第8話 白い街並み。

「アルシェード家やリンデンバーグ家の様子はこちらでも探っておこう。特に、君のお父様、アドルフ様がどうお考えなのか。それを知りたいな」


「はう。ギディオン様……。うちの父はわたくしのことなんて……」


 体面を保つためだけに利用しているだけで、あたしのことなんかどうとも思ってないに違いないもの。

 父が愛しているのは妹のマリアンネ。

 彼女が甘えた声で父アドルフに擦り寄っている姿も。それを喜んでいるふうに見えた父様も。

 あたしの瞳には何度も何度も映っていた。

 子供に甘えられて嬉しくない男親はいない。

 そういうふうに思えばそれはそうなんだろうけれど。

 あたしにはそんな態度を示してくれたこともない。

 お母様が亡くなった後、あたしが寂しくってお父様のおそばに行った際。

 お父様はあたしを避けるように離れていってしまった。

 マリアンネには普通に抱き上げてあげたり頭を撫でてあげたりするのに、あたしはそういうこともされたことがなかったから。


 あたしはずっと、愛されてはいないのだ、と、そう思って過ごしてきた。


 父様はあたしのことなんか視界にも入っていない。

 ううん、きっと嫌われてるんだ。

 自分の政治的な利益のためにあたしをパトリック様の婚約者に押し込んだけ。

 それなのに。

 今さらあたしが彼の元から逃げ出したいだなんて言っても、聞いてくれるわけはない。

 うん。そうに違いないから。



 準備ができたのでギディオン様とあたしはジャン・ロックの店に向かうことにした。

 商業区の奥、ガラス張りの高い天井が覆う高級な商店街の地区にその店があることは、もうギディオン様の調べでわかっていた。


 紋章付きの馬車ではベルクマール侯爵家だとバレてしまうから、黒塗りの飾り気のないお忍び用の馬車を使う。

 向かい合って、あたしの目の前に座るギディオン様。

 あたしのことがバレたあとも、バレる前と違わないほんわりとした笑みでこちらを見てる。


「ギディオン様は、わたくしの魔力に気がついていたのですか?」


 これは聞いてみたかった。ただの平民だとは思われていなかったのかどうか。


「君の魔力は温かく、優しくて心地よかったよ。どこかの貴族の血縁者ではあるのだろうと思っていたけど、まさかセリーヌだとは気が付かなかった」


 はう。


「どうして!? どうして何も言わずに優しくしてくれたんですか!!?」


「うーん。君が悪い子には見えなかったからね。何か事情があるんだろうとは思ったけれど」


 そういう彼の顔には嘘はない。そう確信できる。


 はじめて、かもしれない。

 なんの利害関係もなく、ただただ純粋に好意で優しくしてくれたっていうの? そんなの。

 貴族の血を引く者が、それも多分魔法が使える人間が街中で普通の平民のふりをして暮らしている。

 そんなの普通の人なら「怪しい」って思うかも。

 なのに。

 彼はそれを咎めることも調べることもせず、優しく見守ってくれてたんだ。

 そう思うと、なんだかとっても心が温かくなる。

 あたしがセリーヌであってもセレナであっても、きっとこの人は変わらないんだろうなって。

 そう思えて、嬉しかった。




 白い煉瓦の街並みを馬車が進む。

 ガウディ程ではないけれど、商業区には一通りの商店が揃っている。

 やがて道は馬車がちゃんと往来できるだけの広さがあるのに、天井に綺麗に彩られたガラスが嵌め込まれた屋根付きの高級商店街の地区に差し掛かった。

 商業区は南の方に行けば行くほど平民用のお店になり、北側、貴族街に近い方はわりと高級なお店が立ち並んでいる。

 こうした屋根付きはかなり北の奥の一部だけだけれど、日光を完全に遮ることなく幻想的な雰囲気を醸し出しているこのガラスの屋根は、行き交う人々にもここが高級な地区だというのを示しているようにも感じて。

 お店もお店で、宝飾類や衣装などのお店は間口も狭く、一般に広く販売しているという雰囲気でもない。

(こんなところにお店を出すなんて……)

 ドーナツってあたしの中では割と庶民的なイメージがあった。

 まあ、この世界では少し裕福な余裕のある方向けではあったけれど。


 それでも。

 こんなに人通りが少ないところで、ドーナツが売れるんだろうか?

