第4話 本能寺の朝
*
「また出たっちゅうんは、まことか兄者」
涼水は、兄の涼雲と本能寺の本堂前の広場にいた。
朝の日課である掃除をしていた時、胸のうちの不安を吐き出すように涼雲に駆け寄り疑問を投げかけた。
「誰かの悪行を嘆いているんじゃろうかぁ。そういえば宗鑑様が『でたぁ』とか訴えて以来、ようでるようじゃのう」
涼雲は全く信じていない様子で、竹ほうきではきながら、茶化して言葉を返す。涼水は最近、寺内で妙な噂になっている事変を聞きつけた。
本能寺ではたびたび盗人に入られた事から、毎夜寝ずの番を二名当番制で見習い僧の中で回していた。
ただ、盗人が入ったにしては特に被害があった話は聞こえてこない。
一ヶ月ほど前か、そろそろ二十歳になろうかという見習い僧の宗鑑様が寝ずの番の時何かを見たとか。
翌朝、宗鑑様の様子は尋常ではなかった。ちょうど兄涼雲と掃除に向かう途中にバッタリ出くわした日のことだと今更ながら気がついた。
夜半、本堂で勤学に励んでいた宗鑑様だが、その本堂の建物の奥の渡り回廊先の常ノ魔の離れ間から女の啜り泣く声が聞こえてきたという。
涼水ははじめ、作り話じゃと決め込んで相手にしなかった。
ところが、その後宗鑑様以外の兄僧達も聞こえたとか不安な声が聞こえてくる。
それに数日前か、変な夢にうなされたこともあって、『亡霊なんていない』と笑えなくなっていた。
それ後も奇怪な噂が後を絶たず、それどころか、二日ほど前に噂の発端だった宗鑑様自身が、名主の七兵衛が寺請証文をとりに来た日に本能寺から出奔してしまった。
本能寺の僧達の間ではいよいよ亡霊騒ぎはまことじゃと、噂し始めた。そんな中、ついに涼水の当番を迎える日が回ってきて、不安な朝を迎えていた。
「宗鑑様が見たのは本物の幽霊じゃっちゅうことかのう?」
涼雲は怖がる涼水を嘲笑いながら、
「いやぁ、嘘か……本物か、芝居かのう……」
「うん? そりゃあどういう事じゃ? 兄者」
涼雲はサラッと言葉を変える。
「あ、いやいや、幽霊を見たんじゃろう。翌朝、和尚様へ『女の亡霊が出た』といつになく取り乱しながら訴えとったしのう。そんなたわいもない世迷言を和尚様は酷い怒りようでのう。宗鑑様は怒鳴られて叱られとったわ」
涼雲は宗鑑様を嘲ったような笑みを口の端に浮かべている。
涼水は、涼雲と同じく、和尚様の反応に違和感を感じていた。
普段、温厚な人柄で滅多なことでは感情的にならない和尚様が『酷く怒る』というのは確かに珍しくはある。
「寺に女子が化けてでたとあっては恥じゃと、和尚様は思ったんじゃろうか……」
「それもそうじゃなぁ……、あははははは」
涼雲の笑いは何か別の事情を裏に隠しているような含み笑いのように聞こえ、涼水はやや不快に思う。
「なんじゃ、兄者! なんか知っとるじゃろう?」
涼雲はもはや含み笑いを隠せないようで、半笑いで明らかに無理やり話題を変えた。
「はぁはぁ……わしゃあ、これ以上何も知らん。宗鑑様が出奔したんは幽霊が関係するのは確実じゃろう。そういやぁ、宗鑑様が出奔した日、お主が七兵衛様を案内したんじゃろう? ——————は? なんじゃ、そのとぼけた顔は?」
「そういえば案内したのは……わしじゃった。あっ」
涼水はすっかり忘れていたが、奇妙な光景を目撃したことを思い出した。
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