第9話 覚めてや夢に 四

「道誉殿! 貴方のおかげで直義と師直が仲直りできました。心から礼を言います」

 菊の宴の翌日、尊氏は道誉の手を取りぶんぶんと振り回した。道誉もはにかんだ。

「上手くいって良かった。尊氏殿の人徳のなせる業ですよ」

「私も完全復活だ。帝がお認めくださるよう、東国を立派にまとめ上げるぞ!」



「断じて認めん! 東国で勝手に政治を始めるとは愚かなり、足利尊氏。最早討ち滅ぼすまで!」

 一月後の京。後醍醐帝は顔を赤黒くして怒鳴った。周りの公卿たちは慌てふためいている。

「しかし足利方は大軍勢ですぞ」

「尊氏からは『東国から帝をお支えしたい』と書状が届いております、謀反ではないものかと。尊氏に東国を任せて朝廷は西国に集中するのも良いのでは……」

 ギラリと眼を剥いた後醍醐帝に公卿たちは口をつぐんだ。

「彼奴は、力を持ちながら朕の理想に背いた。それだけで滅ぼす理由には十分である!」

「落ち着かれなさいませ、主上おかみ

 帝をたしなめるような不敵な物言いにも関わらず、後醍醐帝は顔を綻ばせて振り向いた。

「戻りおったか、親房ちかふさ

「京が気掛かりなもので。奥州(東北地方)は息子に任せましてございます」

 ズカズカと内裏に踏み込んできた四十程の男は、後醍醐帝の寵臣北畠親房だ。全身にきらびやかで機敏な雰囲気をまとっている。

「しかし名を与え地位を与えとあれ程優遇した足利を、今度は討伐とはいただけませんな」

「む、汝も止めようと言うのか?」

「滅相もない。ただ武家というものは放し飼いをしていると碌なことにならぬ、と釘を刺すのみでございます」

「汝の武家嫌いも極まっておるのう!」

「主上が武家を頼みにしすぎるのです」

 遠慮のない親房だが、後醍醐帝はむしろ愉快そうに笑っている。

「とは言っても、やはり戦いになれば武士は頼もしい」

「どれを差し向けるが吉だ。我が軍神楠木正成か。武士より強い汝の息子北畠顕家か。鎌倉を攻め滅ぼした新田義貞か」

「新田でしょう。足利とは同じ源氏同士大いに戦ってくれ、あわよくば刺し違えてくれる。そろそろ平時のために走狗を煮る時間です」

「ぬははは! 汝も悪よのう!」

 帝と悪友のように笑い合うこの北畠親房こそ、陰に闇に佐々木道誉の前に立ちはだかる壁となる。



「え、俺?」

 新田義貞は帝からの尊氏征伐の綸旨を戸惑いつつ受け取ったが、読む内に感動が広がってきた。

 鎌倉幕府ではどれ程鍛錬しても雑に扱われていた気がした。その幕府を滅ぼした鎌倉の地でも武士たちにないがしろにされている気がして、この京へとやってきた。

 ようやく、自分の強さと真面目さを認めてくれる主君に出会えたのだ。身の内に力が湧いてくる。

「……ッ後醍醐帝の御為に、身命を賭して尊氏めを征伐して参ります!!」

 

 

 後醍醐帝が足利尊氏討伐のため、新田義貞の軍を差し向けてくるという情報はすぐに鎌倉にも届いた。道誉は足利邸へと急ぎつつ、帝の気性ではこうなるに決まっていたと肩をすくめた。やはり足利の者たちは楽観的すぎるし勢いで動きすぎる。道誉はクスリと笑った。

 足利邸では早速軍議が開かれた。

「鎌倉に籠るのは悪手。東海道沿いに防衛拠点を作る」と直義が淡々と言う。

「ですね。相手の新田は正面突破に長けています。こちらは二手に分かれて翻弄するが吉でしょう」と師直。

「それが良い。宜しいですか? 兄上」

 直義に仰がれた尊氏は、いつもの鷹揚さを失い憔悴した表情で明後日の方向を見つめていた。

「いや……、私は帝とは戦わない。朝敵にはなりたくない」

「いやしかし既に朝敵に認定されていますし、こうなった以上は討伐軍を打ち負かし力で朝敵を取り消させる他ありませんよ」と師直。

「そんなことのために、鎌倉に居座った訳ではないのだ……天よ……」

 フラリと立ち上がった尊氏を師直が素早く支え、尊氏の自室へ向かった。直義は顔を強張らせた。

「兄上はお加減が悪いようだ。厳しい状況だが、我らだけで出陣するぞ!」

「……応っ!」

 慣れぬ大声を出す直義に、諸将はまちまちに声を上げた。



 戦支度をしながら秀綱が不安そうに道誉に問うた。

「我らは朝敵になってしまったのですよね。大丈夫でしょうか?」

「秀綱、朝敵になったからとてすぐに滅びるとは限らない。お前に佐々木家の処世術を教えよう。二つの勢力が拮抗している時は、己の行いの意味を多重にしておくのだ。そしてどちらが勝っても、勝った方に味方していたと言えるようにしておく。そんな目で父を見ておけ」

「はぁ……」今いち合点がいかない顔で秀綱が頷く。

「さぁ、父子揃いの白糸おどしだぞ! よく似合っている」

 道誉はニッコリ笑うと、息子を引き連れて戦場へ向かった。


 矢作川(現在の愛知県中部)で始まった新田軍との戦は、熾烈を極めた。だがジリジリと足利軍は東へと追いやられていった。

 足利軍の士気がどうしても低い。朝敵になった上に、総大将である尊氏が戦に出てこなくては当たり前だ。道誉は手越河原(現在の静岡県中部)に移動した戦場を見渡しながら、床几に腰掛けて考える。ここから巻き返すには一度撤退して時を稼ぎつつ、京の公家を頼ってあのお方に接触するしかあるまい。だが自分の今の手札ではまだそこまで辿り着けない。これはむしろ乗り換え時ということか?

 戦の最中だということを忘れて考えに耽っていると、突然大声で呼びかけられた。

「父上、危ない!」

 突き飛ばされて我に返る。息子秀綱の肩に深々と矢が突き刺さっていた。

 いつの間にか新田軍に包囲されようとしている。慌てて馬に乗ろうとするが、もう遅い。新田義貞が困り顔で大太刀をかざし道誉の首に突きつけた。

「それにしてもお主も尊氏殿も何を考えているのか。帝に背いてはだめだろう?」

「……それもそうですね」

 要は生きていさえいればどうにでもなるのだ。戦い足りぬ息子からの非難がましい視線を背中に受けつつ、道誉は新田軍に降伏した。

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