 それがちょっと気掛かりで。



 お店はガラス張りの、なんていうか全体がショーウインドウのような雰囲気で。

 窓という窓にかわいらしく飾られた宝石のようなお菓子がいっぱい。

 まあこれは蝋細工かな。

 キラキラと煌めくようなケーキ菓子やドーナツにマフィン。

 甘く甘く、砂糖が粒になって輝いて見えるそんな。

 食べれないものだって頭の中ではちゃんとわかっても、それでも美味しそうに見えてしまう、一つの絵として完成されたデコレーションだった。


 その奥に見えるイートインスペースまでもが幻想的なお菓子の国に見えてしまう?

 なんだか今からあそこで食べるんだと思うとすこし恥ずかしい。

 だって、このデコの向こうに見えるんだよ?

 ショーウインドウの一部、夢の国の住人みたくみられちゃうかもしれないんだよ?

 うう。

 自意識過剰かもしれないけど、ほんとダメ。

 どうしよう。


「さあ、行こうか」


 優しくエスコートしてくれるギディオン様。だけど、なんとなく足が止まってしまったあたし。


「今なら人通りも少ないし、目立たないからね。君の髪をまじまじみられたら噂にもなりかねないし。さっと見て食べて帰ろう?」


 ああ、そうだった。

 髪の毛を染め直す時間は無かった。

 流石に魔法で毛染め薬が出せるだなんていえなくて、とりあえず帽子で隠してる状態だったっけ。


 カララン

 扉を開け中に入るとドアベルが鳴って店員さんがこちらに気がついた。

「いらっしゃいませ」

「こちらでお召し上がりでしょうか?」

 キラキラのショーケースの向こうから、そう声をかけられる。


「はい。食べていきます」

 ギディオン様がそうショーケースを覗き込みながら答える。

「ご注文をお伺いします」

 メイド服にカチューシャをつけた店員さんが、トレイとトングを持ってギディオン様の動向を注視する。

「じゃぁ、このシュガーとハニーのドーナツと、私は珈琲、君は紅茶でいい?」

「ええ、わたくしはミルクティーでお願いしますわ」

「ではそれで。あとお土産にハニーとシュガー、そしてナッツを二個づつ包んでください」

「かしこまりました」


 お会計も済んで席で待っているとやってきたトレイとお土産の袋。


「お待たせいたしました。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」


 そう礼をして戻る店員さん。

 所作も綺麗。

 どこかの貴族のお屋敷で働いていた人なのだろうか。そんな感じ。

 全体的に、お店にもお金がかかってそうだ。

 ちゃんとメニューもかかっていたけど、お値段的にはジャンが言ってた通りMr.マロンの二倍くらい。

 でも。

 あの店員さんのお給料だってお高そうだし、それにこのお茶もかなりの高級茶葉だ。ミルクも良いものを使ってる。

 ぜったい元なんか取れなさそうなんだけど?


「ふむ。やっぱり違うね」


「ええ、ギディオンさま」


 見た目は全く同じ。

 Mr.マロンとおんなじシュガードーナツとハニーグレーズ。

 でも。

 味は全くの別物だった。


「まずい、とまでは言わないけど、配合が違うのかな? このグレーズは」


「ドーナツの生地も、ずいぶん違いますわ。素材は高級なものを使っていらっしゃるのでしょうけど、味はわたくしはミスターマロンのものの方が好みです」


 グレーズも、粉糖も、あきらかに味が違う。

 それに。

 このグレーズにも粉糖にもあたしの魔力を感じない。

 あたしのポーション魔法で増量したグレーズとは明らかに違うのだ。


 でも、じゃぁ。やっぱり。


「ジャンは最初っからアランのドーナツを売るつもりは無かったんだろうね。取り上げて、出回らないようにするだけのためにあんなもっともらしい嘘をついたのか。そもそも借金だって架空のものだ。代金と相殺って言えばもっともらしいけれど、ジャンはこれっぽっちも損はしないのだからね」


「バカにしてるわ!」


「うん。本当にそう思う。帰ろうセレナ。私は君の魔力の籠ったハニーグレーズが食べたいよ」


 怒りに大声をあげそうになったあたしを宥めるように、優しくそうおっしゃってくれたギディオンさま。

 っていうかそれもバレてる?

