第二章 風は見えけれ 〜建武の新政から〜

第5話 風は見えけれ

 一三三三年五月、総帥北条高時が鎌倉で自害し、鎌倉幕府はあっけなく滅亡した。そして天皇の座に戻った後醍醐帝による「建武の新政」が開始され、理想に燃える指導者のもとで世の中が正しく回り始めるように見えた。だが新しい世の幕開けは混乱と不満に満ちていた。


 京の朝廷に新設された雑訴決断所は中も外も武士や公家、僧侶に神官でごった返していた。

「恩賞に頂いた土地を前の持ち主が占拠してるんです!」

「余の領地を侵そうとする者がおるのじゃ」

「馬が盗まれました!」

「武士共に貸した金が返って来んのです」

 窓口はどこも長蛇の列、誰もが必死の形相で訴えている。訴えを聞く職員たちも矢継ぎ早の書状作成にてんやわんやだ。

 その喧騒の中に、佐々木道誉はいた。墨染の衣の上に秋らしく薄紫の桔梗の袈裟を重ね、膨大な訴えを素早く裁いていく。

 外への対応だけでも忙しいのに、内からも厄介ごとが増える。内裏から出てきた恩賞方の公卿が気まずそうに道誉の肩を叩いた。

「帝が九州の某殿に所領を与えるとのことだ。彼の地は揉めるであろうから、すぐ出せるように強制執行状の準備を頼む」

「承りました」

 道誉が穏やかに微笑むと、恩賞方はホッとしたように文書を渡しそそくさと戻って行った。殺伐とした決断所に更にうんざりとした空気が漂う。

「帝はまた某殿に恩賞ですか。こうも偏れば揉めるに決まっている」

「……」

 道誉はそれについては何も言わず、命令書をしたためさせた。


 午後になると窓口を締め切って休憩、その後は訴えの裁定を決断所職員で話し合う。ここでは内外の喧騒がない代わりに職員同士で揉めがちだ。職員の公卿が口火を切った。

「さて昨日に引き続き、新田殿と藤原卿の所領争いについて。ここから西は藤原卿に属すべき、と昨日申したが……」

 武士たちの間に苛立ちと緊張が走るが、公卿は穏やかに続ける。

「……考えを改めた。此度については新田殿の所領とするのが妥当であろ」

 公卿が言いながら道誉に流し目を送ると、道誉は会釈をするように目を伏せた。公卿は愉快そうに笑った。

「ほほ、何故かこの八番局は他より余程和やかだの」

 

 職務を終えて立ち上がった道誉に呼びかける者があった。三番局の高師直だ。

「師直殿! 貴方も勤務日でしたか」

「もう散々ですよ。今お帰りで?」

「公家の皆様に誘われていまして。師直殿もいかがですか?」

 いつも控え目で穏やかな道誉が生き生きとした表情で言うのを、師直は訝しげに眺めた。


 歩きながら師直は大きくため息をついた。

「全く、うんざりする仕事ばかりですよ!」

「お疲れ様です」

「ああも頻繁に法令を改められては、混乱は増すばかりだ! 後醍醐帝は政を軽く考えすぎではないか? ……まあ武力での強制執行を実現したのは評価しますが」

 道誉は笑顔を崩さぬまま、勢い良く話し続ける師直に耳を傾ける。

「しかし道誉殿も物好きですな。公家連中と宴など、息が詰まりそうだ」

「実際話してみると、我らとあまり変わりませんよ。損得と体面で動く所など」

「そう思えるのは中々奇特だ」

「それに、彼らの代々培った飾り、もてなす技には惚れ惚れします」

「……道誉殿は公家になりたいとでもお思いか?」

 師直の刺すような眼光を受けて、道誉は首をかしげた。

「考えたこともありませんでした。私はただ、この色無き世界から目を逸らす術を楽しんでいるだけです」


 公家の邸宅に着くと、公卿たちが道誉を見つけて嬉しそうに手招きした。師直が強張った顔を崩さず道誉の後に続く。どうせ趣味の悪い置き物ばかりだろうと多寡をくくって足を踏み入れると、師直は突然世界が変わったように感じて身震いした。

 日が暮れ始めた秋空を映す池に小舟が浮かんでいる。主殿にかかる御簾や調度品がきらめく群青色で統一される中、三方の几帳(布の仕切)の朱色が目を引く。立てられたすすきのそよぐ様に秋風の流れが表れている。

 師直はまるで幻術にかかったように見惚れていたが、我に返ると心中唾を吐いた。隣の道誉は純粋にしつらえを楽しんでいるように見える。

「様々な群青の品たちが実に美しいですね。しかし何か足りぬような……」

「道誉殿は鋭くおじゃるな。まあゆるりと待たれよ」

 公卿たちと酒を酌み交わしている内に、日は暮れ月が出てきた。白く輝く満月を見て、道誉がポンと手を打った。

「月と風と舟……、ああ几帳の朱色は赤壁ですか!」

「その通り。舟にも二人で乗れますぞ」

 公卿たちは我が意を得たりと満面の笑みになった。

 宋の詩人、蘇東坡の赤壁の賦(詩)を意識したしつらえだ。師直も古今東西の書物には一通り目を通しているため、話の内容は覚えているし赤壁の賦には心を動かされた。だが武士や民の働きの上に造られた遊宴の箱庭に、師直は反感しか覚えなかった。

 その後は尺八と琴の演奏を聴きながら皆で連歌に勤しんだ。

「道誉殿の歌は実に武士らしい潔さに溢れているのぉ」

「ほんにほんに。山々の緑の歌い方が真に迫るようじゃ」

 まるで子供を可愛がるような褒め方だ、と師直は心中舌打ちした。同じ職場で働いていても、公卿共から見れば我ら武士は自身を脅かすような対等な人間にはまるで見えていないのだろう。

 

 公家の屋敷から出た師直はニコニコ顔の道誉に憤然として問うた。

「道誉殿は悔しくないので? 彼奴らの武士のことを人とも思っていない態度。なぜそう笑っていられるのか?」

 道誉は笑顔を崩さず穏やかに返す。

「そうですか? 気が付かなかった。それよりあの本物の月を取り入れたしつらえ、素晴らしかった……。私もあのように客人をもてなしたく、最近は公家のお屋敷に度々出入りしているのです」

 うっとりと月を眺める道誉を、師直は不思議そうに見つめていた。

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