第6話 覚めてや夢に 一


 後醍醐天皇の新しい世となってすぐに平和が訪れた訳ではなかった。鎌倉幕府と共に滅亡した北条氏の残党が各地で挙兵しては鎮圧されていたのだ。壮絶に自害した主君たちの恨みを背負った彼らは侮れない、と道誉も京から各地の情報を集めていたが、思いもよらぬ知らせがもたらされた。

「先代天下人、北条高時の息子北条時行が生きていました! 信濃にて挙兵!」

「鎌倉を目指し、関東足利軍を薙ぎ払いながら猛烈な速さで進軍しています!」

 道誉は取るものも取り敢えず朝廷へと向かう。主を失った鎌倉は朝廷の支配の元、足利直義が執り仕切っている。だが死んだと思われていた先代の息子の挙兵とあらば、不平と混乱の多い現政権に不満を持つ者たちは一斉に鎌倉に牙を向くだろう。

 すぐ大軍を送らなければ北条軍は必ず鎌倉を奪い、いずれは京をも脅かす。道誉は今の華やかな暮らしを割と気に入っていた。


 急ぐ道誉に向かってくる一軍がある。目を凝らすと、二つ引両の足利の紋だ。丁度良いと道誉が声をかけようとしたがどうも様子がおかしい。呑気に町人が歩く広い京の道に土煙を立てて兵は皆必死の形相で足を動かしている。その先頭で歩兵に構わず馬を駆けるのは、惣領の足利尊氏だ(高氏より、後醍醐帝から名を頂いて改名)。

 いつも鷹揚な尊氏の焦り顔を見るのは初めてだと道誉が行き過ぎる一団を眺めていると、主君と同様に馬を飛ばしていた高師直が道誉を見つけて一人馬を止め、声をかけてきた。

「道誉殿! 朝廷へおいでか?」

「ええ、北条時行が乱を起こしたと聞きまして」

「それなら朝廷行きは無用ですよ。我らは鎌倉へ発つ所だ。貴方も一緒に来てください」

「それは勿論。もう出征の許しを取り付けたとは、流石仕事が早い」

「ちょっとごたついていますがね。それに鎌倉には直義様がいますから……」

 師直がため息をついた意味をこの時の道誉はまだ知らなかった。


 ともかくも戦支度だ。道誉は自邸に戻ると家族を呼び集めた。

「急なことだが、鎌倉に征くことになった。秀綱、お前の初陣だ。秀宗、高秀は京で母たちを守るのだぞ」

 息子たちと妻は驚きつつも長男秀綱の晴れの舞台に沸いていた。

「父上、武者震いが止まりませぬ!」と剽悍に叫ぶ長男秀綱は今年二十歳になる。

「こちらは私にお任せください」実直な笑みを見せる次男秀宗は三つ下の十七歳。

「ほほ、頼もしいこと」と妻のきたが柔らかく笑う。

 道誉が胸を温かくして順繰りに家族の顔を見ていくと、三男の高秀が一人浮かない表情をしていた。年は兄たちと離れてまだ十歳。

「敵が攻めてくるのですか? まだお庭の絵を描いている途中なのですが……」

「高秀、武士の子がそんな弱気でどうする。父と秀綱は敵が攻めて来ぬよう戦うのだ」

 道誉はやや尖った口調で返した。この引っ込み思案な三男にはいつもこうなってしまう。


 道誉の軍は昼過ぎには出立したが、足利軍に追いつく頃には夕方になっていた。異様に速い行軍だと道誉が首を捻っていると、先頭の方でいさかう声が聞こえる。

「もう日が暮れます! 休み無しにこのまま進めば兵が死にます」と激しく言い募る師直。

「死なん! 我が弟が死にそうになっているのだ、そちらの方が一大事だろう!」

 必死に反論しているのは足利尊氏だ。いつも穏やかに底の見えない尊氏が、子供のように駄々をこねている。

「死にます!」

「死なん!」

 泣き出しそうになりながら譲らない主君に、師直は腰に手を当てて首を振った。

「師泰!」

「おう」

 師直の弟師泰がその巨体を素早く尊氏の後ろに回し、トンと当て身を入れた。崩れ落ちる主君を抱えて素早く寝床を作る。

 呆気に取られていた道誉を見つけて、師直は頭を掻いた。

「お恥ずかしいものをお見せした。我が主君は弟君が何より大事でしてね。此度も直義様の危機と聞いてこのように京を飛び出してきたのです」

「き、兄弟の仲良きことは素晴らしきことです」

「いや、はた迷惑なだけですよ。それに直義様が戦に弱いせいもあります」

 バッサリと主君を切り捨てる師直に道誉は吹き出しそうになるのを堪えた。

 

 野営地の焚き火で川魚を手早く焼きながら師直が言った。

「実の所、我々は鎌倉行きのお許しを貰っていないのですよ」

 道誉は受け取った焼き魚に齧りつく直前でぎょっと固まり師直を凝視した。師直は淡々と続ける。

「鎌倉行きの、というか、征夷大将軍に任命いただき鎌倉に行かせてほしいと頼んだのですが却下されまして。そのごたごたが片付かないままに尊氏様が待ちきれず駆け出してしまったんです」

「なるほど。征夷大将軍は鎌倉幕府を連想させますから、帝にとっては忌避感があったのかも」

「とはいえ乱の鎮圧に役職名という箔は必要ですから、おいおい何かしらの役は認められるはずです。

 それからその幕府ですが、私は作ったら良いと思っている」表情を変えずに言ってのける師直に、道誉はまたも目を見開いた。

「道誉殿は、よくお分かりでしょう。はっきり言って今の政権は行政をさばききれていない。当たり前だ、これまで幕府と朝廷が行なっていたことを朝廷だけでやり切ろうというのはどだい無理な話です。

 この鎌倉行きと同様、鎌倉での幕府の仕事もとりあえずやってしまう。帝ははじめ怒るでしょうが、すぐに効果を見てとって認めてくださるはずだ。それに帝は我が主君を『尊氏』の名を与える程に気に入っているし」

 この男は、頭が切れすぎるのかそれとも勢いに任せているだけなのか。

「成程。では尊氏殿も直義殿もそのお考えなのでしょうか」

 師直は顎に手を当てた。

「直義様は同じ考えのはずです、まだ話していませんが。尊氏様はどうかな。あれで結構気にしいなので、直義様と私と師泰でどうにか説得することになりそうです。な」

「ん」師泰は酒を飲みながら巨体を揺らした。

 道誉は楽観的とも言える態度に呆気に取られた。そして自分なら決して選ばない不安定な未知を掴もうとする足利家執事を密かに羨望の眼差しで見た。ふと、こういう輩のことを示す言葉があったはず、と引っかかったが思い出せない。道誉が物思いに耽る間に師直がテキパキと寝具の用意をした。

「明日もきっと走り詰めだ、早めに寝ましょう」



 これは夢だと分かっていた。高時様が穏やかに笑っておられる。こんなに長く穏やかでいるのも、裏切った自分と笑い合うことも、何より生きてお話ししていることがありえない、だから起きることもできる。しかし目を覚ますのは惜しいと思ってしまった。

「道誉の屋敷は前にも増して美しいな」

「流石お目が高い。最近公家のお屋敷に招かれることが増えまして、気に入ったしつらえを真似してみているのですよ」

 一つ一つ道具の説明をするが、高時様の瞳は道具ではなく自分に向けられて愉快そうに、寂しげに揺れた。

「ふふ、道誉はどこにいても楽しそうだな」

「そうですか? むしろ今も昔もどこか窮屈で……」

 笑いながら言いかけて、道誉は黙り込んだ。

 まさか、何も変わっていないのか? 鎌倉幕府を滅ぼして手に入れたものといえばきらびやかな公家と近づきになったことぐらいで、世の中の圧し潰すような閉塞感やその中で上手く立ち回ることしかできない自分は、鎌倉幕府でも建武の新政でもほとんど同じなのか。

「……婆娑羅」道誉は呻くように言った。高時は嬉しそうにはにかんだ。

「憶えていてくれたのか。お前には婆娑羅がよく似合」高時様の言を遮って道誉は首を振る。

「いいえ忘れていたのです、目の前の忙しさや美しさにかまけて。貴方様を滅ぼしてまで欲しかったものを」

 高時様が哀しげにじっと見つめてくる。やはり俺を恨んでいるのか。

 元主君の瞳の色を探っている内に、パチリと目が覚めた。蒸し暑さと汗で寝巻きはじっとりと湿っている。


 まだ少しぼんやりしていると、外から叫び声が聞こえてきた。西と東から同時だ。

「後醍醐帝より、尊氏様を征東将軍に任じるとのお言伝ー!」

「直義様、鎌倉より退避! 三河で尊氏様をお待ちしておりますー!」

 道誉は急いで出ると、昨日手刀を喰らって気絶していた尊氏が元気に両手を上げている。

「直義が無事! 帝にも少しお認めいただけた! よし、みんな行くぞぉー!」

 言うが早いか、物凄い勢いで馬を走らせ始めた。道誉も他の兵と苦笑いしながら三河に向かって走り出した。

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