第4話 オッサン、淫らな妖獣と戦う
さて、肉屋のバドシール、最後の冒険のお話だ。
お前らもオヤジさんもおっかさんも知らないだろうが、この村を、とんでもない怪物が焼き払ったことがあったんだ。
キマイラって知ってるか?
頭から前脚まではライオン、そこから後ろの胴体はヤギ、龍の尻尾と翼を持ってて、空を飛んでは火を吐く。
こんなのがやってきて、家も作物もみんな焼いちゃったんだよ。
残ったのは、せいぜい畑の中にある掘っ立て小屋ぐらいさ、人なんか住めやしない。
そんなわけで、あの金持ちなんか、手元に残った金を抱えて真っ先に逃げ出したね。
ほかのみんなも、命あっての物種とばかりに、さっさと出て行っちまったのさ。
村には誰もいなくなった、何にもなくなった。
何のつもりか分からないが、居座ってるのはキマイラだけだよ。
だから、誰も寄り付きゃしない。
こんなのがいたんじゃ、この国からも人が出て行っちゃうかもしれない。
国境だから、隣の国からモノが入って来ない。兵隊を使わずに兵糧攻めができるってわけさ。
王様も困ってね、誰かキマイラを倒す者はいないか、ってお触れを出したんだよ。
腕自慢、力自慢の男や、立派な鎧に身を固めた騎士が名乗りを上げたけど、逃げ帰ったり、殺されちゃったりでね。
誰もがすっかり諦めかけたころだった。
何のつもりか、やってきたんだよ……肉屋のバドシールが!
もう、すっかり日が暮れていた。
細い月の下、荒れ果てた村の乾いた道を、干し肉のいっぱい入ったを籠をかついでバドシールはやってきた。
その後を、足音もたてずについてくる者がある。
振り向いてみると、きれいな女だ。
これが、鈴を転がすような声で尋ねてくるんだよ。
「お背中にあるものは何ですか?」
「干し肉だ」
「分けてくださいな、お腹が空いて死にそうです」
「売りものだ」
「お代は後で」
振りかえりもせずに放ってやると、ペロリとひと呑みして、また聞いてくる。
「お名前は何とおっしゃいますか?」
「知らんでもいいことだ」
「では、お背中のものをもう少しくださいませ、お代は後で」
また放ってやると、また、ペロリとひと呑みして、今度はひと回り大きくなった。
今度は、他のことを聞いてくる。
「お腰のものは刀ですか? 剣ですか?」
「知らんでもいいことだ」
「では、お背中のものを残らずくださいませ、お代は……身体でお支払いいたします」
子どもにする話じゃあないって……だったら帰んな。
バドシールは、さっさと逃げだした。
純情だったからじゃない。
女の口は、大きく耳まで裂けていたのさ。
干し肉に向かって伸びた手に、バドシールは牛刀で振り向きざまに斬りつける。
それでも女は怯まなかったから、籠を放り出すと、掘っ立て小屋の中に駆け込んだ。
女の顔はライオンに変わり、干し肉を籠ごと呑み込んだ。
身体はむくむくと膨れ上がって、龍の翼と尻尾が映えたかと思うと、服は裂け飛んでヤギの身体が現れた。
そう、女はキマイラだったのさ。
腕自慢、力自慢の男は色気に迷って、籠の中の干し肉みたいにペロリと呑み込まれちまったんだろうさ。
気高い騎士サマはそんなものには惑わされなかったろうが、女は大事にしなくちゃと思っちゃったのが運の尽きだったというわけさ。
空飛ぶキマイラに、真っ向から火を吐かれちゃひとたまりもない。
バドシールの隠れた掘っ立て小屋なんか、あっという間に燃え上がった。
でも、消し炭になっちゃったら、キマイラも食いたくはなかろうよ。
ちょうどいい焼き加減のところで、掘っ立て小屋の壁を破って、鋭い爪の生えたライオンの前脚を突っ込む。
だが、その身体はぷうっと膨れ上がった。
そこで焼けて崩れた掘っ立て小屋から姿を現したのは、キマイラの前脚に口を当てて、頬を膨らませたバドシールだ。
知ってるか?
肉屋はね、豚を丸ごと茹でると、皮に小さな穴を開けるんだよ。
そこにぷうっと息を吹き込むと、肉と皮がきれいに離れるのさ。
バドシールは、さっき牛刀で斬りつけた傷口から、これをやったってわけだ。
キマイラは龍の翼をばたつかせて、バドシールごと空を飛んで逃げようとする。
でも、遅かった。
炎にあぶられて、空気の入った身体はどんどん膨れ上がり、とうとうパチンとはぜてしまった。
後は、燃え上がる掘っ立て小屋に落ちた、キマイラの丸焼きの出来上がりというわけだね。
それをバドシールがどうしたかって?
……あ、もう帰る?
もう、夕ご飯の時間だからね……食べられそうにない?
ちゃんと食べないと大きくなれないぞ!
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