第7話 覚めてや夢に 二

 亡き鎌倉幕府総帥の息子北条時行が反乱を起こし、足利尊氏が鎮圧のため京を発った翌日。尊氏たちは会敵することなく三河に着き、鎌倉を脱出してきた直義と再会した。尊氏は涙目で直義の肩を叩く。

「無事で良かった。お前は理想の政治をし、戦は兄の仕事。それなのに駆け付けるのが遅くなって怖い思いをさせたなぁ……」尊氏は度重なる敗戦でぼろぼろの弟を回転させながら傷の位置を確認している。

「兄上と合流できると思っていたので怖くはありませんでした」直義はなぜか誇らしそうだ。

「直義様、いつでも助けに来られる訳ではないんですよ?」せかせかと師直が突っ込む。

「ああ、そうだ師直と師泰もいると思ったから余計に心強かった」

 屈託なく言う直義に、師直と師泰は頬をかきながら顔を見合わせた。鎌倉を陥されたとは思えない朗らかな足利家の空気に、道誉は思わず顔を綻ばせた。


「兄上、北条軍は精強で士気も強く手が付けられません」

「案ずるな。お前は兄が負けた姿を見たことがあるか?」

 直義は心底嬉しそうに首を横に振る。

「よし、皆の者。鎌倉を取り戻すぞ!」

 尊氏が頼もしく叫ぶと、走り詰めでへばっていた軍勢は途端に元気を取り戻し、その雄叫びは地を揺らすほどだった。

 

 そこからの足利尊氏の戦は、まさに鬼神の如しであった。鎌倉周辺の武士たちは反乱軍の強さを見て皆北条方に付いていたが、足利軍は立ちはだかる彼らを全て撃破し、降参させながら雷のように進軍した。

 道誉は初めて見る足利尊氏の戦いぶりに驚嘆していた。微笑みを絶やさず豪快に軍を率い、しかし要所は決して見誤らず鋭く攻める。まるで空を舞う大鷹のようだ。


 道誉は歯を噛んだ。自分も兵法は修めているし、裏と先を読めるので無様な負けはない。だが、戦に勝つのに必要なのはそれだけではないと分かっている。足利尊氏のように将がまとっている不思議な覇気が兵たちを奮起させ、勝利を呼び込むのだ。大鷹のような尊氏に対して、地道に着実に敵を穿つことしかできない自分が小さな蟻のように思えた。高く澄む夏空を見上げる。

「父上?」

 訝しげな息子の声に、道誉はハッと我に返った。戦の最中に考えにふけるのは、昔からの悪い癖だ。

「ああすまん。雲に見惚れておったわい」おどける父に秀綱は軽く憤慨した。

「全く! お疲れなら俺が指揮を代わりますよ?」

 誰に似たのか勇敢でせっかちな我が子の肩を叩いて楽しげに笑うと、道誉は息を吐いた。なれないものを羨んでも仕方がない、いつでも目の前の最善を尽くすのみだ。道誉は対峙する敵を押し包みにかかった。

 

 足利尊氏の軍は足を止めることなく、遂に北条軍本軍を倒して鎌倉を取り戻した。道誉は休息も程々に、戦果を報告するため足利本陣に向かう。しかし本陣の手前で高師直の弟、師泰に呼び止められた。

「道誉殿、ちょいとこちらへ」

 熊のような巨体は道誉を本陣ではなくその脇の寺へと導いた。

「お疲れの所悪いが、お助けいただきたいことがあってな……」

「私に出来ることでしたら、なんなりと」

 あまり話したことのない師泰からの請いとはなんなのか、掴みかねるままに道誉は薄暗い寺の奥へと進む。師泰は閉め切った部屋の前でひざまずいた。

「尊氏様、道誉殿をお連れしました」

「……入れ」

 何故尊氏がここに? それにしてもいつになく暗く抑えたような声音に道誉は首を傾げた。華々しい凱旋を遂げた所ではないか。

 師泰が静かに戸を開くと、誰かが部屋の隅にうずくまっている。それが足利尊氏と分かるのに少し時間を要した。尊氏が顔を上げると、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。

「道誉殿〜〜……」尊氏は言いかけたが涙がぽろぽろ出るばかりだ。道誉は困惑の表情で尊氏の前にしゃがむ。師泰も主君の背中を優しくさする。

「……〜〜直義と師直が喧嘩したァ〜〜!」

 言い切ると尊氏はわっと泣き始めた。道誉が師泰の方を見ると、彼は分かってくれたかとばかりゆっくり首を傾げた。

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