 うーん。どこまでバレてるのかどうかはもうしょうがない。あとでギディオン様を問い詰めるとして……。


 うん。

 あたし、帰りたい。大急ぎで帰る。

 でもってロック商会に一矢報いたい。

 もう、ほんと、ゆるせない。

 アランさんが丹精こめて作ったドーナツを取り上げ、きっと全部捨ててしまっているんだろうジャンのことが絶対にゆるせないから。


 ♢ ♢ ♢

 帰ると決めたら早かった。

「君がセリーヌだったのなら、もう遠慮しなくても大丈夫だから」

 貴族の血族であったとしてもどこの誰かわからない平民セレナには見せられないけれど、セリーヌにだったら見せても大丈夫だから、と。

 背中に竜のような翼を纏ったギディオン様、あたしを抱き上げてそのまま空を飛んで帰るという。

 馬で帰るよりも圧倒的に早いし、尚且つ人目に触れることもない。

 馬車ならともかく騎乗では、どこに公爵家の目があるとも限らない街中を行くのは避けたい。

 そうおっしゃって。


 ふたりの身体がふわりと浮かぶ。

 これは……。

 あたしの風魔法と違って重力魔法かな。

 翼はもちろん風を切るためだろうけど、浮かぶのは重力に逆らって浮かんでいる感じ。


 もともとベルクマール大公家は、大昔に魔王を封印した勇者と、それを助けた帝国皇女の聖女によって興った家系。

 その後も何代も、定期的に蘇る魔王と闘ってきた歴史のある家だ。


 歴史書にはこう記されている。


 帝国暦2156年、当時のガイウス帝の治世に復活した魔王に立ち向かい、そしてそれを打ち負かし再度封印する事に成功した勇者オクタヴィアヌス。

 そして帝の妹君であった大予言者カッサンドラがその勇者に降嫁し、興ったのがベルクマール大公国とされている。

 その後、大公国は聖王国と名を変え、現代では帝国の一部となりしかしその地は今でも広大な大公領として栄えている。


 と。


 初代以降も何度も帝室との血の交わりを経て、今では皇帝の外戚として帝国内での影響力も強い。

 そんな家柄だ。


 当然、魔力も強く、古くから伝わる聖遺物アーティファクトも多く所有しているのだとか。



 風を切る。そんな言葉が似合うほどの高速で空をゆくギディオン様。

「ごめんね。ちょっと風が強いかもしれないけど」

 そう心配してくれた。でも。

「大丈夫ですわ。わたくしも風の魔法が使えるんですのよ」

 と、自分たちの周囲に円錐状の風の結界をはる。

 途端に鳴り止む風切りの音。

「ああ。これはすごいね。これならもっと速度を上げることができそうだ」

 笑顔でそうおっしゃったギディオン様。

 って、え? これでも加減してらっしゃったの!!?

 ギュン!

 ってスピードが上がるのがわかる。

 あまりの速度に目が回ってフラフラになっているあたしをそれでも優しくホールドしながら、あっというまに隣街の騎士団駐屯地に着地したギディオン様。


「着いたよ? ふふ。ちょっとだけ休もうか?」


「もう、いじわる。でも、ちょっとだけお風呂を貸してくださいませ。髪も染めないと帰れませんし」


「了解。っていうか君、毛染めを持ち歩いてるの?」


「魔法ですよ。原理は内緒ですけど」


「そっか。だから君の髪を触ると心地よかったのかもね」


「もう。ギディオン様ったら!」


 もう、ほんと、一層気安くなったのはまぁ悪い気はしないでもないけど、揶揄われているようでちょっとだけ心外だ。



「隊長、基地でイチャイチャするのはやめてもらえませんかね?」


 イチャイチャって、そんな!

 背後からいつもの部下さんが現れて呆れ顔でそう言った。


「ああ、ジーニアス。悪いね」


 あっさり肯定するギディオンさま?

 っていうかあれ、イチャイチャなの? あたしが揶揄われていただけじゃなくって?


