第3話 夜の街灯り。

◾️◾️


 カーテンで仕切った廊下を闇雲に走り抜ける少女。

 まあそれでもそのまま行けば外には出られるし外にさえ出られれば街の城壁が見えてくる。

 街まで彼女の足で数刻かかるとはいえ、迷子になったり危険な目に遭うほどでもないだろう。

 そう考えそのまま見送るギディオン。


「いいんですか? 隊長」


 傍にひかえていた副官のジーニアスがそう声をかけてきたのに答えつつ歩き始める。


「ああ、ジーニアス。いいんだよ。怪我もなさそうだった。きっと衝撃で気絶しただけなんだろうさ」


「いえ、私が言いたいのは、あの少女、いかにも怪しいじゃないですか。それをこのまま放置してもいいんですか? って意味ですが」


「怪しい、かい?」


「あんな守りの魔法が宿った石、その辺の平民がそうそう持ってるものでもないでしょう?」


「まあ。確かに。お前には見えたかい? 彼女の魔力、魔力紋を」


「はん、そんなの隊長のドラゴンズアイみたいなアーティファクトでもなけりゃ見れるわけありませんよ」


「彼女の魔力紋な、虹色に輝いてたよ。特に強いのは青色だけれど、それでも全属性なのは間違いないな」


「っく! 全属性だなんて、そんな」


「そうだね。貴族の、それも高位の貴族にしか滅多に現れることがない全属性だ。あの子が貴族の血筋なのは間違いがないだろうね」


「じゃぁ尚更じゃないですか。隊長。そんな娘さん、このままにしておいていいんです?」


 ギディオンはその金の髪をさっと掻き上げ、副官のジーニアスに向き直る。


「あの子は悪い子じゃなさそうだったからね。正義感もある、いい子だよ。いろいろ事情はありそうだけどもうちょっと何をするのか見てみたくなった、かな」


「もう。隊長の悪い癖ですそれ。まあいいです。で、これからどうしますか?」


「そうだな。多分行き先はミスターマロンだろう。諜報部から誰か見繕って監視させてくれ。モックパンとの諍いも調べなければな」


「了解です。手配しておきます。それとあの荒くれどもですが、どうやら地下組織のバックラング一味の者のようです。一応圧力はかけておきましたがいつまでもつか……」


「ふむ。調べが済むまでは大人しくしておいてくれるといいけれど……」


「闇雲に組織を潰して解決する問題でもないですしね」


「まあ、そういうことだ。それでは頼んだよジーニアス」


「了解です隊長、任せてください」


 執務室に戻るまでの間にそれだけ話をし、ギディオンは自分の椅子にどっかりと腰掛けた。


(あの子……初めて会った気がしないんだけどどうしてかな……)


 子供の頃にでも出会っていたのだろうか? しかし……。

 赤毛で茶色い瞳。顔立ちは整っている。むしろ愛らしい。

 敬愛する彼女に似ているような気もするけれど……、と一瞬考え頭を振る。

 聖なる白銀の髪を持つあの人の血筋なら必ずその髪色も受け継ぐはず。それに、彼女の娘は一人だけだ。既に公爵夫人となって幸せな日々を送っているはず。こんなところにいるわけはない。


 そう、いるわけはないんだ。


 目を覆い椅子に深く沈み込んだ。




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 外に出るともう日が暮れるところだった。目の前には街の城壁が見えるからそこまで走って、って考えたところでまだ今夜の宿も決めていないのに気がついた。

 どうしよう。宿を決めてからの方がいいのかな……。

 そうも思ったけれどだめ。あんな状況で店主さんがもう営業をやめてしまったらそれこそおしまいだもの。

 ショーケースは壊れちゃってたけど、そこもなんとかするアイデアはある。

 だから。


 なんとかまだ城壁の門が開いてるうちに街にたどり着いた。

 これが閉まっちゃった後だと身分証だのなんだの調べられる。日中はそこまで厳しくはないけれど、夜の闇に紛れやってくる悪い人はやっぱり多い。

 元々この街の住人であればいいけれど、あたしみたいな旅行者は咎められ街に入れてもらえない可能性だってあったから、ちょっと安心して。


 そういえば、と、思うけど、騎士様はあたしのこと貴族かもって疑っていたのかな?

 あの守りの魔法のせいだろうか。

 まあ、しょうがないよね。

 今のあたしのこの喋り方や歩き方、醸し出す雰囲気まで貴族っぽくならないように気をつけてるし、たとえお父様や妹マリアンネや、ましてやパトリックさまと会ったってあたしセリーヌだと見破られない自信もある。

 顔は変えようがないけど人がその人を判断する場合の雰囲気とか見た目とか話し方とか、そういうものが今のあたしとセリーヌとして過ごしてきた十六年間とは全く違ってるから。

 周囲の侍女さんの前だって、あたしの地は見せたことはないはず。

 幼い頃に支えてくれていた乳母のマリーに徹底的に矯正されたから、それ以降は完璧な淑女を演じていたのだもの。


 だけど。

 その分、根無草なのも確かなことで。


 あたしをあたしだと認めてくれる存在がもうこの世界にはないんだって思うと、ちょっと寂しさも感じていた。


 すんなりどこか働き口が見つかれば、そこの従業員としての身分が手に入る。

 そんなふうに簡単に考えてたけどそれもなかなか難しいかもしれない。

 まあ最悪、冒険者登録に逃げるっていう手もある。

 冒険者であれば間口も広い。

 田舎からあぶれてきた人が都会で暮らすためにもまず働き口が必要だものね。

 そうじゃなきゃ人はどんどん地下に流れていっちゃう。

 治安もどんどん悪くなっちゃうから。

 そういう意味でも、冒険者ギルドっていうのはそういう無職な人の受け皿になっていたのだった。



 大通りをゆく頃には陽もすっかり落ちて、街は夜の風情を醸し出し。

 思ったよりもお酒を出す食堂が多いのか、街灯の明かりだけでなくお店の窓から覗く楽しそうな声に眩しい光。

 通りを歩いているだけで、そんな陽気な雰囲気が伝わってくる。


 1日の糧を得てこうして英気を養っているんだな。

 そう思うと微笑ましい。

 貴族の社会では考えられないけれど、あちらが毎夜、パーティで盛り上がるように、平民社会ではこうした酒の席が人々に好まれているのだなぁと、ちょっと感慨深い。

 前世の現代日本で溢れていたような娯楽はここにはない。

 人々の楽しみがこうした飲食に向かうのも、当たり前のことなんだろうなぁ。そう思って。



 マロンの前にたどり着いたあたし。

 その変貌ぶりに、ちょっと驚いていた。


 昼間見た時はおしゃれな喫茶店といった雰囲気だったのに、今は暖色の灯りに彩られた看板を掲げていて。

 窓から見える飲食スペースにもぎゅうぎゅうではないけれどそれなりに人がいて、食事にお酒に盛り上がっているようだった。


(はう。どういうこと?)


 そうは思ったけど漂ってくる美味しそうな匂いに負け、あたしは暖簾をくぐった。


「いらっしゃい! ごめんねお客さん、今カウンターしか空いてないんだ。それでもいい?」


 そう明るい声で出迎えてくれたおかみさん? そんな感じの女性。


 昼間の店主さんってどうしちゃったんだろう。そう疑問に思いつつ、あたしは勧められたカウンターの椅子に座った。



「さあ、なににするね?」


 そう明るい声で聞いてくれたおかみさん。

 でも?

 周りを見渡してもメニューらしきものが見当たらない。

 昼間来た時と一緒で、壁にも何も書かれていなかった。

 まあ昼間も目の前のマフィンとありそうなドリンクを注文しただけ。やっぱりメニューなんか無かったんだけど。


「えっと、メニュー、は?」


「はい? メニュー? あんたどこのお嬢さんだい? ここにはあいにくコックは一人しかいないんだ。肉か魚、スープにサラダ、ああもちろんガレットはつけるよ。夕食だしね。酒はエールに葡萄酒蒸留酒、ああお子様にはミルクだってあるけどね」


 と笑う。


 ああ。

 そっか。気が付かなかった。

 ここ、平民の街ではそもそも誰もが文字を読めるわけじゃない。

 読めてもごく一部の仕事で必要な文字しか読めない人だっている。

 だから、メニューってわざわざ文字にしておく習慣もないのかも?


「じゃぁ、おすすめを。それと、果実水はありますか?」


「ああ、じゃぁ今夜のおすすめ定食に、今日はゆず水があるよ。それでいいかい?」


「ええ、ありがとうございます」


「じゃぁまってな。アラン! おすすめ一つ入ったよ」


「おーマロン。ちょっと待っておくれすぐ用意する!」


 奥の厨房にそう声をかけるおかみさん。って、中からした声はあの真っ白な店主さんの声? でもってこのおかみさん、マロンさん??


 おすすめ定食はあっさりお魚の塩焼きにお野菜や鳥の骨とかをじっくり煮込んで出汁を出したらしいスープ、そんでもってなんの粉か不明だけど、穀物の粉を水で練って焼いただけのガレット。

 味付けは基本塩。

 ちょっと塩気があるくらいな感じだけど十分美味しかった。

 っていうか公爵家の料理に比べても塩気がある分美味しく感じた。

 きっと、肉体労働の人だったらこれくらいの塩分が必要なんだろう。そうも思う。


 お砂糖に比べたらお塩は安く出回っている。

 だからここまで使えるのかなとも思うけれどそれでも。


 そっか味付けはお塩だけなんだ。


 そうも思っちゃう。


 もうちょっと出汁が効いてたら、とか、香辛料があったらもっと美味しいのに、とかも思ったけど今日はそんな贅沢は言わない。

 勝手に味を足すのも、なんとなく失礼な気がしてできなかった。


「ごちそうさまでした」


 素直にそう声が出ていた。


「おー、あんたは昼間の嬢ちゃんじゃないか!」


 厨房から店主さんが顔を出して、あたしの顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。


「昼間はありがとうなぁ。嬢ちゃん、あんたは恩人だ。ほんと感謝してるよ」


 そういうとあたしの手をとってぶんぶん振る。おじさんなのに、なんだかその仕草がとっても無邪気で好感が持てる。


「オレはアラン、ミスターアランって呼ばれてる。でもってこれが最愛の妻マロンだ。これでも昔はけっこう名の知れた冒険者としてならしたもんだ」


「へえお嬢ちゃんそんなに小さいのにうちの旦那を守ってくれたのかい。ほんとありがとうね。この人そこつでね。すぐに喧嘩になるから危なっかしくてしょうがないんだよ。ほんと、感謝してるよ」


 きっぷのいい奥さん。でもよくみると美人さんで、若い頃はずいぶんとモテたんじゃないかってそんなふうにも思う。今だってすごく魅力的だし。


「あたしは芹那、セリナです。ここ、夜は食堂なんですか?」


「はは。セレナ? ちゃんかい。よろしくね。ここは昼間は旦那の趣味のお菓子の店。夜はめしやさ。正直なところ昼間はまったくの赤字だからねえ。こうやって夜も働かなきゃ暮らしていけないんだ」と、マロンさん。


「あの。あたし、このお店で働かせてもらうことってできませんか?」


「んー、でも夜はあたし一人でもお客は回せるし、ウエイトレスさん雇うほど儲かってるわけじゃないんだよね」


 そうあっけなく断られる。でも。でも、だったら。


「あたし、昼間のドーナツ屋さんを手伝いたいんです! ちゃんと儲からなきゃお給金は要りません! あんなわるいやつらのせいでこのお店が潰れちゃうの、許せないんです!!」



 最初はびっくりした顔をしてたアランさんにマロンさん。

 それでもあたしの顔が真剣だってわかるとまずアランさんが泣き出した。


「申し訳ねえ嬢ちゃん。オレは悔しいんだ。なんとかあのジジイを見返してやりたいけどこのままじゃジリ貧になるばっかりで……。あんたが手伝ってくれたからってどうとなるものでもないかも知れないが、もう少しだけでもあがきたい。チカラを貸してくれるのかい? ほんとうに申し訳ねえ……」


「ごめんねえうちの旦那、冒険者になる前に帝都の菓子屋で修行しててね。とらぶってそこ飛び出したあとも冒険者やりながら自分の店を持つのが夢だったんだよ。ほんとしょうがない旦那ですまないねえ。手を貸してくれるのはありがたいけど、あんたそれで困らないかい? 旅行者だって聞いたけど、泊まるところはあるのかい? あいにくうちにはベッドは一つしかない。どこぞのお嬢様だろうあんたを泊めてあげれるような場所もないんだよ」


 ♢ ♢ ♢


「いいじゃねえか雇ってやれよ」

「こんなかわいい嬢ちゃんが店に出るならおれっち毎日ここに通っちゃうね」

「昼間の菓子屋もうちのやつら気に入ってるって言ってたよ。応援しに通わせるからさ!」


 後ろで話を聞いてたお客さんたちがやいのやいの加勢してくれて収拾がつかなくなったので、話は店じまいしてからということになった。

 それでも結局あたしの熱意に負けて雇ってもらえることになったから良かったな。

 当面あたしはお店を閉めたあとのこの飲食スペースの隅で寝泊まりすることになった。マロンさんは「そんなの申し訳ないよ」って反対してくれたけど、あたしにとってはその方が都合が良かったりもしたので押し切った。


 アランさんが冒険者時代に使っていた寝袋をひっぱりだしてきてくれたのでそれを使って寝ることに。大きさとかも考えて一応マロンさんが使ってたらしい方を借りたんだけどね。

 あたしが試したいのは新しい美味しいドーナツを作ること。

 日本人芹那だった時代、高校生の頃バイトしてたドーナツ屋さんを思い出して。


 あの後アランさんに事情を聞いた。

 どうやらロック商会ってとこに騙されて借金してしまったってこと。

 それも、借りたお金の10倍で返せと言われたらしい。

 アランさん曰く、返そうと思ったら店もなんもかんも手放すつもりで売り払えばじゅうぶん返せるくらいの値段、なのだそう。

 暴利だと訴え出たけれど、契約書にそう書いてあると言われ役所は相手をしてくれなかったのだそうだ。


 お菓子を作る材料費ってこの世界じゃけっこう高い。

 お砂糖だって高価だし、小麦粉だって割と高くって庶民にはパンだってたまの贅沢なのだ。

 だから尚更ドーナツみたいなお菓子は贅沢品だって認識で。

 それでもここは場所もいいし、何よりライバルはモックパンくらい。まああちらは菓子パンの一部にドーナツやマフィンがあるくらいでそんなにチカラを入れていないって話だけどそれでもね。

 去年お砂糖がとんでもなく高騰する前はアランさんの努力もあってけっこうな人気店になっていたらしい。

 王都から貴族のおつかいも来たって話だったから。

 まあでもそれがモックパンを経営するロック商会にとっては目障りだったんじゃないかっていうのがアランさんの談。

 もうほんと嫌。そんなのにこのお店が潰されるだなんて、そんなのあっていいわけない。


 だからあたしは抗ってみたいのだ。

 ドーナツが多少売れたって儲けがそんなに出るわけない。

 1日100個や200個じゃ、しれてるよね。

 でももっともっと人気になったら?

 理不尽に潰されるのを周囲だってほっておかなくなるだろうし、なにより高価なお砂糖を使わなくても甘くて美味しいドーナツを作ることができたら、利益だってついてくると思うんだ。

 だから。

 ちょっと頑張ってみよう。そう思って。

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