりが怖すぎる。迷惑すぎるでしょう。
それなのにいつも笑顔で遊んでくれたジークは多分本当に天使だった。
今回精神は18歳のリーゼロッテ・エスメラルダは絶対にイグルスに迷惑はかけないようにしようと決意しています。
イグルスとは、会う度にお茶をしたり植物実験をしたり中々楽しい日々を過ごしている。
それをアルトゥルに言ったところ、お嬢様は本当は18歳なのですよね?と軽蔑の目で見られたが気にしない。
だけど今日はきちんとした目的があるのだ。
部屋に入るや否や部屋中に散らばる何冊もの本とその中心で本を読む私を見て、溜息をついたイグルスは散らばった本を何冊か回収して道を作り、私の横に来た。
「1冊ずつ出したらどうですか?いつか本に躓いて怪我しますよ」
「片付けはあまり得意ではないの」
「アルトゥルに叱られちゃいますよ」
「よく分かってるじゃない」
もう既に1度目で片付けに関して数え切れないほど叱られている。
開き直る私にイグルスは苦笑いを浮かべ、何を読んでいるんですか?と聞いた。
「過去の吸血鬼の特性を調べているの。体力強化、癒し…。あ、炎遣いなんて強そうでいいわね。早く見つけなくちゃ……」
「焦らなくとも成長の過程で自分の力の使い方はきっと理解出来ますし、特性がどんなものなのかは自然に分かると聞きますよ」
「……そうね」
僕達はまだ子供ですから心配する必要はないですよ、と不安を察知したようにイグルスは励ましてくれる。
そんな彼には申し訳ないが、私は以前王太子妃になっても特性が分からなかったという経歴を既に持っている。
この国では10代も半ばとなれば皆吸血鬼として血の特性というものを身につけ、特殊能力が使えるようになる。アルトゥルでいう“複製”、お兄様でいう“再生”がそれに当たる。
特性無しは価値ゼロと罵られてもいいくらいに貴族平民問わず当たり前に持つ能力だ。
それが見つけられないのはさすがに無能すぎた、自分。
言い訳をすれば、生まれた家で虐げられ、引き取られてからはジークに真綿に包まれて、王太子妃になってからは危険な事をする事もなく過ごして来たから特性を使う機会も探す機会も無かった…。言い訳ですね。
とにかく1度目の私エスメラルダの宝石は本当に見掛け倒しすぎたのだ。
今世、王家に嫁ぐつもりはさらさらない。
死にたくないし、お兄様に認められたいとも思わないもの。
なら尚更生きていくには力を付けなければいけないから、絶対に特性を見つける必要がある。
個人的に2度目にしなければいけない事の一つがこの特性探しなのだ。
「よし、いきましょう」
「は?」
「特性探しの修行よ!」
動きやすく装飾のないドレスに着替え、嫌がるイグルスを連れてやってきたのはお兄様の屋敷のすぐ傍から広がる針葉樹林である。
カナンの森と呼ばれるこの森はエスメラルダ公爵領をぐるりと取り囲んでいて、まるで要塞のようだと表現されることもある。
エルエラの花と言う、カナンの森でしか見られない星型の花が咲き乱れる丘があり、私はその幻想的な景色が大好きだ。
舗装されていない傾斜の急な獣道を登っていく。
イグルスは落ちないようにと後ろから着いてきてくれている。
前の日が雨だったせいで私が滑りそうになる度に焦った顔をさせていた。
「特性探しの修行って、森で何をするつもりですか?」
「追いかけっこでもしましょうよ。」
「追いかけっこ……」
「健脚の特性があるかもしれないじゃない」
「それ以前に怪我しま…うわっ!」
不意に焦るような声が聞こえて急いで振りかえれば、足を滑らせて転びそうになるイグルスが見えた。
助けようと手を掴むが、子供の小さい身体だと勢いよく倒れていくイグルスを支えきれずに一緒に道を滑り落ちてしまう。
実際はほんの数秒、体感としてはかなり長い間泥だらけの斜面を転がり、木にぶつかってようやくスピードが収まる。
イグルスの上が間に入ってくれたお陰で痛みは無かったが、起き上がったイグルスは泥だらけで、私もドレスも顔も関係なく泥だらけだった。
「リーゼロッテ様!お怪我はありませんか…?!」
「全く無いわ。イグルスは怪我は?」
「お許しください」
「気にしないで。それより怪我は?」
「お許し下さい…!」
駄目だ。全然話を聞いてくれない。
向かい合って話しているのに、私の言葉は全く彼に伝わらなかった。
そもそも勝手にイグルスを連れてきたのは私だし、転ばないように後ろに着いてくれていた訳だし、怒る訳は全く無い。
寧ろ謝るのは私の方だ。ぼろぼろと涙を流して顔を擦り、顔を更に泥だらけにしているイグルスは本当に可哀想だった。
「僕のせいで怪我をさせてしまうなんて……」
「私は怪我してないの。だから気にしないで?アルトゥルに後で泥だらけになったのは怒られるかもしれないけれど、それは一緒に怒られましょう?」
よしよしと背中を何度も撫でているうちに嗚咽が聞こえなくなり、漸く私達は目と目が合う。
「……お許し下さい」
この子は何て顔をしているのだろう。酷く怯えたような、見ているだけで私も胸が苦しくなりそうな悲壮な顔だ。
「許すも何も怒ってないもの。こんなに泥だらけになったのは初めてで楽しいわ」
出来るだけ安心させるように少し冗談交じりに答えれば、ようやくイグルスは落ち着いてくれた。
簡単に泥を払って立ち上がる。イグルスに手を貸したけれど、力が入らないようで中々立てそうにない。
やはり怪我をしたみたいだった。
「ごめんなさい。私が無理やり連れてきたせいね」
「違います。リーゼロッテ様のせいでは…」
「間違いなく100%私のせいよ。……もう少しお淑やかにしなきゃ。反省します」
間違いない。1度目の年齢を含めれば26歳にも関わらず、歳下の男の子に少し我儘を言いすぎた。
子供のイグルスは兎に角可愛くて、怒っても可愛いし呆れても可愛かった。
だからこそ少し我儘を言いすぎたのだ。
怪我をさせて泣かせて悲しませるなんてしたかった訳では無いのだ。
2度目は長生きしたいと奮闘するのは私の事情だ。
イグルスが生きているのは1度目。私の勝手で振り回してはいけないのだ。
「お淑やかにしなくてもいいです。いや、レディとしてはしなきゃいけないですけど……」
「ん?」
イグルスの爆弾発言に、私の脳内反省会議もストップする。
あ・の・イグルスが、お淑やかにしなくてもいいと言ったの?