「至急報告したいことがあります。ここではなんですので執務室にお願いします」


「わかった。すぐに行こう。レミリア、君は彼女を浴場に案内してくれるか?」


「はい。ではこちらへ、お嬢様」


 そばに控えていた女性の騎士様、レミリアさん? に、言われるままついていく。

 ちょっと足元もフラフラしてるし、お風呂でゆっくりさせてもらおう。

 ミスターマロンに帰ったら、新しい商品の提案もしなくちゃだ。

 もう、徹底的に抗ってあげなきゃ気が済まないもの。



 ▪️◾️▪️◾️▪️


「で、至急の話というのは?」


「はい。隊長。星闇の森に大量の魔獣が湧いた形跡があるとの報告が上がりました」


「ふむ。仕掛けに反応があったとそういうわけか」


「ええ。今斥候に調べさせていますが、どうやらまたスタンピードが起きそうです」


「よし。では斥候が戻り次第行動開始だ。各自、出撃準備を」


「了解しました。全員に通達します!」



 星闇の森は定期的に魔獣が湧く。

 しかしそれでも一度に大量に、というのはそこまでの頻度ではなかった。

 世界の亀裂、魔素が溢れる魔溜りが魔獣を産む根源ではあるが、通常であれば湧く魔獣も数体、魔溜りの浄化にも聖水で事足りた。

 しかしここ数年、その頻度が上がっている。

 数十年に一度であった魔獣の大量発生も、この数年のうちにもう既に二回起きている。

 今回が三度目だ。

 前回の討伐にはかなり苦戦を強いられた。

 そのため国には国営の聖女庁の創設と聖女の育成を進言していたが、それもまだ。

 錬金術師協会より大量の聖水を買い求め備蓄はしてあるが、それでも心許ない状態だった。


「帝国聖女庁に救援依頼を出しますか?」


「そうだな。魔溜りの浄化には聖女の魔法ほど効果のあるものはない。大至急救援要請を」


 とは言っても帝都からここまでには最速で来てくれたとしても丸一日はかかるだろう。

 それまではなんとしても持ち堪えなければ。

 そう決意する。


 ここで自分たちが負けるような事があったら、ガウディの街も、王都ガレリアも、ただじゃすまない。

 そして。

 魔溜りが浄化できなければ魔獣の大量発生も止められないのだ。


(せっかくセリーヌと会う事ができたんだ。今度こそ、あの子を守りたい。いや、守らなきゃいけないんだ!)



 ギディオンの初恋はまだ幼い頃。相手はもうリンデンバーグ公爵夫人となっていたセラフィーアだった。

 ませた子供だった自覚はある。

 それでも。

 その血に惹かれたのか、ひと目で恋に落ち。

 彼女が亡くなった後は悲しみに暮れ、帝都の貴族院に進学を決めた。

「ねえギディオン。わたくしの子、かわいいこの子を守ってあげて。お願いよ」

 それがセラフィーアの最後の言葉。

 傍で抱かれ、寝入ってしまっているセリーヌを守ってと言い残すセラフィーアに、首を縦に振ったもののどうすれば彼女を守る事ができるかもわからずに。

 ギディオンは帝都でおのれを鍛え、強くなることを望んだのだった。


 しかし。

 貴族院を卒業して帰国してみると、セリーヌはすでにほかの男のものになっていた。



 放心状態のまま騎士団に入り、せめてこの国を守っていこうと戦ってきたのだったけれど。



 やっと、あの人との約束を叶える事ができる。

 だから。

 負けるわけにはいかない。そう決意をあらたにした。



 ▪️◾️▪️◾️▪️



 お風呂もテントのような簡易な感じかなって思ってたけどそうでもないらしい。

 ほかの建物はそれこそ体育館のようなだだっ広いスペースを布で区切っていたり、簡易なテント張りの建物だったりといかにも臨時といった雰囲気だけど、お風呂場をはじめ調理場食堂とかそういった生活に密着した場所はきちんと煉瓦造りで建ててあるみたい。

 どうしてだろう。もう長年ここに騎士団は駐屯しているんだもの。

 ちゃんとした宿舎を建てればいいのに。

 予算の問題?

 そんなことを考えながら通路を歩くうちにあることに気がついた。


 って言うか、これ、破壊されたあとだ。


 もとはもっと立派な建物だったんだろう。それが、ここまで魔獣に攻め込まれたってこと?


 大規模な魔法で延焼したのだろう、焼け焦げ溶けてしまった痕のある壁。継ぎ足した天井、通路の痕。

 よくみるとそんな戦いの傷跡が垣間見える。



 それもたぶん数年前程度。比較的新しい。

 そうか。ここは復旧中なのだ。

 予算の問題か時間の問題か、それとも次の襲撃を見越してなのか、大急ぎで倉庫のようなだだっ広いとりあえず屋根があればいい程度の建物を継ぎ足して、そしてそこを布で区切って仮住まいとしてきたみたい。


 ギディオン様たちは、そんな大変な思いをしながら街を人を守ってきたんだな、そんなふうに感謝の気持ちが湧いてくる。


「こちらになりますわ。女性用はもとの人数が少ないので男性用の浴室よりは狭いのです。すみません」


 レミリアさんが案内してくれたのはそんな女性用浴室の脱衣所。

 四人ほどが一度にはいれるのかな。脱衣籠の棚が四つ。ドレッサーもちゃんとある。

 奥の扉の向こうが浴室かな。


「今は誰も使ってませんね」


 籠に誰の衣服も入ってないのを見てレミリア。


「訓練中でもどうしても体を流さなければいけない時もありますからね。途中で誰かが入ってくる可能性はありますが、いちおうこの扉にはマジックゲートが仕掛けてあって、許可なく男性が入れないようになっていますのでご安心ください」


 うん。まぁ。大勢の男性が勤務する場所だし、そう言う工夫も必要だよね。

 なんて説明を聞きつつちょっと安心もして。


「ありがとうございますレミリアさん。じゃぁちょっとお風呂お借りしますね」


「はい。ごゆっくり。お出になったらロビーでお待ちください。ギディオン様に連絡がいくようにしておきますね」


 通りにあったロビー。

 一応あそこが玄関口なのか。

 今まで、まともに玄関から入ったことも出たこともなかったから。

 ソファーがいくつかあったし、一応面会の人があそこで待ったりするのかな?

 そうだよね。普通は一般人が勝手にうろついて良いわけない施設だものね。

 と、最初の日のことをちょっと反省する。あの日は走り回ってなんとか抜け出したけど、あまりよろしくなかったんだろうなって。



 レミリアさんが居なくなったところでおもむろに服を脱ぐ。

 そう言えばこの黄色のワンピース、かわいいけどどうしよう。

 アデライア姉様のお古だったよね。姉様はもう嫁いで王太子妃になってるしこれはもう着ない服だから大丈夫、ってギディオン様言ってたけど、この格好で帰ったらアランさんびっくりするかな? 流石に上等なワンピースだもの。どこぞの大店のお嬢様って雰囲気あるしね。


 でも服を取りに帰ってる余裕なかったしなぁ……。

 新しい平民用の服を買う?

 でもなぁそこまでの余裕もないしなぁ……。

 っていうか、平民用の服ってどこで売ってるんだろう?

 いくらくらいなんだろう?

 まだまだ知らないことがいっぱいだ。


 そんなことをつらつら考えながら湯船に浸かる。

 なんだか疲れた。

 リラックスしてお風呂に入ってるうちに、だんだんと心の中まで緩んでくるみたい。

 うとうと、と、寝てしまいそうになったところで悪寒がした。


 ゾクッ


 っとした感触が全身に走る。






 え!?

 何、これ?

 っていうか、何この大量の魔素!

 たくさんの魔力の気配!


 お風呂の温かいお湯が気持ちがよくて、心の奥まで溶けてしまいそうになっていたからだろうか。

 心の壁が少し緩くなっていたせいだろうか。

 離れた場所にあるだろう魔素を感じてしまったらしい。


 それにしても。


 これは多すぎる。


 魔獣の大量発生?

 うん、これはその可能性が高い。

 この駐屯所がこんな有様になったのも、同じような魔獣のせいだとすると……。


 大変だ、ゆっくりお風呂入ってる場合じゃないよ!


 あたしは急いで湯船から上がると、体を拭くのもそこそこに服を着る。

 まあこれくらいだったら魔法で乾かせそうだ。

 髪にも大急ぎで染色用のポーションを塗って、そのまま熱風を起こし乾かした。

 ドレッサーの鏡で確認して。うん。ちゃんと染まってる。

 普通の毛染めとは違ってあたしが染めたいと思ったところだけを染めることができるポーションだから、こういう時は便利かもしれない。


 脱衣所を出て大急ぎでロビーまで走る。


 ん?

