第2話 SNSの時代

 そんな連中が、いなくなると、残ったのは、元から、作家になりたいと思っている人、本を出したいと考える人だけであり、実際に、紙媒体での本を出すことは、今まで同様、いや、世間の風潮もあってか、今まで以上に難しくなったといっても、過言ではないだろう。

 となると、ここから先は、別の方法で、

「生み出した作品を、いかに発表するか?」

 ということになるのである。

 そこで、出てきたのが、

「ネットによる、電子書籍化」

 の発想から、

「投稿サイト」

 というものである。

 一緒のSNSなのだが、自分で書いた作品を、投稿フォームから投稿するのだが、無料でできるところ、有料のサイトいろいろあるが、無料でも、結構な機能があったりするので、特に今まで、

「お金を出させて、本を出版」

 という当たり前のことを、詐欺でやられたことによって、どうしても、有料というものに、抵抗感を感じるのは、無理もないことだろう。

 詐欺の被害にあったわけではない人でも、心の中にトラウマのようなものを抱えてしまうというのも、無理もないことではないだろうか。

 そんな投稿サイトに移行するのは、詐欺商法が発覚し始めていた、

「自費出版社系」

 が、いよいよ危ないと言い始めたことだろうか。

 出版してしまった人にとっては、そう簡単に移行できるものではない。何しろ、自分の本にした作品、あるいは、本になる前の原稿がどうなるかということが切実な問題だったからだろう。

 中には、

「この一作品に掛けている」

 という人もいるだろう。

 もっとも、そんな人がもし、

「自分が小説家になりたい」

 などと思っているとすれば、それはまったくのお門違いであり、

「一作品しか完成させられない人間に、締め切りや、原稿依頼が発生する小説家になどなれるわけはない」

 というのが、当たり前のことである。

 そんな人は、その作品だけを自己満足として、

「一生に一度、本を出すという夢を叶えられたのだから、それでよかった」

 と思い。さっさと、出版から足を洗えばいいのだろう。

 しかし、本当に小説家になりたいという人は、他にたくさんのストックを持っていたり、現在進行形で、作品を生み出している人に違いない。こっちらも、何もしないで、

「ただ待っているだけ」

 という他力本願で小説家になどなれるわけもないというものだ。

 小説家になりたいのであれば、自分なりに何をすればいいのか、本やネットで調べるくらいのことをしないといけないだろう。

 何も考えずになろうなどという人間がいるから、詐欺のようなことが起こるのだ。

 何も考えていない連中が騙されるのは、自業自得なのだろうが、真剣に考えている人間が騙されかねないような世の中だったとすれば、何も考えていない連中の罪は結構重いといってもいいだろう。

 とはいっても、真剣に考えている人が、

「こんな詐欺グループに騙されることはない」

 といえるのだろうが、中には焦りが生じたことで騙されてしまう人もいるかも知れない。そういう人たちに対して、さすがに、

「自業自得だ」

 とはいえないのではないだろうか?