イグルス自身も自分が言ったことが変だったみたいで、なんと言うか、とかえっと、とかと言葉を絞り出している。可愛いわね、頑張れ。
見守っていると、イグルスは言葉を探しながらゆっくりと口を開いた。
「僕、急いで今より強くなりますから。強くなって…リーゼロッテ様が何をしても守れるようになりますから、我儘を言って欲しいんです」
私を見つめる真っ直ぐな瞳に思わず魅入ってしまう。
リーゼロッテ様の突拍子もない我儘が好きです、とイグルスは屈託の無い笑顔を浮かべた。
その言葉に驚いて、心臓が大きくとくんと音を立てた気がする。
この時、初めて私は自分をただの“リーゼロッテ”として見てくれる相手に出会ったのだ。
「……そうしたら、また今度特性探しの修行に付き合ってくれる?」
死活問題なの、と言えば気にしなくていいのにと笑われる。
けれど間違いなくイグルスの表情は明るくて、私のお願いに対する答えはYESだった。
「この先にエルエラの花の丘があって、今度一緒に行きたいの。それから温室の毒鳥草を歌わせてみたい。夢見草をソテーにして食べてみたい。あとアルトゥルを一度思いっきり驚かせてみたいの」
「アルトゥルに迷惑を掛けるのはやめましょう。毒鳥草の歌声を聞いたら呪われると言われていますから危険です。夢見草もあれは夢を見るように死ぬ毒草ですからいけません。……エルエラの花の丘のお誘いは、喜んで」
今も昔も、泣き虫でも気難しくてもイグルスは“リーゼロッテ”を見てくれる。
イグルスの傍にいるとただのリーゼロッテになれる。それがとても心地いいと感じた。
目下の問題はイグルスの怪我を踏まえてどう行動するかだった。
経験上健康な吸血鬼なら骨折なら半日、捻挫なら6時間位で治るはず。
それまで此処にいる?と聞けば屋敷に戻りましょうとイグルスは言った。
おぶれるかどうか試してみようと思ったけれど、流石にそれは拒否されたので肩を貸してイグルスを立ち上がらせる。
少し遠回りだけどもう少し先に行くと石畳の階段があるはずだ。
そこから屋敷に繋がる道は舗装されているからイグルスの負担も少ないだろうと考え、私達は来た道とは違う道を目指す。
「…エルエラの花、僕は見たことがありません。どんな花なんですか?」
「とっても綺麗よ。光っていて月に当たるとより一層きらきら輝くの」
一面エルエラの花が咲く様子は壮観だ。風が吹くと甘い香りがするその丘をまるで天国みたいだと昔は思っていた。
ジークに服を借りて森の奥深く、2人でお菓子を一杯バスケットに詰め込んで、月が綺麗な夜にそこでパーティーをするのが大好きだったのだ。
可愛い少女時代を思い出して、笑みを浮かべてしまう。
「どうしてリーゼロッテ様はこの森に詳しいのですか?あ、既に当主様と散策されたとか……」
「えーと、そうね…昔、お友達と来たことがあるの」
ジークの事を何と言ったらいいか分からなくて、そのままだが“お友達”と表現した。
イグルスの顔を見れば、珍しく無表情で少し機嫌が悪いように見える。その青色の瞳が何を考えているか私にはわからなかった。
来た時よりも時間をかけてゆっくりと歩く。
やはり足場が悪いのでイグルスの脚が痛まないようにと細心の注意を払い、私は集中していた。
それがいけなかったのか気が付かなかったのだ。森の空気が変わったことに。
「リーゼロッテ様!」
今まで聞いた事のないような、イグルスの怒鳴り声。
それと同時にガンと頭に響く音がする。
痛みを感じたのはその暫く後で、自分の身体が倒れていくのもイグルスと引き離されるのも、まるで現実味が無かった。
「なんだぁこの娘は。珍しい色だな」
「金色以外は気にするなって言われてるだろ」
誰かが私の身体を持ち上げている。
イグルスではない誰かが、この場にいる。
まずい、まずいと頭では警鐘を鳴らしているが頭を殴られた痛みで身体に力が入らなかった。
「彼女はエスメラルダ公爵家の姫君だ。エスメラルダに滅ぼされたくなければ彼女を置いていけ!」
「姫君?ははっ、こんな汚れた姫君があるかよ」
「うるせえ餓鬼だな。おらっ」
薄れゆく意識の中、子供の呻き声が鮮明に聞こえた。
駄目よ。イグルスに乱暴しないで!誰か、イグルスを助けて!
「リーゼロッテ様!リー…」
…私の意識は暗転した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます