第15話 事件②

常ノ魔のお猪から遠ざけるように和尚と宗鑑は、阻む手から逃れようともがく七兵衛を無理やり引き連れ、本堂の襖をサッと開けると内へ引き入れて閉めた。


本堂にいた他の見習僧がビクッとして押し問答する三人を見ているようだが、和尚は聞かれたくなったので左手でサッと場を去るよう示唆した。


それを受け、見習僧は驚きの視線をこちらに送りながらその場を後にした。


「和尚! 一体なんじゃ! どういうことじゃ? なぜわしはお猪に会えんのじゃ」


七兵衛は立ち去る見習僧に聞かせ、見せつけるようにわざとらしく言い寄ってきた。


「和尚、あの悲鳴は尋常じゃないぞ。お猪はどうなっておるじゃ」


「七兵衛殿、奥方のお猪殿はお猪殿であってもはやそうではなくなったのじゃ」


七兵衛は妙な事を言われて釈然としない空気がみなぎった。

「奥方には会わぬが良い」


七兵衛は和尚が何を言わんとしているかようやく察したようで、

「和尚。それほどか、猪は!」


和尚は意を決して、

「もはや、助からぬ。それに……、もう来ぬがよかろうて。わしが最後まで面倒見るよって」


七兵衛は驚愕して、畳みかけるように、

「な、何じゃと! 妻の死目にも会えんと! それでは世間は何という?」


あれほどの賢妻であったのに名主の面子に狂った亭主を持つとは不幸なことだと、和尚はお猪が哀れでならなかった。


その腹の底に秘めた七兵衛への憤りが異様な表情に豹変させた。


それに和尚にはどうしても解せない事があった。


なぜお猪が戦慄で身震いしてしまうほどの姿に成り果てたのか。


熱にうなされ、喉が焼けるように痛がったお猪。それだけにとどまらず、顔、首、胸あたりまで真っ赤にどんどんと腫れ上がって皮膚は割れて剥がれ落ちたかと思うと、今度は眼球が破裂せんばかりに膨張してもはやお猪と認識できる面影はなく、物怪と化していた。


「あんなおぞま……、いや、見んほうが其方のためじゃ。奥方は美しい町一番の美女じゃった。それだけを記憶に留めておく事をお猪も望んでおるじゃろう、おそらくな」


七兵衛が「ふっ」と一瞬あざ笑うような笑みを口の端に覗かせたのを和尚は見逃さなかった。


「和尚。すまぬが、もう夜もふけた。今日はここを宿としたい」


「あぁ、それはかまわぬが……」


和尚は側に控えていた宗鑑にちらりと視線をやる。


「宗鑑、七兵衛殿がこちらに滞在なさる。ここに寝屋の用意を! それでは七兵衛殿、後ほどまた……」


それだけ宗鑑に命じると和尚は宗鑑と共に本堂を後にした。


宗鑑は床の用意のためそそくさと離れていく。襖を閉めて廊下を歩きながら和尚は、懐から紙の包みを取り出して見つめていた。


それはお猪がいつも七兵衛からもらって飲んでいた薬だった。


本堂の方へ振り向きざまに和尚は苦々しい視線を襖の向こう側にいる七兵衛に送っていた。


「まこと、似たもの夫婦じゃ、このバケモノめ!」


和尚は独り言を吐き捨てるようにつぶやいて、その場を去っていった。

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