第8話 覚めてや夢に 三

「直義殿と師直殿が喧嘩?」

「そうです。あれは今朝の話……」尊氏は泣きじゃくりながら語った。


「兄上、鎌倉奪還おめでとうございます」

 直義がかしこまって礼をすると、師直と師泰も続いた。尊氏が照れ臭そうに笑う。

「勝てたのは天のおかげだ。私はいつも天に見守られている気がする」

「しかし北条軍の残党はまだいますからね、暫くは鎌倉に留まった方がよろしいのでは?」と師直。「武士たちには恩賞を与えましょう。鎌倉に新しい屋敷も建てましょう」

 尊氏はキョトンとした顔で尋ねる。「そんなことをしては、帝が怒るのではないか?」

 師直を引き継いで、直義はまっすぐに尊氏を見据えた。

「兄上、私たちは兄上に在りし日の幕府のように東国を治めていただきたいのです。

 帝は初めお認めにならないでしょうが、東国を武家が、西国を公家が分担して治めればきっと政治は安定し、最後には此度の将軍追認と同じく意を翻してくださるはずです」

 師直も尊氏を見上げる。尊氏は腕を組みしばらく遠くの空を眺めていたが、ポンと膝に手を置き笑顔になった。

「うん、やってみよう。天意もそこにある気がする」

 直義と師直は高揚して顔を見合わせた。


「そうと決まれば足利家執事の我々で恩賞方を作ります。師泰、行くぞ」と師直。

 それを聞いて直義が笑顔を引っ込めた。

「いや、これは鎌倉を守ってきた私と文官たちの仕事だろう」

「いやいや、直義様は恩賞の仕事をしたことがないでしょう? 私は執事として足利一門の恩賞沙汰に関わってきましたし、京の恩賞方の働きもすぐ側で見ていた。慣れてる者に任せてくださいよ」

「いやいやいや、恩賞は武士たちの勢力図及び政権の安定に関わる極めて重要な問題だ。長く鎌倉を見てきた私には理想的な画が描けている。師直、お前の仕事は世の武士ではなく足利家を守ることだ、分を弁えろ」

「何?! それなら貴方の仕事は大将として戦うことだったと思いますが。今の所務めを果たしているお姿を拝見した覚えがありませんねぇ」

「……!!」

 呆気に取られていた尊氏は、顔を蒼くして震える直義を見て我に返った。

「も、師直! 言い過ぎだ。お前は一門の者たちと共に鎌倉周辺の警護を頼む。直義、恩賞についてお前の考えを聞かせてくれ」

 優しく肩を叩くが直義は目を見開いて一点を見つめるばかり。師直も足音荒く立ち上がり部屋を出て行ってしまった。


「その後は直義も師直も自分の務めをよくこなしてくれているが、お互い口もきかず飯も共にしないありさまで……」そこまで言うと尊氏はさめざめと泣いた。

「性格の違うお二人のことです、これまでにも喧嘩は度々あったのでは?」と道誉。

「不思議とうまが合うのか、直義がボケて師直がツッコんで、喧嘩などしたことはなかったんだ。わ、私もどうすべきか分からず……」

「道誉殿ならどうにかできるかも、とお呼びした次第です」と師泰。

 尊氏は膝を抱えて俯き、力なく笑った。

「私は天に従って戦や政治に勝つことはできる。だが私には、他人の心が分からない。分からないからいつもふんわりと気前良く振る舞っているだけなのですよ」

 いつも鷹揚で底知れぬ笑みを湛えている印象があったが、乱が始まってからは狼狽し涙する姿ばかりを見ている。しかし、その涙の大元には彼なりに必死な家族への愛情があったのだ。道誉は微笑んだ。

「私で良ければ、お二人をお繋ぎしましょう」

「本当か?! ありがたい、なんと礼をすれば良いのか」尊氏はまたおいおいと泣きながら道誉の手を握った。

 尊氏を残して部屋を出ると師泰がぼそりと言った。

「妙なことに巻き込んで申し訳ない。手伝えることがあれば教えてください」

「ふむ……、それでは探していただきたい所があります。郊外の寺で、条件がいくつか」

「承った。しかし何をする気なのか……?」

 道誉は口許に手を当ててニヤリとした。

「決行は明日の宵。忙しくなりますよ」




 翌日、仕事を終えた師直と直義はそれぞれ尊氏から宴に誘われた。どうせ喧嘩を収めさせようという腹だろう、相手の顔が見えた瞬間に席を蹴って帰ってやる、と苛立ちながら鎌倉郊外の寺に着いた。夕日は既に山の向こうに沈み、群青色の空の下で晩夏の暑さが既に和らいでいる。

 寺の入り口に何やら黄色い点々が落ちている。近づいて見てみると、菊の花びらが天の川の星々のように散らされて一本の道を作っていた。

 師直は夜空の群青と菊の黄色の取り合わせに少し見惚れたが、すぐに顔を引き締め菊の道を歩き出した。

 歩く内に耳に入ってきたのは、近くに大きな川でもあるのか緩やかで量の多い水音。それに寺の奥から書物を音読する声。

「この組み合わせはまるで、足利の館にいた頃のようだ」直義は久々にクスリと笑った。

「この辺りは鎌倉の街と違ってだだっ広い。足利の平野を思い出すな」師直も同時に故郷の風景を思い出していた。

 菊に導かれて奥の小高い丘まで行き着くと、松明にぼんやり照らされて尊氏が手を振っている。すぐ側に師泰も侍り慣れない手つきで給仕をしている。時間差で着いた直義と師直は床几に座らされ、鶏と黍、そして菊酒を振る舞われた。

「ああ、今日は重陽の節句でしたね」直義は日々の忙しなさを今更ながら実感した。

「そうだ。菊酒を飲み家族の長寿を願う日だ。だからお前たちと共に過ごしたかった」

 真剣な表情でじっと見つめてくる尊氏に、二人は降参した。

「こう心をほぐされてしまっては、鬼の仮面を被れませんよ」と師直がため息をつく。

「……自分の理想の政を出来ると舞い上がり、意固地になっていたようだ。すまなかった、師直」と直義が頭を下げる。

「いやいや! 謝らねばならぬのはこちらの方です。戦に勝ち負けはつきもの。つまらぬ突っ込みをし申し訳ございません。明日からも鎌倉の警護はお任せを」と師直が床几から降りる。

「ああ、お前の鋭いツッコミがないとしまらない。師直以外皆のんびりしているからな」

 直義が笑うと皆釣られて笑い出し、月明かりに照らされた黄色い花畑はいつまでも騒がしかった。


「父上、足利殿たちの宴に行くのではなかったですか?」

 道誉は陣中で猪口に菊の花びらを降らせている。

「家族の団欒に水を差せなんだ。仕込みだけして帰ってきた。秀綱、晩酌の相手をせい」

 嬉しそうに床几を引き寄せて座った秀綱に、道誉は菊酒を渡し杯を合わせた。こちらも親子水入らずの夜になりそうだ。

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