宇宙からの灰

石川ライカ

N君からの手紙

 君は雪虫を知っているかい? それは僕が昔住んでいた土地で、ある季節になると空中を漂い、生き物なのか自然現象なのか見分けがつかないまま僕らの生活をつつみ、やがて厳しい冬の雪に取って代わられていく。彼らは毎年絶滅して、僕らはすぐに忘れてしまうんだ。

 友人のN君が新作小説を書いたという。読ませてくれよというと、なら郵送するよ、住所を教えてくれと返事が来た。PDFでもWordでも送ってくれればいいのに、と思ったがそれは彼の「方法もまた文体である」というような信条によるものなのだろう。

 でも、どうなのだろう? 「彼ら」の性欲が人間の死に置き換わっていくのなら、それは全く自然なことで、むしろ僕らの死もまた大きくて細やかな「彼ら」の性行為の一部なんじゃないか。

 N君と最後に話したのはもう一年位前の冬だった。あれから世間は大変なかわりようで、気軽に外出したり誰かと会話をしながら食事をするというのは憧れを伴うかもしくは後ろめたく思い起される行為になってしまった。そんな時に来たN君からの連絡だった。彼がこの頃どうしていたのか見当もつかないが、その「新作」とやらを読めば彼がどんなことを考えてこの一年をやり過ごしたのか知ることができるかもしれない。しばらくして、ポストを確認すると素っ気ない茶封筒が入っていた。中身はA4の紙一枚で、何より面食らったのはその内容だった。それはとにかく小説のようなものだったが、終わりがなかった。そしてまた始まりもなかった。本から無造作に引きちぎられた一ページのようだった。内容としても、まとまりのないものだ。ある建物の一階と二階で階段を挟んで男と女が諍いをしている。その建物は普請中のようで、屋根はまだできていない。そこは砂漠地帯で(おそらくきっとそうだ)カラッとした脅迫的な青空の下、二階にいる女はその分空に近く、男の言葉は抜けるような青に吸い取られてしまう。一応小説らしくまとめてはみたけれど、これだけでは何も言いようがない。僕はその紙を机に打ち遣って仕事に戻った。

 次の日、また茶封筒が届いた。それもまたどこかの断片だった。さらにタチが悪いのはその二枚の断片が到底繋がりをもつものには見えないということだった。そこには様々な生き物の屠殺方法が(やや熱っぽく)説明されていた。一文だけ引用しておこう。


氷スラリー(魚は容認できない。事前に脳の破壊を行わずに氷水につけると、魚は9分にわたり意識を保つと言われており、非人道的な方法である。)


 魚に人道的も何もあるものか。それこそこの一枚の書き手にとっては「非人道的」な思考なのだろう。とにかく、その次の日もその次の日もN君の「新作」は送られてきた。やっぱり無造作に。不作為に。


――蜻蛉のような、虹色の油を纏った羽を震わせた〈蟹〉たちの進撃。それは誰もが思いもしなかった地中から現れた。人々は大地が信じられなくなった。そして最も恐ろしいことは、〈あわ〉の出現だった。泡、それは幼いころからの憧憬とともに親しまれていた化学現象のはずだったが、〈蟹〉の絶えず動き続けるおぞましき口元から噴き出す〈あわ〉は、死を変質させ、彼らを生物と物質の淡いに変容させてしまう新たな概念――まさしく災厄――となった。

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