 なんだかざわついてる?


 先日やさっきまでとは違う人のざわつき。

 訓練された騎士様たちは普段こんなにもザワザワとしないのかと思ってたけど、今はちょっと様子が違う。

 お風呂に入る前には感じなかった、緊張感みたいなものがピリピリくる。


「ギディオン様!」


 彼に、知らせなきゃ。

 ロビーに着くなりそう叫んでいた。どこにいるのかわからないけど、とにかく早くと焦って。


「どうした!? セレナ?」


 バタバタと駆けつけてくれたギディオン様。ごめんなさい。


「魔獣が来ます! 大量に。それと、その中の一匹はとても魔力が大きくて!」


 そう。大量の魔力の中に桁外れに大きな魔力の塊も感じていた。

 あれは、だめ。

 あれは危険すぎる。


「ああ。君にはあれを感じることができるんだね」


 そう言ってあたしの頭に手を置いて。


「落ち着くんだ。セレナ。いや、セリーヌ。今から私たちは魔獣迎撃に出る。君はガウディに避難してくれ。街にはこういう時のための結界もある。私たち騎士団が、必ず魔獣たちを打ちまかし、君らを守るから」


「いやです! あたしも連れてってください。ギディオン様だけが危険なめに会うのなんて、いや。あたしの魔力でギディオン様の役に立ちたいんです!」


「わがまま言わないで。君は魔獣と相対したことがあるのか? 確かに君は魔力量が多い。だけれど今まで実戦で使ってきた経験はないのだろう?」


「でも……、だけど……」


「困らせないでくれ。私は君を守りたいんだ……」


 あああ。だめ。

 悲しそうなお顔をするギディオン様。

 あたしは彼にこんな顔、させたいわけじゃないのに。


「わかりました。ごめんなさいギディオン様……」


「わかってくれて嬉しいよ。君を危険なめに合わせたくない。だからね」


「でも、せめて……。ねえギディオン様、ここには空になったポーション瓶はありますか?」


「ああ、出発前にも皆がバフ用の体力強化ポーションを飲んでいくから。空はあるはずだけれど」


「それをここに。お願いします」


「どうするっていうの?」


「あたしの魔力を込めます。あたし、ポーションが作れますから」


「そうか。うん。信じる。助かるよ」




 あたしの目の前にあつめられた空のポーション瓶。

 三十本くらいだろうか、それがテーブルの上にまとめて置いてある。それに。


 両手を翳し念じる。


 お願い、バアル。チカラを貸して、キュア。

 碧く清浄な光が舞い、金色の光がその中で踊るように震える。


 ここはギディオン様の執務室。

 人払いしてもらって、見ているのはギディオン様だけだ。

 やっぱり、普通は何もないところからポーションを作るだなんてできないらしい。

 ギディオン様は信じてくれたけど、他の人には刺激が強すぎるからって内緒にしてくれたのだ。


 碧い色に輝く水で瓶がいっぱいになっていく。そして。



「できました。ギディオン様。お願いです。これを持って行ってください。最上級の回復ポーションです。味も保証しますよ」


 甘いお味で飲みやすくしてある。

 市販のだとたぶん、薬効が高くなるほど苦くなるけどあたしの特製ポーションはそんなことにはならないから。


「ありがとうセリーヌ。うん。団員たちにも配布しよう。騎士団ガウディ駐屯支部ギディオン隊、出撃してくる!」


 ギディオン様、ポーション瓶を一つ取ると腰のポシェットにしまう。彼の合図とともに数人の団員が部屋に入ってきて残りのポーションを持ち出していく。


 おねがい。ポーションたち。皆を守って。ギディオン様を、守って。そう祈りながらその光景を見つめて。


 しばらくして。

 いよいよ出撃の刻限のようで、皆慌ただしく宿舎前の広場に集まって、雄叫びとともに出立して行った。


「ご武運をお祈りしています」


 あたしはそう彼らを見送る。


 ギディオン様からは、必ず街に戻るよう念押しされていたけれど。

 でも。

 でも。

 でも、ダメだ。


 安全なところで大人しくなんてしていられない。


 あたしは身体にアウラの風を纏い、ふんわりと空へと舞った。





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