第5話 和尚の秘事 ①
「誰かある?」
昼過ぎ頃、紋付羽織を身につけ羽振りの良さそうな御仁が数人の使いを引き連れて本能寺正門から入ってきた。そして本堂前で大きな声で人を呼んでいるのが聞こえてきた。
ちょうど本堂内で写経中だった数人の僧の中で、『下っ端はお前じゃ』という空気がサッとみなぎる。そして涼水が席を立って、障子を開けた。
「あ、七兵衛様、ようお越しくださいました」
「おう、小僧。少し見ぬ間にすっかり作務衣がよう似合うようになったわ」
七兵衛は名主らしく威風堂々としていたが、嫌味がなく清々しい男だった。
その七兵衛は涼水が見習僧となったばかりの時に顔を合わせていた。涼水は、自分みたいな小僧のことまで覚えていてくれたことに素直に嬉しかったが、七兵衛の笑みを見た時いつか行商人の由兵衛から聞いた話が頭によぎってぎこちない作り笑みになる。
「有難うございます。本日はどういった趣で?」
「おう、和尚はおるか? 先日、妻を娶ったでなぁ、寺請証文をもらいにきたのよ」
「はぁ、そうでありましたか。それはそれは、お日柄もよく、おめでとうございます」
涼水は深々と頭を下げた。
「それではそれがしがご案内致しまする」
「おう」
涼水は本堂の縁側の渡り廊下を通って、奥ノ間にいる和尚の下へ案内した。
「和尚様。堀井門七兵衛様をご案内致しました」
すると、襖のうちから声がかかり、襖を開けると七兵衛は使いの者から大風呂敷を受け取って中へ入った。使いの者はここまでで、引き返していった。
「あぁ、七兵衛殿! わざわざご足労ですな……」
涼水は襖を閉めた。涼水はそのまま台所へ行き、湯を沸かすと粗茶を用意しながら、さっきよぎった由兵衛の話を思い出していた。
七兵衛はやはり、名主らしく、一廉の人物に見え、由兵衛のいうような怪しい人物像とは程遠いように思われた。
身にまとう爽やかな空気感は演技で身に付くものだろうか。ケチな人物像なら、それが空気感として発せられるものじゃないか。
それどころか、パリッとした紋付羽織に分厚い胸板が凛々しく、それでいて嫌味のない涼やかな風貌が印象に残る。
まさに『名主』の威厳が備わった人物で、とても由兵衛さぁがいうような怪しいスケベェには到底思えなかった。
グツグツと湧き立つ湯で茶を入れて盆に載せると溢さないように慎重に奥ノ間へと運んでいった。
奥ノ間の前に着くと膝を折、盆を一旦廊下に置くと、サッと襖を開けた。
「あ!」
思わず、涼水は声を上げた。
涼水はいつもの悪い癖で声をかけずに襖を開けてしまったのだ。
すると和尚が目の前に風呂敷をさっと包んで表情を豹変させた。
そして怒りの視線を投げつけた。
「これ! 涼水! いつも開ける前に声をかけるよう言ってあるじゃろうに! お茶を置いてさっさと閉めよ! 愚か者」
「は、はい! 申し訳ございませぬ」
サッと頭を下げて謝罪しようとした涼水だがその際にギョッとするものが目に飛び込んできた。
一瞬動きが止まってしまったが、内心仰天していることを和尚と七兵衛に悟られないように、何事もなく、何も見ていないかのように必死に振る舞った。
そして、お茶を置くと逃げるようにして奥ノ間を後にした。そそくさときびすを返し、盆で顔を扇ぎながらブツブツと声が漏れる。
「なんじゃったんじゃ? あの山のような小判は?」
和尚は一体あのようなものを受け取ってどうするんだと疑問を抱く。あれだと、人の良さそうな名主の七兵衛様を何かしらの理由に強請っている悪徳坊主にしか見えない。
いやそうではなく、何かの寄付かもしれない。
自身が知らないだけで名主とか名のある人物から高額な寄付がこれまでもあったのかもしれない。
それとも何か別の理由があったのか。どうやら和尚の秘事を目撃してしまい、涼水は動揺の色を浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます