第7話 煽り
スペースというのは、一種の音声チャットなので、
「集団が生まれる」
ということと、
「顔が見えない。匿名性になっている」
ということで、普通のチャットや、掲示板と変わりはないわけだ。
だから、気軽に仲間を作ることができるし、一歩間違えると、
「敵を作ってしまう」
といえるのだろう。
スペースをやり始めると、自分でも分かっていたことだが、嵌ってしまう。毎日のようにやっていると、まるで麻薬のように抜けられなくなってしまう。最初こそ、いろいろな人と話ができるのが楽しいということになるのだが、気が付けば、いつものメンバーで固まってしまうというのが普通になるのだ。
それは、
「安心感」
というのが、一番に来るであろう。
「元々、ツイッターというものをなぜ始めたのだろう?」
そう感じている人がどれだけいるだろうか?
いろいろなSNSの中で、一番気軽に始められるものではないかと思う。自分のページを作って、ただ、呟いていればいいだけだからである。
しかし、昔のホームページの時代を知っている人は、
「あの時代はよかったな」
と思うことだろう。
自分で好きなようにレイアウトをきめて、コンセプトによって、何でもできるからだ。
自称、
「素人芸術家」
なる人たちにとっては、天国のようなものだったのではないだろうか? 自分の作品をネット上で、公開できるものを公開すればいいのだった。
絵であったり、文章であったり、画像であったりを、公開し、
「作品発表」
というページにしてしまえば、どんどん、立派なホームページが出来上がり、それを見に来てくれる人とのリンクを貼ることで、お互いに、仲良くできる土台ができるのだ。
そうやって行き来しているうちに、友達が増えてきて、アクセスカウンターも増えてくる。
いろいろな感想を表現してくれる人もいると、励みにもなる。
そういう意味での掲示板というものではないか。それが、今のツイッターと同じだと思ってもいいだろう。
作品発表のサイトは他にもいろいろある。
「小説やマンガの投稿サイト」
「写真の投稿サイト」
などもあるだろう。
そこだけでは、掲示板の機能としては、そのサイトだけということになるので、他の趣味の人で頑張っている人とのつながりはまずないだろう。そうなると、ツイッターのようなSNSが、
「他種趣味の人たちとのコミュニティセンター」
という役割を果たしてくれるのだ。
そう思えば、
「SNSというのは、ホームページのリンクのようなもので、その機能をさらに、自分の趣味趣向にあったものだけに特化して繋がれるようになっているのが、ツイッターというSNSだ」
ということになるのだ。
SNSというのは、本当は、
「コミュニティだけが目的ではない」
ということなのかも知れないが、他のサイトやSNSとリンクを使ってうまく使えば、
「1足す1が2」
というような、単純なものではなく、
「3にも4にもなる」
ということなのであろう。
だから、最初は、
「SNSは、面白くない。昔のホームページの方がよほど楽しかった
と思っていたのだが、使い方によっては、昔のホームページほどの新鮮さはなくとも、自分で楽しみを見つけるくらいのものがあったのではないかと思うようになってきたのだった。
だから、
「SNSが多岐にわたっているということは、ありがたい」
と思うようになったのであって、作品発表の場の機械を、却っていっぱい作ってくれているように思う。
ただ、やはりオリジナリティの部分で、
「俺が作ったんだ」
という感はなくなってしまっていた。
だが、それは、新鮮さと、自己満足の世界であり、
「あるならあるで、これ以上の感動はないのだが、ないならないで、いかに楽しみを見つけるか?」
ということが一つだったのだ。
もちろん、メインの趣味があり、ホームページを作っての趣味の展開というのは、
「メインの気分転換でもあり、自己満足を持つことで、さらにメインの幅を広げることができる」
というものであった。
メインの趣味の気分転換という意味では、SNSのいろいろな機能を使っての気分転換もできる。
いろいろな人のところに回ってみるのもよかったし、他の人のところを見ると、結構絵を描いている人が多かったのだ。
「自分には、絵は描けない」
と思っていたのだが、その理由が分からなかったが、理由というほど真面目なものではなかったが、自分を納得させられる結論には至った。
それは、
「人物画が下手だ」
ということであった。
これは人に聞いた話であったが。
「風景画や人物画などいろいろあるけど、人物画だけは、才能やコツがいるのか、うまくなれない人はどうしてもなれないものだ」
と言われている。
つまりは、
「人物画というものが描けなくても、風景画だったら、何とかなるかも知れない」
ということであった。
それを聴いた時、ピンと来て、家の近くにある名所旧跡を巡って、写真を撮ってくるということをするようになったこともあって、その写真を元に、
「絵を描いてみよう」
と思い立ったのだ。
絵を描いてみると、意外とうまく描ける気がした。
「これだったら、公開しても恥ずかしくは会いかな? もし、何か言われれば、最近描き始めたと言えばいいんだ」
ということであった。
確かに、最近、描き始めたにしては、まあまあ描けていると、自分でも思うようになったので、それほど、嫌な気はしなかった。
「これだったら、大丈夫さ」
と友達も言ってくれたので、公開してみることにした。
この友達というのは、近くの写真を撮っていると、
「私もなんですよ」
と仲間意識からか話しかけてくれた人で、その人は写真をアップすることにかけてはベテランで。
「ネット上で、知り合った人も結構いるんですよ:
と、すでに、ツイッターにかなりの画像を上げていると、自分でも言っていたのだった。
「ネットで友達になると、オフ会といって、たまい近くの人同士で、飲み会などをもよおしたりしてね。近くだったら、馴染みも深いので、一緒に飲みに行ったり、たまに会ったりするのも、十分にありなんですよ」
というのだった。
さらに、最近、描き始めた絵を描いている時であっても、ボイスチャットであれば、意識せずに描き続けることができる。
これはメインの趣味ではできない。集中力を必要とし、特に会話を聴きながらなど、できるはずもないが、絵画ではできるというのであるから、気分転換に最適だというのも、無理もないことだった。
つまり、
「絵を描いていても、ボイスチャットをしていても、どちらにしても、気分転換にはなるというものだ」
ということである。
だが、果たして、
「絵を描いていなければ、ボイスチャットに辿り着けなかっただろうか?」
と思う時もある。
そもそも、絵を描いていたことで、そこに興味を持った人が、
「いいね」
という反応であったり、フォローしてくれたり、さらには、リツイートしてくれることで、拡散してくれたりと、自分の努力だけではないところから、反応が生まれ、自分という知名度が生まれてきたのだ。もちろん、それはサムという名前の自分であり、いわゆる、リアルな世界における、
「中の人」
ではないのだ。
その架空の世界での自分という存在が、実際にはいいのかも知れない。
自分が、架空の存在であるということを考えてみると、
「実際の中の人との違いはどこにあるのだろう?」
と考えるのだ。
そもそもツイッターというのは、前からあまり意識をしていなかった。
「なぜツイッターをするようになったのか?」
というと、ハッキリと理由は簡単で、
「人からかなり遅れ、ずっとガラケーを使っていたものを、最近になって、スマホに変えた」
ということが一番の、直接的な原因であった。
それまで、ケイタイというと、会社からの連絡機能であったり、
「いつどこから連絡があるか分からない」
ということでの、
「もしものため」
ということで、ケイタイを持っていたのだ。
メールをする相手もおらず、ましてや、電話で話す相手もいない。ただ、仕事の対応用に、ケイタイにエラーメールが飛んできたり、対応の際に、どうしても、声での連携が必要だったりと、どうしようもなかったからだ。
しかし、
「必要なことは、ガラケーでもできる」
ということで、別にスマホを持っていないといけないということはまったくなかったのであった。
それを思うと、これまでのマイナーチェンジを何度くりかえしてきたことか。実際にスマホというものが普及し始めてから、もう10年近くも経っているではないか。
一番の理由としては、
「スマホ代が、普通のケイタイ代よりも、倍はかかる」
と言われていたからだ。
基本料金が、ケイタイ代が4000円くらいであったは、当時スマホに機種変すると、
「一万円はくだらないのではないか?」
と言われていた。
しかし、それは、
「今は昔」
ということで、それから数年のうちに、あれよあれよという間にスマホの基本料金が安くなってきたのだ。
実際には、ニュースでも言っていて、前のソーリの時代に、肝いり政策として、確かに当時、
「スマホの値段を下げる」
という計画を話していたような気がした。
実際に、スマホの値段というのは、
「日本ほど使用量が高い先進国はない」
と言われていた。
理由に関してはハッキリとは知らなかったが、かつてのガラケーの時代であれば、日本も開発の先端を行っていたということであったが、これがスマホともなると、
「ガラケーに執着しすぎて、スマホ競争に乗り遅れた」
というのが真実のようだ。
「ガラケー」
要するに、
「ガラパゴスケイタイ」
と言われるように、古いと言われているが、
「その割に、十分な機能を備えている」
ということらしい。
だから、その神話に踊らされて、日本は、ガラケーの限界を見誤り、
「まだまだガラケーの会ア発でも十分にいける」
と判断し、気が付くと、スマホの開発という分野で、諸外国から一気に遅れを取ったということであった。
それが、直接の、
「スマホ料金が高額になっている理由」
ということに結びつくのかどうか分からないが、実際にはしょうがないことのようであった。
そんな時代に乗り遅れたことで、
「スマホ料金」
が高額になってしまったということなのだろう。
前のソーリの肝いりということで、
「なるほど、数年前からスマホの基本料金はどんどん下がり始め、一応の公約は果たしたということになるだろう」
という意味で、前のソーリは形だけでも、
「肝いり」
といえる公約を一つだけでも果たすことができた。
ただ、その前のソーリが、例の、
「疑惑塗れ」
と言われる人で、あの人は、
「ひょっとすると、公約をいくつか果たしているのかも知れないが、大風呂敷を敷きすぎたせいもあってか、まったく風呂敷の達成が伝わってこないことから、何もやっていないのではないか?」
と言われるのだ。
さらに、疑惑がすべてを打ち消し、
「他に誰も代役がいないから」
というだけで、ソーリを、戦後最長などと言われる称号にしがみつき、結果、そのしがみついた称号に達した瞬間、
「病気が悪化した」
とか言って、前回のソーリをやった時同様に、病院に逃げ込むという、無様な姿をまたしても国民に見せてしまい、デジャブを引き起こさせたのだった。
さらに、今のソーリはもっとひどい。
そもそもが、
「人間の器が小さい」
ので、疑惑があっても表に出てこない。
今まではソーリの力が強すぎたということで、結構強さが目立ったのだが、実際には、そのため、悪いところばかりが表に出ていたので、
「今度の人なら、悪いことはしていないだろう」
ということで、若手ということもあり、期待したのだが、それこそ、まったくの見込み違いであった。
最初こそ、かつての、
「疑惑ソーリ」
と言われた元ソーリの疑惑を
「政府が暴く」
ということwp公約に掲げて、総裁選を乗り切り、総裁となった後の、衆院選にて、与党が勝ったことで、晴れて、
「総理総裁」
ということになったくせに、その組閣において起用した議員というのが、
「名前も聞いたことのない人達ばかり」
であり、ほとんどが、副大臣だった人や、次官だった人ばかりだった。
それが、今までの、
「強い大臣がいることで、ソーリが身動きが取れなかった」
ということを払拭する政府だということで、国民にも受け入れられるはずだったのに、蓋を開けてみれば。その半分近くが、自分で、
「疑惑を解明する」
と言った元ソーリの派閥からの選出だった。
それを聴いたことで、国民の中には、
「どういうことだ?」
と、感じた人もいるだろう。
サムもそのうちの一人なのだが、実際にはそこまで、その時の国民は意識していなかったのだろう。それだけ、期待の方が大きかったのではないだろうか?
「選挙に通ったのは、元ソーリが、推してくれたからだ」
ということでの、
「お礼人事」
だったんおではないかということであった。
このお礼人事というのは、今に始まったことではなく、いい悪いは別にして、昔からあったことであった。
それだけに、国民も、
「最初だから、しょうがない。そのうちに、徐々にあの人の色を出してくるさ」
といって、まだまだ支持率も人気も絶大だった時期だったのだ。
しかし、そのうちに、それらの話も頭打ちしてくるようなことが続いてくる。
そのいい例の一つとして、就任から、半年もしないうちに、世界情勢が一変することが起こってきた。
というのも、
「かつて、連邦を築いていた超大国から、昔分裂した国が、反体制の同盟に加盟しようとしたことと、領土的野心というものもあって、その国を攻撃した」
という事件があったのだが、その行為を世界は侵略として非難した。
だが、そして、両国間では、戦争となり、攻め込まれた方は。反撃に転じていた。
しかし、日本という国は、本来は、
「有事のない国」
であり、攻撃された時だけの、
「専守防衛」
しかできないのだ。
だから、どんなことがあっても、
「中立」
というものを表明し、他の国のように、
「経済制裁」
などに加担してはいけないのだ。
しかも、その国に援助金を出すというではないか。
いくら侵略行為とはいえ、守る方の国も攻め込まれる前から、あからさまに戦争準備を進めていたのだ。だから、行為は侵略なのかも知れないが、実際には、ただの戦闘状態である。
ということは、日本はそれだけでも、中立を表明しなければならないのだ。
援助金などというのは、バカげたことであり、国内では、
「世界的なパンデミック」
によって、生活もできずに苦しむ人が、溢れかえっているというのに、何も見返りもない、第三国に、血税を無償で送らなければいけないというのか?
そんなことは誰が考えても分かることである。
その時点でも、まだ、このソーリの化けの皮が剥げなかった。そうなると、
「このソーリだけではなく、国民もバカなのではないか?」
と言われても、それは仕方のないことではないのだろうか?
そんなことを考えていると、
「もう、国家も国民も腐ってしまっていて、亡国へとまっしぐらなのではないか?」
と言われても仕方のないことであろう。
そんなことを考えていると、次第に、
「この人はやってくれると思ったのに」
と考えることが、果たして何度あり、ことごとく、裏切られてきたことか?
と考えるようにあると、
「ああ、そうやって考えると結果的に、どんどん最悪になっていくではないか?」
と考えるのだ。
そうなると、大げさに思えた、
「亡国」
という言葉も、まんざらではないと思えるようになるのだ。
本当に、この国はどうなっていくのであろうか?
実際に、
「この国がヤバイ」
あるいは、
「あのソーリは、やはりとんでもない」
とやっと国民が気づき始めたのは、例の疑惑だらけのソーリが暗殺された時だった。
最初は皆、
「この国で暗殺なんて」
といってビックリしたようだが、考えてみれば、この国では、それくらいのことが起こっても不思議のない国ではないか?
何と言っても、四半世紀とちょっとくらい前には、
「地下鉄サリン事件」
という、世界でもなかなか例を見ないと言われたテレ行為があったではないか。
それだけ今までが何もなかっただけで、警察の警備も、
「サルだった」
ということであろう。
暗殺の理由は、当初、犯人は、
「ソーリには関係ない」
といっていたようだが、実は彼も被害者で、ソーリや、さらには、与党の議員が、霊感商法などで、世間をずっと騒がせてきた、
「某宗教団体」
と結びついていることが分かり、政治家もボロボロ関連が出てきたことだった。
そもそも、地味な人にしたのは、そういう汚職に塗れていない人を扱うということを前面に押し出したことだったはずなのに、それが実は違ったということからだった。
しかし、問題はそのことではなかった。
なんと、このソーリが言い出したことが問題だったのだ。
あれだけ疑惑に塗れ、自分があぶり出すとまで言った相手に死んでまで忖度しようというのか、
「国葬にする」
と言い出したのだ。
「それだけのソーリだ」
というが、実際には、細かいことでは、法律制定などしてきたかも知れないが、実際には何もやっていない、ただ単に、
「他にやる人がいない」
と言われただけの、形だけの、
「通算、史上最長政権期間」
だったというだけではないか。
疑惑だって解明されたわけではない。最低でも疑惑を解消したうえで言うのであれば理屈が通らないわけでもない。しかも、その疑惑だって、自分が解明すると言っておいて、解明されるどころか、最初から何もしていないではないか。それこそ、重大な公約違反であり、国民を甘く見ているという証拠である。
さらに、国葬には当然のことながら、血税が使われるわけで、
「国民のほとんどが反対」
という世論調査が出ていたのに、強行したということがあったからだ。
まるで、国民の大多数が反対していたにも関わらず、
「安心安全」
だけを口にして、まったくその言葉のエビデンスもなく、オリンピックを強行したことで、2カ月後に、ソーリの椅子を負われた、前ソーリと同じではないか?
一つ違うとすれば、前ソーリの場合は、オリンピック開催から2カ月後に、総裁選。さらには、衆議院の任期満了があったということであるが、今のソーリの場合は、ソーリには幸せ、国民には不幸にも、衆議院の任期が3年あるということであった。
ただ、実際にソーリの支持率は30%近くまで落ち込んできたので、デッドラインに引っかかるのは、時間の問題だといってもいいだろう。
さらに、最近では、
「辞任ドミノ」
というのが働いているようで、
「1カ月で3人の大臣が辞職」
という前代未聞の不祥事が後押ししている。
こんな状態で、
「果たして、ソーリを続けることができるのか?」
ということであった。
もし、この期に及んで辞任を渋るようであれば、
まるで、赤ん坊のように、
「泣いてごねれば、大人は許してくれる」
とでも思っているかのように感じられて仕方がなくなり、そうなると、国民も本当に亡国を感じることになるか。初めて、この国の恥というものを、国の代表である、ソーリから思い知らされることになるというのを思い知ることになるかも知れない。
「考えれば考えるほど、情けなくなってくる」
と思い、サムは、ツイッターに、思いのたけを書き込んでしまう。
「本当に、どんどん出てくるものだな」
というほど、描きこむことになるのだ。
スペースとなると、さすがにここまでのことをいうと、引かれてしまうことが分かっているので、何とか、気持ちを抑えるようにしていたが、ひょっとすると、無意識のうちに呟いているのかも知れない。
ただ、ツイートではどうしても、過激なことを書いているにも関わらず、
「こんな俺がいても、皆着てくれるんだな」
と思っていると、何か、気が付けば、スペースが荒れてきているように思えた。
自分では、ツイートにおいて過激なことを書くくせに、気持ちを表に出してしまうと、スペースを無意識に荒らしてしまうという意識があるからか、一歩下がってみるゆにしていた。
そのせいもあってか、スペースで、変の盛り上がっているのを見かけるようになると、
「ああ、一歩下がって見ていると、全体が見えてくるんだろうな」
と、ツイートしている自分と、スペースをしている部分、そして、さらには、
「中の人」
というリアルな部分から、
「俺って三重人格なんだな」
ということで、多重人格だと思うようになった。
「ある意味、多重人格という方が楽で、二重人格という方が難しい」
と、スペースで小説の話になった時、誰かが言っていたのを覚えていたのだった。
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