4 森の中へ

 小学校の高学年頃になっても、私とおばたちとの付き合いは続いていた。

 私は小学生の頃、漫画を描くことが好きで、よく自由帳にそれを描いては、クラスメイトたちに見せていた。なかなか好評で、よく読まれていた。

 実際に好評だったのだろう。クラスメイトたちが私に気を遣う必要などなかったからだ (それに彼らはまだ小学生だったのだ) 。

 他にもカード・ゲームを作って、クラスの皆で遊んでいた。当時流行っていたカード・ゲームを真似て作ったものだ。

 それもけっこう好評で、他のクラスの子たちも私のカード・ゲームで遊んでくれていて、子供心ながらに感無量だった。

 「自分は自分の能力を使って、誰かを喜ばせることが嬉しいんだ」と思った。


 ある日おばと二人で、町を歩いていたとき、小さな画材屋に入った。

 そしておばは私に、画材セットを買ってくれた。

 本格的な漫画を描くものだった。Gペンや丸ペン、インクにスクリーントーン、原稿用紙など、一通り揃っていた。かなり値の張るものだったのだろう。

 私はなんとなく手をつけられず、それを自宅に保管しておいた。

 おばの家にいたときも、私はよくおばに自分の描いた漫画を見せていた。よく褒めてくれた。

 ある日おばが、何か紙片を私に渡した。

 そこには、漫画の新人賞の応募事項について書かれていた。

 「そこに送ってみたら?」とおばは私に笑顔で言った。

 おばは、私が漫画家になりたがってると思ったのだろう。そのときおばは、私の背中を押してくれたのだ。

 私は確かに漫画家になりたいと思っていたのだが、一方でそんなものに自分がなれるわけないとも思っていた。だからその新人賞に漫画を送ることもなかった。

 実際その後、私は漫画家を目指したのだが、挫折した。

 一瞬、「光が見えかけた」と思ったが、病気やら何やらが重なり、その道は閉ざされた。

 愚痴みたいだが、私の人生はいつもそうだ。光が見えたと思えば、いつも閉ざされる。夢にしても、恋にしても。

 あるいはこれも因果応報なのかもしれない。

 私はこれまでに、誰かの恨みや憎しみをあまりにも買ってきたのだろう。



 先にも述べたが、私の母親は、私が小学校の中学年ごろに家を出て行った。

 私と弟は父親に引き取られた。父は裁判で、私たちの親権を得た。父のほうが、稼ぎが安定していたからだろう。

 私も父親に引き取られるほうがよかった。私は母よりかは父のほうがまだ好きだったし、それに転校して、友人たちと離れ離れになることも嫌だった。姓が変わるのも、違う土地に行くのも嫌だった。

 とにかく、変化を望んでいなかった。変化が恐ろしかった。

 母親がいなくなったことで、私は少なからず動揺していたが、それと同じかそれ以上に、ホッとしてもいた。

 母はよく私に辛く当たっていたからだ。今から思えば、あれは躾というよりかは、それを口実に私で鬱憤を晴らしているかのようだった。

 だから私は、母よりかは父のほうがまだ好きだったのだ。

 しかし、母親が家を出て行ったあと、今度は父親がそのポジションに成り代わった。

 ようするに父親が私に辛く当たりだしたのだ。それはほとんど虐待めいていた。

 父はおそらく、仕事上のストレスを私で晴らしていたのだろう。攻撃性の置き換えだったのだろう。平たく言えば、八つ当たりだった。

 今までは、父の鬱憤を母が受けていた。その母がいなくなったことで、今度は私がその役割に回されたのだろう。

 そして私は、誰でその鬱憤を晴らしていたのか?

 弟だった。

 私がもし、体格が良く強気な性格であれば、たぶんクラスメイトのうち、弱そうな誰かをいじめていたのかもしれない。

 しかし私は小柄で臆病だった。だから私の怒りと憎しみは、弟に向けられることになった。

 さらに私は以前、弟が彼の同級生たちにいじめられていたとき、それを見て見ぬ振りをした。私はそのとき逃げたのだ。

 私はそのとき、罪の意識を覚えた。とても深いそれを。その頃の私は、ある意味で純粋だったのだ。

 そして、二度とそれを感じないために、私は弟を徹底的に憎むことに決めた。「弟を憎んでいるのであれば、弟を守る必要などない」という理屈だった。

 弟を憎むことに対しても、罪の意識はあった。しかしそれ以上に、弟を憎むことで、彼を守れなかったことの罪悪感から逃れることのほうが、私には大事だった。そして「彼をこの先、守らなければならない」という義務から免除されることのほうが。

 私は上記の理由から、弟をいじめ抜いた。弟の菓子を私は奪い、私の友人が家に遊びに来たときや、一人になりたかったときは、弟を外に追い出した。ムシャクシャしたときや、友人を威嚇したかったときは、弟に暴力を振るった。

 その後、私は中学生のとき、ある出来事がきっかけで、それらの行為に疑問を覚え始めた。「自分はマシにならなくていけないのではないか?」と思った。

 そして高校に上がった頃、私は弟をいじめることも憎むこともやめた。

 しかしその頃には、私と弟の関係は破綻をきたしていた。修復不可能なほどに。

 今では私は、弟にほとんど会っていない。

 私は未だに、彼にあの頃のことを謝れずにいる。

 それにその謝罪は「偽善」に過ぎないだろう。なぜならその動機は、「私が楽になりたいから」だからだ。「罪の意識から逃れたいから」だからだ。

 あるいはそれは、合理化に過ぎないのかもしれない。つまりは、言い訳なのかもしれない。

 要するに私は、怖いだけなのだろう。


 私には、自分の家族から学んだことが二つだけある。

 一つは「誰かが、憎しみの連鎖を止めなくてはならない」ということだ。

 二つ目は「憎しみを引き受けた者は、それが暴発しないように (つまりそれが、犯罪や自殺の動機にならないように) 、うまく解消する術を身につけなくてはならない」ということだ。

 その鍵はおそらく、「自己実現」と「昇華」だろう。

 よく誤解されているが、自己実現とは「なりたい自分になる」ことではなく、「自分自身になる」ことだ。自分自身のネイチャーを見つけ、それを開拓・追求することだ。



 小学校の高学年ごろから、私は酷い孤独感に襲われるようになった。

 というのは、「私は、おばの子供ではないんだ」と考え始めたからだ。「おばたち一家の人間ではないんだ」と。

 それは、昔からわかっていたことだが、頭ではなく心で認識したということだ。腑に落ちたというか……。

 「私は、おばにとっての一番にはなり得ないんだ」と思った。

 私が何かで困ったときも、おばは自分の子供たちを優先する筈だ。私は所詮、他人の子供でしかないのだ。

 究極的には、おばやおばたち一家は、私を守ってはくれないだろう。私のことを見捨てるだろう……。

 その頃の私は、白黒二極思考だった。全か無、1か100しかなかった。私はまだ中間点を、曖昧さを、グレー・ゾーンを捉えることができなかった。

 仮に捉えることができたとしても、それを受け入れることはできなかっただろう。

 そのときから、おばたちは私の安全基地ではなくなった。私の心の支えでは。

 私とおばたち一家の関係は、その頃から徐々に疎遠になっていった。


 私は、悪い友人たちと付き合うようになり、悪さをするようになった。

 私は、強さが欲しかった。

 強さがあれば、自分自身を守ることができるからだ。

 そして悪友たちの中に身を置くことで、私は強さを手にしたのだと錯覚した。

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