 だから、詐欺グループが摘発されたり、倒産の憂き目にあうのは、当たり前のことだが、それによって、本を出した連中のほとんどが、

「本を買い取るか捨てられるか?」

 ということになるのは、そのほとんどが、

「自業自得だ」

 ということだ。

 そんなことがあってから、ほとんどの人が、去っていき、スリムになったということは、ある意味、浄化されたということで、

「よかった」

 といってもいいかも知れない。

 何しろ、小説家になるということは、それだけ大変なことであり、そもそも、

「本を出したから、自分は小説家だ」

 という考えが、間違っている。

 小説家といっても、プロではない。アマチュア、素人に他ならないことを自覚していないから、詐欺にあうといってもいいだろう。

 それなら、詐欺にあわないようにするには、お金がかかったとしても、そこは、自分の中で、

「必要経費」

 だと思える範囲であればいいのではないか。

 元々、

「小説家になりたい」

 という人が増えてきたというのは、バブルがはじけてから、リストラの嵐が吹き荒れた反面、一時期ではあったが、

「残業禁止」

 という時期があったからだ。

 確かに、バブルの時代は、

「事業を拡大すればするほど儲かる」

 ということで、仕事はどんどん増えていき、それが一気にバブルがはじけると同時に、

「不良債権」

 となり、支払いが滞ってきた。

 まだ自分の会社だけなら、いくらでもやりようがあるのかも知れないが、社会全体が一気に変わってしまったのだ。

 何といっても、

「絶対に潰れない。世間が潰さない」

 と言われた、銀行が真っ先に、破綻してしまう時代だった。

 銀行は、バブルの時代、金利を稼ぐために、

「過剰融資」

 なる方法で、たくさん、民間に貸し付けていた。

 しかし、それが回収できなくなると、すべてが、不良債権となり、一気に首が回らなくなる。

 そうなると、お金が渋滞してしまい、社会が滞ってしまって、どうしようもなくなる。だから、企業も拡大していった事業を縮小し、

「収入が見込めないのであれば、経費を節減するしかない」

 ということになるのだ。

 そこで、人員削減、必要経費の削減、

「浸かっていない電機は消す」

 などという、ちょっと前までは、

「そんなケチ臭い」

 と言われていたようなことを、今度は、正義として行うようになったのだ。

 もっとも、日本は、

「失われた30年」

 などと言われ、いまだに不況から立ち直っていない。

 企業の内部留保などと言われたが、実際には、政府のやり方がひどかったというのが、ほとんどだろう。

「聖域なき構造改革」

 などといっていたソーリがいたが、そもそもが、人気だけはあったが、やっていることは日本経済を破綻に導くようなことばかりだった。

 確かに、結果論かも知れないが、そいつがソーリをやっていた頃から、そのツケが全部その後の経済に、悪い方に影響したのである。

「(与党である)○〇党をぶっつぶす」

 などとほざいていたが、結果は、経済をぶっ潰し、今の亡国を招いたのは、あのソーリからではなかったか。

 その後のソーリにはロクな奴がいなかった。

「疑惑だらけで、それを追及されると、言い訳に終始し、結果、病院に逃げ込んだソーリ」

「口は禍の元という言葉を地でいき、何と、年金を消してしまうという暴挙に出て、一時期ではあるが、野党に政権を渡してしまったソーリ」

「国民から絶大な期待を受けて、野党政権が誕生したが、自然災害の時、暴言を吐いて、政権を追われたバカなソーリ」

「世界的なパンデミックにありながら、国民のほとんどが反対しているオリンピックを強硬し、ウイルスに打ち勝ったなどとトンチンカンなことをほざいていたソーリ」

 あげくの果てに、

「総裁選で、元ソーリの疑惑を私が暴くといって当選しておきながら、その元ソーリの派閥から、たくさんの大臣を任命し、海外で戦争が起これば、本当であれば中立を保たなければいけない国家体制であるにも関わらず、経済制裁に手を貸し、さらに、国民がパンデミックで苦しんでいるにも関わらず、血税を湯水のように、外国に寄付し、経済が困窮したことを自分のせいにしたくないものだから、国民に、自分の命は自分で守れと言っておいて、経済復興のためといって、ウイルス対策をまったくしない」

 という、とんでもないソーリが誕生することになったのだ。

 これが、今の日本という国であり、

「失われた30年」

 の正体である。

 そんな時代に入ってくると、国民も、

「なるべくお金を使わず、貯蓄に回す」

 というのが当たり前になってくる。

 企業が、内部留保に走るのと同じ理屈で、だから、不況になり、物価が上がるにもかかわらず、個人の給与が上がらないのだ。

「贅沢にお金を使う」

 などということはありえるわけはない。

 当たり前のことであり、

「だから、無料という言葉に、国民は敏感になるのだ」

 といってもいいだろう。

 2010年代に入ってくると、そういう無料の投稿サイトなどというものの発達と、さらに、今までの携帯電話から、タブレット式のスマートホン、いわゆる、

「スマホ」

 というものが、流行するようになる。

 それは、wihiと言われるような、パソコンのネットにおける。、

「使い放題」

 という発想と、

「無線」

 という発想が生まれ、パソコンのように、スマホをwihi環境に設定しておけば、いくらでも、wihiに繋がっている時間は、ネットを基本料金で使えるということになるのだ。

 今までのケイタイ、いわゆる、

「ガラケー」

 というものでは実現できなかったり、やりにくかったりしたものが、スマホではいろいろできるようになる。

 ただ、日本においては、かつてのガラケーにこだわりすぎたせいなのか、スマホ業界では明らかに世界から乗り遅れた格好になった。

「ああ、今の政府を見ていれば、そんなのも当たり前だよな」

 と、納得できてしまう世の中が恐ろしいといってもいいだろう。

 そういう意味では、今の政府の対策を、国民に説明していることが、どこまで本当のことを言っているのか分かったものでもない。

 たとえば、最近設立された、

「デジタル庁」

 などと言われる政府機関であるが、

「スマホの普及や、世間でネットが安く扱えるようになるためのものだ」

 などと思ってると大間違いで、

「国民を数字で管理し、自分たちの業務を効率化させよう」

 ということでの、

「マイナンバー」

 への移行というものが大きなものであった。

 国民は簡単に政府に騙されるので、よくよく気を付けて、目を光らせなければいけない。

 特に、今から十数円前に起こった、

「消えた年金問題」

 というものであるが、

 これも、当時の、

「住基ネット」

 などという悪しきものが存在していたが、そちらに移行しようとして、

「名前にフリガナを打っていない」

 あるいは、

「紙の資料が醜くなっている」

 などという理由で、誰の年金なのか分からなくなったことが社会問題になったのだ。

 そもそも、最低限の管理を怠ったということでの明らかな人災だったわけだが、よりによってそれが、

「年金」

 という、一番大切なものだったことで、一気に国民の怒りが爆発し、与党に対して、爪の先の垢くらい残っていた信用が、まったくなくなってしまうということを引き起こしたことで起こったのが、政権交代だった。

 野党第一党であった政府が、最初はいろいろな政策を打ち出し、

「頼もしい」

 と思ったのもつかの間、あっという間にその信用を、自分たちでぶっ潰すということになった。

 少々のことであれば、

「今までやったことのない政治なのだから、少しくらい長い目で見てあげてもいいだろう」

 という人もいるのだろうが、次回の選挙では、一気に票を失い、ほぼ一期で、政権は元に戻ってしまった。

 ただ。これは、

「今のままの政府に任せておくわけにはいかない」

 というだけで、元々の与党が信任を得たわけではない。

 あくまでも、

「どこがやっても一緒だ」

 ということからの、消去法だったというだけのことであった。

 そんな時代になって、出てきたのが、

「以前、都合が悪くなって病院に逃げ出した」

 という、悪しきウワサのソーリだった。

 案の定、いろいろな疑惑が出てきて、国会答弁で野党から攻められた時、

「私がもし、そんな疑惑の通りだったら、ソーリだけではなく、国会議員も辞める」

 などという大風呂敷を広げたものだから、

「どこまで悪いことをしていたのか疑問だ」

 という事務次官だったか、そんな人が、全責任を負わされる結果となり、自殺するということになったのだ。

 疑惑の自殺だったが、家族が、資料の公開を求めると、資料のほとんどが、黒塗りという、

「明らかなブラック」

 な資料で、国民を騙せるとでも思ったのか、国民の代表である政府というのが、

「これほど、情けなく、子供の言い訳にもならないような臭い芝居をする」

 というのは、情けなさを通り越して、何をどう考えればいいのか、国民をバカにしているというだけでは済まない。

 さて、そんな時代くらいから、SNSなるものが発展してきた。

 ネットでいろいろなことをつぶやいたり、一個人が、動画などを撮影し、それを編集することで、気軽に、

「自己表現」

 というものができるようになり、アプリの機能を使って、

「自分のチャンネル」

 として、情報発信ができる時代になってきたのだ。

 それを総称して、SNSというようになったのだ。

 それが、インスタグラムやユーチューブ、ツイッターなどというもので、さらにどんどんいろいろなものが出てきたりした。

 特に、ユーチューブというのは、いい意味でも悪い意味でも、いろいろあったというのが事実で、社会問題を巻き起こしたりもした。

 ひどいものには、例えば、

「わざと犯罪まがいのことをして、警察に追いかけられているところを、他のメンバーに撮影させて、それを自分の動画として載せる」

 などということである。

 他人は面白がって、そういうやつに、

「いいね」

 というボタンを押して応援したり、

「なんて奴だ。犯罪者同然じゃないか」

 と言われたとしても、それはあくまでディスっているという意味での、

「共犯者」

 のようなものである。

 良くも悪くも反響があれば、動画を載せたユーチューバーと言われる人間の勝ちになってしまうのだった。

 しかし、この状況は、正直、いいものだとは思えない。

 さらにひどい奴になると、危険な場所にいって、危険な行為をすることで、人の注目を集め、そのせいで、レスキュー隊が出動するというような、

「迷惑では済まされない」

「笑えない」

 という行為を繰り返している人もいる。

 正直に感じるのは、

「そんなやつは、高いところから落ちて、死んでもらって、危険なことをすると、死んでしまうということを身をもって示してくれれば、ユーチューバーとして認めてやる」

 というくらいである。

 死ぬこともできないくせに、まわりに迷惑を掛けるとは、どういうことか? もしその時、他に、救急隊員の出動を必要とする人がいて、こいつのために、そっちに手が回らずに、結果何かひどいことになったとすれば、このバカに本当に責任が取れるというのだろうか?

 と考えてしまう。

 だから、

「迷惑ユーチューバー」

 などといわれる連中は、そういわれても、注目さえされればそれでいいのだ。

 警察に捕まって、前科がついたとしても、それは、自分にとっての、勲章であり、武勇伝になるというくらいにしか考えていないのだ。

 刑事罰をその程度にしか考えていないやつが本当に登場してきたのだとすると、これ以上怖いものはないといえるだろう。

 そんな連中が、どんどん増えてくるのは恐ろしい。

「迷惑な連中が増える」

 というだけでは済まされないものになるに違いないのだ。

 さらに、最近では、

「国宝であったり、世界遺産などに悪戯をする」

 というやつもいて、ひどいものだ。

 数年前に起こった、

「世界的なパンデミック」

 において、

「自治体から、他府県への移動はしないでほしいという通達があったにも関わらず、ノーマスクにて、観光地で好き放題に振る舞い、人に話しかけたりして、明らかに、こいつに移されたということが分かるような被害者だって出ていた」

 ということだった。

 しかし、明らかにとは言いながら、相手は、

「目に見えないウイルス」

 ということで、証拠を示せるわけはない。

 それをいいことに、さらに、

「自分はユーチューバーなんだ」

 と言わばかりに、やりたい放題の極悪非道といってもいいだろう。

 撮影のために、無銭飲食を行い、裁判に掛けられたが、その時、

「ユーチューバーを引退する」

 といっておいて、その舌の根の乾かぬ内に、復活し、ユーチューバーを続けていた。

 裁判からすぐは、家族が誹謗中傷されているといって、ツイッターで、

「私の家族は関係ないので、誹謗中傷は辞めてください」

 などと言っていたが、それを見た人ほとんどが、

「何言ってやがる。お前はもっとひどいことをしたんだろうが」

 といって炎上するのだが、実は。これこそがやつの狙いで、一種の、

「炎上商法」

 だったのだ。

 つまり、

「自分がひどいことをやったという意識があるので、ここで家族愛を見せると、同情してくれる人か、あるいは、さらに炎上するかのどちらかであろう。だけど、どっちにしても、自分のフォロワーや関心を持つ人が増えるということなので、俺が得をするということなのさ」

 という作戦である。

 本当は放っておけば、何も起こらないからいいのだろうが、心情としてだまっておけないという人は少なからずいる。

 それが、日本人の、いや、人間としての、

「勧善懲悪」

 という気持ちなのかも知れない。

 ということである。

 人間にとって、普通なら誹謗中傷というのは、精神的な辛さや、下手をすれば、疾患に繋がるものなのに、この、

「迷惑ユーチューバー」

 という連中は、

「炎上しても、自分の得に結びつける」

 という悪い意味での鋼の神経を持っているのだろう。

 だから、やつらは、攻撃すればするほど、それをエネルギーにすることで、少々の罰では効かないのだろう。

 そういう意味では、一番いいのは、

「死刑にでもするか」

「ユーチューブが一切できない環境に持っていって、ネットすらできないようにする」

 というほどの罰でなければいけないだろう。

 こいつらからネット環境を奪うのは、密室で、空気を抜き、真空状態にするというのが一番の効果なのではないだろうか。

 だから、表に出てきて、いちいち反応すればするほど、大きくなるのだ。

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