第6話 謎の御坊

涼水は七兵衛が訪れた時のことを口にしてしまって良いのか迷いがあった。


和尚へのあらぬ邪推で悪い印象を周囲に押し付けるような事は避けたかったからだ。涼雲に対してさえ、涼水はどうしてもしどろもどろになった。


「あのような見たこともないほどの銭が、風呂敷に包まれておったのを、たまたま見てしもうて」


涼雲は思わせぶりの含み笑いをしながら、そっけなく答えた。


「なんじゃ。見たんか……」


虚をつかれた涼水は掃除していた手を止めた。そして驚いて涼雲をみた。


「なんと! 兄者知っとったんか? 和尚が大金を受け取っていたのを」


「まぁ、ここにおる奴はみんな知っとるよ。知らぬと思っているのは和尚くらいじゃ。涼水もそこまで知っとるなら、話してもええじゃろう。実はな。皆その和尚の銭を不審がっとるんじゃ。なぜあのような大金を頻繁に手に入れるようになったのかをなぁ。それで宗鑑様が一計を案じて、嘘の幽霊騒動を起こして和尚様を試そうとしたんじゃ。ところがじゃ。宗鑑様は幽霊が出た出たと本気で大騒ぎじゃ。やりすぎじゃと諌めてもやめん。どこまで本気なんかわからんようになってなぁ。それで出奔じゃろう。残された我らはどうしたらええんかわからんのよ。涼水、宗鑑様のこと、他に何か知らぬか」


「なんじゃ、そういうことか。それがしが七兵衛様のお帰りの時にお見送りしようとしたんじゃ。すると宗鑑様が『それがしが』と言われて代わったんじゃ。なにか思い詰めたような様子じゃったし、それも半ば強引に代わられてしもうて、特に何も会話しとらんなぁ」


「あぁ、七兵衛様、和尚様と宗鑑様じゃったはず……。もしやあの事変かぁ……」


涼雲は独り言のように口走る。

 

「兄者、あの事変ってなんのことじゃ?」


涼雲が一瞬アッという表情を見せた刹那、急に笑って誤魔化した。


「アハハハ、気にするな。宗鑑様の出奔とは関係ない。まぁ、そう言うことじゃ。亡霊なんぞおらぬわ」


突如話を終わらそうとする涼雲に違和感を感じていた。何かにつけ隠そうとする涼雲に我慢できずに白状させようと、涼水は詰め寄ろうとした時だった。


「そうでもなさそうじゃぞ! 小僧や」


涼雲と涼水の後ろから突如、不気味な声がして、ギョッとして二人は振り向いた。


そこには鼻が高く、眼がくりんと出目金気味の、恰幅の良すぎる旅装の僧が立っていた。全身埃まみれのその僧は悪戯っぽい笑みを浮かべ、怖がらすような調子で声をかけてきた。


涼水は急に現れて変な御仁だと不快に思うが、その人懐っこい表情に接すると、不思議と既知の友に遭遇したような情に変わる。


「御坊は?」


涼雲が会釈して声をかけた。

「わしゃぁ、幽玄と申す。諸国をぶらぶら旅しとる僧じゃ」


涼水はその言葉にハッとして首を垂れる。

「今夜はご一緒に寝ずの番とか。幽玄坊、よろしくお願いします」


涼雲は何も聞かされていなかったらしく、慌ただしく首を垂れた。


「おお! 楽しい夜になりそうじゃなぁ! 亡霊となるとウキウキして寝られんわ!」


笑いながら幽玄は、鼻の穴に人差し指をねじ込んでホジホジする。


——————堂々としたもんじゃのう!


御坊の指の傍若無人ぶりに流水は目を丸くする。なにもしなければ高僧に見える幽玄だが、幻想を自ら打ち破るように、ズッポリしていたからだ。


それにも増して、涼水は先ほどの幽玄坊の言葉が頭から離れなかった。

「御坊はなぜ、『そうでもない』とおっしゃったのじゃ?」


幽玄は口の端に薄ら笑いを浮かべ、鼻から人差し指を引っこ抜くと懐から紙を取り出し、その指を拭いた。涼水はてっきり丸めて“ピン跳ね”すると睨んでいたが、意外にも、そこだけ“貴紳”に振る舞う幽玄に笑いそうになる。


「わしはなぁ、彷徨う亡霊や妖怪を見抜く力を備えておるのよ。そのわしが見るところによると、本能寺の奥から妖気が蠢(うごめ)いておるわ。こりゃあ、今夜何か起こるやもと思うておったところよ」


涼水の目が輝く。これまで幽霊退治できる高僧とはあったことがなかった。まだ見習に過ぎないが、修行を重ね、民に悪行を行う亡霊、妖怪や餓鬼を追い払う特殊な技をいつか身につけたいという願望があった。


そのため、幽玄を憧憬の眼差しで見つめていた。

「幽玄坊、亡霊や妖怪を見抜く力とは修行で身につけたものでしょうか」


生真面目な涼水を揶揄う様に笑いながら、

「そんなわけないじゃろう。生まれ持ったもんじゃ。これは!」


幽玄坊が余程過酷な修行を積んできた苦労僧だと、涼水は勝手に思っていただけに調子抜けする。


修行するために僧になったのではないのであれば……

「え? ではなぜ僧に?」


「ハハハ、そりゃあ、この格好でいるだけで有難い存在じゃと思われるからじゃ。こんな生き易い事はないわ」


呆気なく願望を崩された涼水は幽玄坊につられて空笑いする以外なかった。一見高貴な僧に見えるのに話せば話すほどボロボロと竹の皮のように剥がれ落ち、中身が薄い僧だと思えてきた。


幽玄はそんな涼水の気持ちを察してか、やや苦笑いを浮かべた。

「まぁ、この能力だけはまことじゃ。今夜は楽しみじゃなぁ。あ、和尚はどこじゃ?」


幽玄はそれだけいうと和尚のいる本堂の方へ歩いて行った。

涼雲は慌てて涼水に問いただす。


「どういうことじゃ、今夜はわしとそち、それに幽玄坊の三名で寝ずの番か?」


涼水は竹ほうきではきながら涼雲に視線を投げる。

「そうじゃ。和尚がさっきわしにいうたのよ。亡霊騒ぎでわしらが不安がっとるから、幽玄という僧と共に番をせよと。それを兄者に告げようとしておったのよ」


涼雲は興奮を抑えられない様子で

「こりゃ、亡霊を退治できる幽玄坊と一緒だと心強い。亡霊なんぞ見た事ないがどうやら拝めそうじゃなぁ。やはり皆がいうように常ノ魔は呪われとるようじゃ。どんな物怪か気になるのう。それにしても宗鑑様に何があったのか気になるのう。荷物もそのままにどこへ行ったのやら、見当もつかん」


涼水はもはや物怪が彷徨うところで寝ずの番をしなければならないことに不安で仕方がなく、涼雲の言葉を聞き流していた。


「……もしかして」

涼雲の言葉に顔をあげる。


「あやつの寝屋を整理した時、日記帳らしいものがあったから書庫へ運び込んだんじゃ。何か残しておるやもしれんぞ、涼水!」


何やら恐ろしげなことが書かれているやもと不安感をさらに膨らませながら、同時に好奇心もやや顔を覗かせる。


「見てみよう、兄者!」

涼水は涼雲のあと追って書庫へ急いだ。

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