金メダルのアンドロイド

岡倉桜紅

金メダルのアンドロイド

「全員集まったな。これより会議を始める」


 三上社長は社員全員を会議室に集めた。株式会社ミライは、ロボット開発の小さなベンチャー企業で、社員は社長と事務員を含めて七人。少数精鋭のエンジニアが日々ロボットの開発にいそしんでいる。社長は大学時代の僕の先輩で、僕の技術を買って誘ってくれた。僕は主に、人型アンドロイドの関節の動作について研究していた。


 近年、この業界は急激に成長しており、動きのほうも発展しているが、見た目の面でも顔立ちや肌の質感もより人間に近くなり、アンドロイドは不気味の谷を越えつつある。


「これからの時代、より性能の高いロボットが必要とされる。わが社もその時代の先頭として走っていかなければならない。ここにいる全員、時代の先駆者となれるほどの技術を持っていることは俺が保証しよう」


 社長は社員たちを見回す。

「そこでわが社は、わが社の技術を広く認知してもらえるような、技術を強烈にアピールできるような取り組みをすべきだ。現在それぞれの社員が個別に客から依頼を受けてロボットを設計、開発して販売するような手法で経営しているが、少しの期間だけ、それを変えようと思う。全員が同じプロジェクトに協力して力を注ぎ、わが社が生み出しうるロボットのなかでも最高のものを造り上げ、世間に発表したい」


「同じプロジェクトですか。どんなロボットの開発ですか?」

 僕の隣の女性社員、岩瀬さんが質問する。社長の大学時代の同期だ。明るく、いつも彼女が来るだけでオフィスが華やかになるような気すらする。


「よくぞ聞いてくれた」

 社長は後ろに置いてあったディスプレーに画像を映し出した。五つの色の違う円が組み合わさった形。オリンピックのマークだ。


「みんなも知っている通り、四年後に東京でオリンピックが開催される。そこで、わが社でオリンピックに出ても誰にも気づかれないくらい人間に近いアンドロイドを造り上げ、そのアンドロイドをオリンピックに出場させよう」


「オリンピックに? さすがにそれは難しいんじゃ……」

 社長の隣に立つ男性社員、日高が言ったが、社長は指を振った。


「俺たちエンジニアはまず、できない、からは入らない。何事も、できるはず、から取り組まないとな」

 社長の口癖だった。会社のモットーのような言葉だ。


 僕も正直日高とほぼ同じ感想を抱いたが、オリンピックは全世界のテレビで中継されるわけだし、ただ出場するだけでも、小さなベンチャー企業にとっては、会場の壁に広告を出すよりは注目されやすいだろう。ランクインするほど性能が良ければ、もっとテレビに映されることにもなる。会社のアピールとして申し分ない戦略だ。


「宣伝効果としては最高の戦略だと思いますけど、オリンピック関係者にはどう説明するんですか? 選手がアンドロイドだと知れば出場を認めてくれるとは思えません」


 僕の言葉に社長は落ち着き払って手元のリモコンのボタンを押す。ディスプレーの画像が切り替わる。一人のアスリートの写真が映し出された。

「彼は俺の知り合いで、男子陸上100メートルの選手だ。椚太一という。去年までは日本のランキングでも常にベスト16あたりにいた。しかし、半年前、事故で足が以前のように動かなくなってしまった」


 顔は見たことがあるような気がする。スポーツのニュースは割とチェックしているほうだが、陸上の上位の選手が足を悪くしたなんてニュースは知らなかった。


「この情報を彼は世間に公表していない。俺は事故からそこまで時間が経たないうちに、彼が事故を公表する前にそのことを上手く使えないかと思って彼と話をしに行ったんだ。技術の発展のためだと言ったら快く協力を了承してくれた。彼は引退することをこの半年間世間に言わずにいてくれた。そしてこれから四年間も黙っていると言ってくれた。彼の替え玉としてアンドロイドを造れば大会に出場できる」


「ロボットとはいえ替え玉なんだから、途中でばれたら何等かの罪に問われたりしませんか? それに、万が一、アンドロイドの椚さんが表彰台に上ってしまうなんてことになったらどうするんですか?」

 岩瀬さんが聞く。


 社長の自信に満ちた顔は揺らがない。

「俺は君たちのクオリティを信じている。まずばれないし、罪にも問われないよ。このプロジェクトを提案する前に入念に下調べをして、なんなら弁護士にも話を聞いてもらったから、その点は安心してほしい。そして、アンドロイドが表彰台に上ったら、まさにそれがプロジェクトの成功の瞬間だ。そこで彼がアンドロイドだと全世界に公表し、メダルの受け取りを拒否する。……他に質問は?」


「いいすね。まあ、最初はあんまり難しく考えずにやってみましょうよ」

 金髪に髪を染めた若い男性社員、千葉が軽い調子で言った。こいつは僕の後輩だ。浮ついているように見えて優秀なムードメーカーである彼の発言は、皆の気持ちを一つにしたり、やる気を出させたりする力があった。


 次の日から僕らは、オリンピックアスリートのアンドロイドを造ることになった。


🥇 🥇 🥇


「半年前、すべてを失って茫然としている俺のところに急に三上から電話がかかってきてさ。電話口で急にプレゼン始めんだもん。俺はもうこの業界から永遠に離れなければならないと思っていたけど、そうでもないかもって思わされたよ。俺はもう走れないけど、俺の存在がこれからの時代の技術の発展に役立てられんなら、あと四年くらい引退を先延ばしにしてもいいと思ったんだ」


 僕と千葉は椚さんに話を聞きに彼の自宅までおじゃましていた。

「ご協力ありがとうございます」


「これは俺のためでもあるんだ。できることはすべて協力するよ。ただし、オリンピックの大舞台で俺の姿のロボがかっこ悪いヘマをすることだけは勘弁してくれよ。うんといいロボットを造り上げてくれ」


「もちろんです。約束します」


 椚さんはこれからの四年間、不用意に陸上関係者に会って足が悪いことを知られたり、公式大会の出場がないことから不審がられたりしないように常に気を付けて暮らしてもらうことになる。その旨も彼は了承してくれた。いくつかの書類にサインをもらい、椚さんの家を後にする。


「こりゃ、ガチでやんないとっすねぇ」

 住宅街を歩きながら千葉は言った。


「うん、最初聞いたときは社長も椚さんもどうかしてると思ったけど、二人とも真剣に考えていたんだね。僕たちも精一杯やらなくちゃ」

「うっす」


🥇 🥇 🥇


 アンドロイド制作には大きく分けて二つのハードルがあった。一つ目は、フィジカルな動き。なめらかで自然な関節の動きが必要とされる。それも、ただ普通に生きている人間が必要とする程度の動きではなく、トップアスリートの無駄のない、洗練された体の運びを模倣しなくてはならない。これは僕と千葉の専門分野だった。


 二つ目は、人間としての自然さ。アスリートとしてのアンドロイドではあるが、走っている時間は十数秒なので、その何倍もの時間をインタビューやウォームアップとして多くの人に見られる。その時にアンドロイドだとばれないような豊かな表情筋を実装したスキンや、自然な会話プログラムも作らなくてはならない。こちらは、岩瀬さん、日高、そしてもう一人の女性エンジニアの澄田さんが専門だ。社長は事務員の関さんといっしょにオリンピック出場に関わるいろいろな雑務や交渉を担当する。


 新たなロボットを五人で一から制作するのに、四年という時間はかなりぎりぎりな時間だ。バグやエラーが出ることを考慮すれば、一刻も無駄にはできなかった。


🥇 🥇 🥇


 試作品1号が完成したのは二年が経ったころだった。椚さんにそのアンドロイドを見せると彼はそれをしげしげと眺めた。

「なかなかすごい。遠くから見れば完全に俺だ」


 実際にトラックを走らせてみた。タイムは、日本代表はおろか、高校生の大会でも下位のほうに値する記録だった。


「フォームがまだまだだな。素人臭いってわけじゃなくて、どことなく人間じゃない感じを受ける。ロボットだから筋肉はないことは承知なんだけど、やっぱり筋肉の躍動みたいなのが感じられないと人間っぽく見えないんじゃないかなあ」


「なるほど、ありがとうございます。修正します!」


🥇 🥇 🥇


 僕らは社長が買い取った田舎の市民運動場にオフィスやコンピュータ類を丸ごと移動させた。その日から僕らのオフィスは体育館となった。朝からアンドロイドとともにトラックに出て、一日中そのタイムや走り方をああでもないこうでもないと思案し、日が沈んだあとは、コンピュータやサーバーの並べてある体育館に戻ってきてメンテナンスをし、プログラムや数値を調節したりした。様々な角度から撮った動画を分析し、椚さんの現役時代の動画と見比べて、調整を繰り返した。僕らはアンドロイドにクヌギ2号、クヌギ3号、という風に名前を付けていった。


 スキンや会話の方は形になってきたので、岩瀬さんたちのチームも僕と千葉の開発作業を手伝ってくれた。


🥇 🥇 🥇


 やがて季節は廻り、体育館での深夜の作業は寒さが身にこたえるようになってきた。石油ストーブは常に稼働させているが、あまり暖かくない。僕らはアンドロイドとともに走るようになった。体を動かしているほうが寒さは和らぐ。部活でもやっているかのような一体感が僕らの中に漂うようになった。アンドロイドはクヌギ11号にまでなっていた。


 椚さんや社長は数日に一度、僕らの様子を見に来た。ベンチコートに身を包んで、トラックを走るアンドロイドと僕らを眺める二人は、部活動で言うなら、監督とコーチのようだった。


🥇 🥇 🥇


 そしてまた夏が来た。オリンピックまであと一年。ここからはオリンピックに出場する切符を得るための大会に出場していかなくてはならない。予選でも、一度でも人間ではないと見抜かれてしまったらそこでこのプロジェクトはおしまいなので、気は抜けない。アンドロイドはクヌギ20号にまでなっていた。


「明日がとうとう初試合だな」

 千葉はアンドロイドの肩に腕を回した。


「20号と呼ぶのはやめてください。俺のことは椚と呼ぶようにしてください」

 アンドロイドは本人そっくりに顔をしかめて言った。


🥇 🥇 🥇


 予選大会当日。社長と僕は椚さんのコーチとマネージャーという設定で揃いのジャージを着て会場に向かった。周りを見渡すと、ぴりりとした緊張感が会場には漂っていた。中にはテレビで見たこともある人も混じっていて、僕は緊張してくる。僕の胸に差してあるボールペンには小型のカメラがついていて、僕らの様子も椚さんや、オフィスで待機している社員にリアルタイムで見られている。


「大丈夫。今日までの練習の成果をただ見せるだけです」

 クヌギ20号は僕の肩に手を置いた。アンドロイドなので当然、心を乱したりはしない。その落ち着いた言葉に少し緊張が和らぐ。


「そうだね。精一杯やってきてくれ」

 僕はクヌギ20号の背中をぽんと叩く。


 おそらく周りから見れば僕らはエンジニアとアンドロイドではなく、マネージャーと陸上選手の何気ないやりとりに見えたことだろう。クヌギ20号はとても自然な会話ができるようになっていた。僕らはクヌギ20号をトラックへと送り出す。心配と期待がこみあげてくる。


 やがて号砲が鳴って選手たちはいっせいに走り出す。

「が、頑張れ!」

 思わず声が出る。クヌギ20号は好タイムで予選を通過した。


🥇 🥇 🥇


「よかった!ほんとにナチュラルだったよ。全然アンドロイドには見えなかったね」

 予選大会を終えて、僕と社長とクヌギ20号が現オフィスである市民運動場に戻ってくると、社員たちが宴会の準備をして待っていた。


「とにかく!無事にプロジェクトの第一歩が踏み出せたことに、カンパーイ!」

 社長が缶ビールを突き上げる。みんなも笑顔で叫んだ。クヌギ20号は充電器につながれて目を閉じていた。なんだかそれが、大きな大会を終えて疲れと満足感でぐっすりと眠っているようにも見えた。


🥇 🥇 🥇


 それからクヌギ20号はいくつかの大会に出場し、無難な成績でパスし、無事にオリンピックの切符を手に入れた。誰もクヌギ20号がアンドロイドだとは気づかなかった。何回かインタビューを受けたが、ばれなかった。スポーツ誌には期待の星として取り上げられ、大会に応援に来てくれるファンも増えた。


 オフィスの壁際にはトロフィーやメダル、賞状が飾られていった。僕はそれがなんだかとても誇らしいように感じた。


「いつの間にか、すごい数もらっていたんだね」

 僕がトロフィーの埃を掃除していると、椚さんが後ろから声をかけた。


「そうですね。だんだん溜まっていくのを見ると嬉しくなってしまいますね」


 僕の言葉に椚さんは少し困ったような顔をした。

「そうかな。俺はちょっと、申し訳ないような気がするよ」


 僕は掃除の手を止めた。

「申し訳ない、というのは?」


「これから言うことは別にロボットに対して嫉妬しているとか、そういうのではないんだけど、僕が持っているトロフィーって、せいぜい三つで、メダルは三つもない。金色なんて持ってないんだ。これが欲しくて僕ら選手は日々練習をしてる。このトロフィーが死ぬほど欲しいと思う人はたくさんいるんだ。本来その人たちがもらうはずだったトロフィーが、俺のせいでここにある」


「プロジェクトが終わったら全てのトロフィーは返還し、本来もらうはずだった人の手に渡ります。それに、クヌギ20号はほかならぬ椚さんの体のデータからできているんです。あなたが事故に遭わなければ、あなたが手にしていたトロフィーと言えるんじゃないですか?」


「そうかな」

 椚さんは目を伏せた。


「俺はいつもベストを出せるわけじゃないよ」

 椚さんはオフィスから出て言った。


 目の前のトロフィーの輝きが急に鈍くなったかのように感じた。今まではずっと、ばれないように、とそれだけを考えてきた。僕の頭の中に、急にばれた後に起こりうる様々な想像が生まれた。


🥇 🥇 🥇


 オリンピックの本番が近づいた。クヌギ20号と社員全員は選手村に入った。


「とうとうここまできたな。明日は最高の走りを期待しよう」

 社長は食堂で夕食を食べながら僕に言った。社長、いや、三上さんとサシで食事をするのは久しぶりだ。


「そうですね」

 僕は社長の言葉に頷いたが、僕の心の中では少しもやもやとしたものが渦巻いていた。


「社長」


「ん? なんだ?」


「20号がメダルを取ったら、本当のことを明かすんですよね」


「そうだ。それがわが社を世界にアピールすることだからな」


「……そうしても大丈夫なんでしょうか。その発表は誰かを傷つけたりしないでしょうか」

 僕の言葉に社長は食べる手を止めた。


「順位なら、20号が関わったすべての大会で繰り上げを行ってもらう。トロフィーやメダルも残らず返還するし、大丈夫だよ」


「そう、でしょうか」


 社長は僕の肩を優しくたたいた。社長の大丈夫という言葉が、的確でクリアないつもの社長の発言に対して、ぼやけた曖昧さをはらんで僕に届いた。


 社長は大学卒業してすぐにベンチャー企業を一人で立ち上げ、見事なマネジメント力と確かな技術でここまで会社をやってきた。その過程ではたくさんの切り捨てたものもあっただろう。社長の計画通りに行けば、会社は成功するかもしれない。でも、もし誰かを傷つけるんだったら? 社長は人に嫌われても悪口を言われても動じず、自分の信じた道を突き進むタイプだった。社長は賢い人だから、批判やリスクについても、ロボットいじりしか能がない僕の何倍もよく考えていたはずだ。


「大丈夫だ」

 社長はまた繰り返した。


🥇 🥇 🥇


 朝が来た。クヌギ20号の電源を入れ、最終メンテナンスをし、気温や湿度によって変わるパラメータを少し調節した。


「では行ってきます」

 クヌギ20号は軽快に駆け出して行った。アンドロイドにウォーミングアップは必要ないが、あたかも真剣にルーティンをこなすかのように、クヌギ20号はプログラムされた動作をきっちりと行った。彼の横には外国人の選手がずらりと並んでいる。しかし、クヌギ20号は飄々とした表情を見せていた。各国から訪れたテレビカメラが選手たちを映している。


 やがて会場は静寂に包まれ、号砲が鳴った。選手たちは一斉に走り出す。コンマ数秒の差でクヌギ20号はその集団の中でトップを取った。すぐに電光掲示板にはただいまの記録とランキングが表示される。一位だ。


 テレビでは実況が大興奮して叫んでいる。優勝の有力候補だった外国の選手はもう走り終えており、クヌギ20号に続いて二位だった。その選手は泣いていたが、クヌギ20号を見ると、握手を求め、ハグをした。


 表彰式で、クヌギ20号は表彰台に上った。盛大な拍手の中、とうとう金メダルが首にかけられる。しかし、クヌギ20号は頭を下げず、その場で声を張り上げた。

「メダルはいりません。私は、アンドロイドです!」


 しばらく拍手が鳴りやまなかったが、テレビの翻訳により、全世界の人がその言葉の意味を理解すると、会場は静まり返った。


「私は、アンドロイドなんです。だから、金メダルは受け取れません」


 全世界の人間が困惑していた。そりゃあそうだ。今まで本当に人間だと疑わずに接してきた人が急に自分はアンドロイドだ、などと言い出したらまず気がふれたかと心配するだろう。


 社長が表彰台の前まで進み出てきた。テレビカメラはすべて一斉に彼を映す。係のスタッフが慌ててマイクを手渡した。


「あー、エヘン。はじめまして。私は株式会社ミライの社長、三上と申します。当社は、先駆的なロボットの設計、開発、販売を手掛けるベンチャー企業でございます。我々は、このオリンピックという場をお借りして、最新型のアンドロイドのお披露目をさせていただきました。今表彰台に立っているのは、椚太一選手ではありません。椚太一選手をモデルとしたアンドロイド、クヌギ20号なのです」


 二位と三位の表彰台に立っている外国人選手たちは、三上の言っていることや、今の状況が呑み込めずにきょろきょろしている。クヌギ20号はユニフォームを脱いだ。体の隠れていた部分はわざと透明なカバーを使っていて、中の機械が良く見えるようになっていた。その様子を見て、二位と三位の表彰台に立つ選手はぎょっとする。会場は、世界はざわつき始める。


 表彰台を少し離れたところで見守る僕の横で、オリンピック関係者であろうスタッフがショックを受けた顔をしている。やはりこの発表は多くの誰かを傷つけてしまったんだろうか? その口から言葉が漏れる。


「あんなに応援してたのに……」

 ……応援してたのに? 応援してたのに、なんだ? 急に僕の中で不安だった気持ちがはじけ飛んで、新たな感情がむくむくと沸き上がった。


「応援してたのに、なんですか? 見ていたのが人間じゃなかったら応援は無駄だったと思うんですか?」


 アンドロイドだって最初からあんなに早く走れたわけじゃない。やってみて、考えて、改善して、またやってみる。その繰り返しで到達した結果だ。エンジニアがやっただけで、アスリートがやっていることと変わらないじゃないか。もちろんここは、体育の祭典だから、機械という別のものが入り込んで場をかき乱してしまったのは良くないことだとはわかっている。でも、応援した事実を、応援しなきゃよかったなんて言われるのは違う。20号のその動きを見てファンになって応援したんだろ。人間がその動きをするのと、アンドロイドがそれとそっくり同じ動きをするのは何が違う? 動き自体は椚さんと何も変わらないじゃないか。何の見た目の違いはない。その動きが好きだったんだろ?


 スタッフの女性はいきなり喧嘩腰で話しかけてきた僕に驚きながらも言葉を続けた。


「だって、……だってあまりにも、空しいじゃない」


 僕の体から力が抜ける。

 これを明かさなかったら、彼女はずっとクヌギ20号のファンだったのだ。テレビの画面越しに彼を見つけては、応援し、血の通った彼が日本のどこかにいて、朝からコーチともにトラックに出て、一日中そのタイムや走り方をああでもないこうでもないと思案し、日が沈んだあとは、身体のメンテナンスをして寝る、そんな生活をしていると信じ続けていたはずだ。


 むき出しの上半身をさらしたままのクヌギ20号はただカメラを見つめて立ち尽くしていた。


🥇 🥇 🥇


「裏切られた、が率直な感想なのかもね」

 岩瀬さんはすっかり片付いたオフィスで言った。オフィス、といえども、もともと体育館だった場所なので、機材を撤収してしまうと、ただの寒々とした運動施設だった。掃除が終わり、最後に残った僕と岩瀬さんはがらんどうの体育館を見ていた。岩瀬さんはステージに腰掛けて足をぶらぶらさせている。


 あの後、会社にはたくさんの批判が届いて、大炎上した。批判のメッセージを送ってきたのは主に椚選手のファンで、オリンピック関係者、スポーツ業界からは軽い注意のみ、ロボット産業の業界からはちょっとやりすぎだったけど、技術は認めるよ、という旨のメッセージが国を問わずに世界中から寄せられた。社長は新たなビジネスの相談の対応に追われて、撤収作業には来なかった。


 岩瀬さんはスマートフォンに届いた、おそらく社長からのメッセージをちらりと見て「今日も働いてる。社長はやっぱすごいなー」と小さくつぶやくと、またポケットに戻した。「あとで返信しようっと」


 岩瀬さんは自分の横のステージを軽くたたいた。僕は岩瀬さんの横に腰掛ける。


「私たちがファンに対してやったことはたぶん、有名俳優のプライベートを明かすことに似ている」


「……社長のやり方が正しかったかどうかという話ですか?」


 岩瀬さんは笑って首を振った。

「正しいかとかはわかんないよ。私は正しいかはともかく、社長についていくと決めたからね。意見は言うけど決定には従うよ。あの人の能力は認めてるから。ただ、私たちがどういうことをしたのかという確認がしたいんだよ」


 僕は頷いた。岩瀬さんは少し満足気に笑って、言いかけたことの続きを話し始めた。

「テレビの前の多くの一般の人は、ドラマに出てくるキャラクターを好きになる。やがてその顔も口調も、俳優ごと好きになる。俳優は存在するけど、一般の人にはほとんど会うことはないよね。俳優はどこかわからないけど世界のどこかにはいて、ドラマの中のキャラクターみたいに笑ったり怒ったりして暮らしてるんだって想像する。それが急に、俳優のプライベートを無理やり知らされて、実は性格がクズで、ドラマの映像は良くできた演技と知る」


「キャラクターを消費していたかっただけだったのに、ということですか」


「そう。そんなクズだったなら知らないでいさせて欲しかった、と思うわけ。俳優そのものと、俳優が演じる画面の向こうのキャラクターは別のものなのに、いつのまにか同一視していたから、どちらかの裏側を知ってしまうと、切り離して考えられなくなる」


「この件に当てはめると、実際に走っているクヌギ20号と、テレビに映っているキャラクター椚選手を勝手に同一視していたということですね」


 岩瀬さんは軽く頷く。

「まあ、勝手に、というのも適切ではないかもね。私たちはわざと同一視させるように仕向けたから。スキンも動きも、本当にそっくりに造ったよ。それがエンジニアとして技術の粋を見せるということだからね。ある意味だましてたんだよ。これとこれは同じものですって。裏切られたと感じるのは仕方ないね」


「一般の人みんなが、椚選手のことをテレビ越しに存在する、会うことのない存在として好きになっていたんですね」


「そうだね。最近ってさ、実体のない概念を愛せる時代になってきたんじゃないかな。もしそれが実は全部偽物で、あ、偽物っていうのはここでは、人間じゃないってことね。偽物だったとしても、気付けないし、気付く必要もないんだよ。俳優のプライベートみたいに、裏は見なくていいの。そういう世界だったらさ、嘘はつきとおすのがやさしさっていうか、義務になるんじゃないのかな。だましとおすことが必要なんじゃないのかな」


 僕は少し考える。

「僕らのやったことは、間違っていたんでしょうか」


「さっきも言ったでしょ。この行動の正否はわからない。ただ、そういう時代になったなあって、私たち以外の世界の誰かが気付けたのなら、それは私たちが時代の先駆者になれたってことじゃないのかな。放っておいてもそのうちこれに気付いた誰かが似たような方法で世界に訴えていたかも」


「確かにそうですね」


 二年ぶりに遮光カーテンを開けた窓からは夕日が差し込んで、フローリングに窓の形に切り取られた光を落としていた。


「さて、明日から忙しくなるよ。まずは批判メールをさばくとこから業務スタートだ」

 岩瀬さんはひょいとステージから飛び降りた。僕を見上げて少し微笑む。


「本社に帰ろうか」

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金メダルのアンドロイド 岡倉桜紅 @okakura_miku

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