惑星を旅する

 僕は前におそらくそこは青空に押しつぶされた荒野なのだろうと書いたが、N君の新作はきっとSF小説なんだと僕は思った。それはそう思った方がなんだか抽象的な描写もわかる気がしたし、例えばこれは僕らの知らない惑星について語る群像劇だとすればさまざまな人物が出たりいなくなったりするのも納得がいくのだ。そしてもうひとつ、僕はこの裁断された物語を読み解くためにN君との思い出を掘り起こしてみることにした。

 N君は読書家であった。彼は僕の知らない海外小説や純文学をよく読んでいて、僕は大いに刺激を受けたものだ。一方で僕はSF小説ばかり読んでいた。彼は突然これを読めと言ってローベルト・ヴァルザーの『タンナー兄弟姉妹』を渡してきたりした。僕は時間を見つけて読もうと思ったけれど、一度パラパラめくったくらいで、結局本棚に並べたままになっている。

 彼に勧められた本は何冊もある。彼は僕が読んでいないことを知り抜いているから、ますます遠慮がなくなってくるのだ。僕はそれらの本のタイトルを総て誦じている。そしてどの本も読んだことがない。読もうと思って買った本はいくつもあるが、読んでいない罪悪感でタイトルを覚えているのか、それとも読むという意思を持続させるために覚えているのか、もはやわからない。そういった本は例えば、ヴァルザーの『タンナー兄弟姉妹』、ベルンハルトの『凍』、クラリッセ・リスペクトルの『星の時』、坂口安吾の『吹雪物語』、森敦の『我逝くもののごとく』、ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』といったものだった(まだまだあるけど長くなるからやめておく)。このうち何冊かは僕の脳裏の部屋のどこかの本棚の一点を指し示し、ニューロンの輝きのように青白く光っている。彼はそうした光を与えてくれたが、僕は必ずしも受け取らなかった。人から勧められた本はなかなか読まないなんてよくいうが、むしろ僕は割と読む方だ。そうではなくて、彼が教えてくれた本はどうしようもなく薄ぼんやりとした光に差されてしまい、手に取るとその本の重量よりも少し重たく感じてしまうのだ。

 こうして並べてみると、読まなかった本というのは断ってしまった旅行みたいだ。それも冬の。いつだったか、N君に冬のウズベキスタンに行かないかと誘われたことがあった。どうして断ったのか覚えていないが、彼はとうとう行ったのかもしれない。今まさに彼が冬の日差しを浴びながら荒野を一人歩いている姿が瞼に浮かぶ。冬のベルリンや冬のウィーン、冬のリオデジャネイロなんて話もあった。どれも行かなかった旅行だ。そしてもう行くすべもない。しばらく前からこの国、というより世界全体で、原則的に外出は禁止されている。僕ももう長い間面と向かって誰かと話をしたことがない。思えば、N君がわざわざ郵送で小説(のどこかの一ページ)を送ってきたのも、この一枚の紙きれくらいは外の世界を旅させてやりたかったからかもしれない。


 どうやら全体像が見えてきた。この「惑星」(僕という観測者が名付けつつある惑星)は全体が降り積もった灰に包まれていて、いや違う、灰がこの惑星そのものなんだ。灰はどこからかやってきたものではない。この惑星自身が灰に変わっていく。灰は中心から生み出され、惑星は灰と変わることで成長し、消滅していく――存在を燃え滅ぼし、減らしていくことによって存在し続けるなんて、なんだかN君らしい趣向のような気もするのだ――灰が積もっていく世界、しかしそれは星が今もなお懸命に燃えていることの証明でもあった。燃え続ける家、その活力が姿を変えたもの、それがこの星を覆い尽くす灰だった。人々はこの星を〈ともに死にゆく友〉と呼び、信じていた。これは僕とN君との共作ではないかという気がしてきた。

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